大判例

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富山地方裁判所 昭和43年(ワ)41号 判決

主文

被告は原告小松みよ、同宮口コト、同大上ヨシ、同清水あや、同数見かすえ、同泉きよ、同谷井ナホエ、同江添チヨおよび同青山源吾に対し各金四〇〇万円、同高木常太郎に対し金一三三万三、三三三円三三銭、同高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斎藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男および同松本みつえに対し各金三三万三、三三三円三三銭、同高木良信に対し金三〇〇万円、同赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝および同赤池慎に対し各金一〇〇万円、同箕田作治に対し金一六六万六、六六六円、同茗原照子、同小塚澄子および同箕田昭夫に対し各金一一一万一、一一一円、同大窪みつえおよび同田村きみ子に対し各金一六六万六、六六六円、同永見節子および同氷見忠一に対し各金八三万三、三三三円と、原告大窪みつえ、同田村きみ子、同氷見節子および同氷見忠一を除くその余の原告らに対する右各金員については昭和四三年三月一四日から、原告大窪みつえ、同田村きみ子、同永見節子および同氷見忠一に対する右各金員については昭和四四年一〇月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告青山源吾、同高木常太郎、同高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斎藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男、同松本みつえ、同高木良信、同赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝、同赤池慎、同大窪みつえ、同田村きみ子、同氷見節子および同氷見忠一らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

被告は原告小松みよ、同宮口コト、同大上ヨシ、同清水あや、同数見かすえ、同泉きよ、同谷井ナホエおよび同江添チヨに対し各金四〇〇万円、同青山源吾および同高木良信に対し各金五〇〇万円、同高木常太郎に対し金一六六万六、六六六円、同高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斎藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男および同松本みつえに対し各金四一万六、六六六円、同赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝および同赤池慎に対し各金一二五万円、同箕田作治に対し金一六六万六、六六六円、同茗原照子、同小塚澄子および箕田昭夫に対し各金一一一万一、一一一円、同大窪みつえおよび同田村きみ子に対し各金一六六万六、六六六円、同氷見節子および同氷見忠一に対し各金八三万三、三三三円ならびにこれらに対する昭和四三年三月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

二  被告

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

(原告らの請求原因)

一  当事者

1 別紙当事者目録中原告小松みよ、同宮口コト、同大上ヨシ、同清水あや、同数見かすえ、同泉きよ、同谷井ナホエおよび同江添チヨは現にイタイイタイ病(以下、本病という)に罹患している者、その余の原告らは本病によつて死亡した後記の者らの各相続人であるところ、現に本病に罹患している原告らおよび本病によつて死亡した後記の者らは神通川流域に居住してきたものである。

なお本病は主として神通川水系の牛ケ首用水・神保用水および井田川・熊野川に囲まれた地域に限つて発生したものであるが、以下、右地域を本病発生地域という。

2 被告会社は、三井鉱山株式会社(明治四四年一二月一八日設立)の金属部門が昭和二五年五月一日企業再建整備法に基づき分離独立したもので、当初、神岡鉱業株式会社と称していたが、同二七年一二月一日現在の三井金属鉱業株式会社に商号を変更したものである。

被告会社は、別紙鉱業権目録記載の各鉱業権を有しているものであるが、右各鉱業権取得の経路および原因は同目録に各記載のとおりである。そして被告会社は、右各鉱業権に基づき岐阜県吉城郡神岡町、同県同郡上宝村、同県大野郡荘川村および富山県上新川郡大山町にわたる鉱区において、主に鉛、原鉱を採掘し、右神岡町大字鹿間、同町大字和佐保(栃洞)および同町大字茂住各地内の高原川(神通川上流)の沿岸に所在する各選鉱場において鉛鉱、亜鉛鉱等の選鉱、製錬を行つている(以下、これら採鉱、選鉱および製錬のための全事業場を神岡鉱業所という)。

二  原因たる事実

被告会社の神岡鉱業所付近一帯の鉱山(以下、神岡鉱山という)は明治七年三井組がその一部を入手し、その後三井組は、同二二年茂住、亀谷鉱山を三井物産株式会社から買収して全山を統合のうえ、同二六年には茂住、同三八年には鹿間、昭和一一年には和佐保(栃洞)各選鉱場をそれぞれ完成して操業を開始したところ、被告会社およびその神岡鉱業所の従前の鉱業権者ら(以下被告会社等という)は前記各選鉱場開設以来、継続してその選鉱、製錬の過程において生ずるカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類を含有する廃水および右工程から排出され、たい積された鉱さいから浸出する前同様の廃水を前記高原川に放流し続け、またたい積された鉱さいが雨水によつて右高原川に流出するのを放置していたものである。すなわち、

前記各選鉱場における鉛鉱、亜鉛鉱の選鉱、製錬は明治九年鹿間において比重選鉱および洋式鉛製錬の方法によつて開始された後、同四二年から浮遊選鉱法(当初はポツター式浮遊選鉱法、昭和二年以降は優先浮遊選鉱法)によつて亜鉛精鉱が採取され、大正一〇年ベッツ式鉛電解設備を完成して鉛精製法の基礎を確立し、昭和一八年焼鉱硫酸工場と亜鉛電解工場を完成して、亜鉛、カドミウムの製錬事業が開始された(ちなみに、カドミウムは主に閃亜鉛鉱中に含まれ、選鉱過程において亜鉛とともに採取され、亜鉛製錬工程の中間産物として生産されているものである。)。

右にいわゆる浮遊選鉱法は採取された鉱石を微細に粉砕し、これに水を加えて液状としたのち、添加剤によつて鉛、亜鉛を浮遊せしめてそれを採取する方法をいうのであるが、右選鉱過程においてカドミウムなどを含む泥状廃液が多量に生ずるため、これが処理のため、大正五年に廃水の沈澱池が設けられ、その後鉱さいのたい積のため、昭和六年には鹿間第一たい積場、同八年には増谷第一たい積場が建設されたけれども、カドミウムなどの重金属類を含む廃水や鉱さいの流出は遂にこれを防止することができなかつたのである。

なお、鹿間たい積場は昭和一三年七月下旬と同二〇年一〇月八日にそれぞれ決壊し、後者の決壊の際には約四〇万立方メートルの鉱さいが高原川に流出し、また和佐保たい積場は同三一年五月一二日決壊して約一万五、〇〇〇立方メートルの鉱さいが高原川に流出している。このように右各たい積場の設備は雨水とともに鉱さいが流出し易い不完全なものであつたし、また廃水の処理も降雨の機会を利用して沈澱池の廃水を高原川へ放流する等ずさんなものであつた。このことは本病発生地域の住民もその生活体験からよく知つている。すなわち、同地域の農民は、大正初期頃から継続して稲作鉱害に悩まされ、そのため水田の水口(田の取水口のこと。以下同じ)の土壌を掘りあげて用水に含まれている鉱毒が水田に流入するのを防止する農業技術を経験的に体得し、また右地域の住民は昭和初期頃から第二次大戦後にかけて神通川および同水系の用水路の流水が白濁したり、川魚が死滅するのを熟知していた。

三  因果関係

前記のとおり被告会社等が高原川に放流し、流出するのを放置していた廃水および鉱さい中にはカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類が含まれており、これらの重金属類は、浮遊物となつたり、または廃水に溶解したまま流水とともに高原川を経て下流の神通川を流下し、さらに同河川の東側にある「神保用水」などや西側にある「牛ケ首用水」など多数の用水路を経て原告ら居住地域一帯の水田に沈澱、たい積し、あるいは同地域の河川水および地下水に混入し、その結果、これら重金属類は、米、大豆、野菜などの農作物に吸収され、また同河川に棲息する魚類の体内にも蓄積され、さらに同地域の住民の飲用水である井戸水をも汚濁するに至つた。原告らはこのように汚染された農作物、魚類、飲用水を長年にわたり摂取しつづけてきたため、カドミウム等の重金属類がその体内に移行、蓄積し、その結果カドミウムを主因とする本病に罹患して後記のような甚大な損害を被つたのであるが、以下さらにこのことを詳述する。

1 そもそも、神通川は、乗鞍岳および川上岳付近から発して高山盆地を貫流する宮川水系と西穂高岳付近から岐阜県吉城郡神岡町を経て同町牧付近において跡津川を合する高原川水系とが岐阜・富山県境である同県上新川郡大沢野町東猪谷付近で合流して神通峡に至り、長棟川水系を合せて富山平野に達し、富山市街地近傍において東側の熊野川と西側の井田川とを合して富山湾に注いでいる河川であり、この神通川から取水している用水には、東岸には上流から「大沢野用水」、「大久保用水」、「一二ヶ村用水」、「神保用水」があり、西岸には上流から「牛ヶ首用水」、「神通川合口用水」(「新屋用水」、「八ヶ用水」、「六ヶ用水」、「本郷用水」および「一二ヶ用水」)があつて、本病発生地域一帯の水田をかんがいするとともに、同地域住民の生活用水としても使用されている。

2 次に右地域一帯は次のように神通川および右各用水路を経て流れてきた被告会社等の放出したカドミウム等の重金属類によつて汚染されている。すなわち、

(一) 農学博士・経済学士吉岡金市は昭和三六年八月、本病発生地域と同地域外の前記井田川の上流の久婦須川水系の各水田土壌を分析し、比較したところ、前者からは相当量のカドミウム、鉛、亜鉛が検出されたが、後者からは右重金属類は全く検出されなかつた。

また金沢大学医学部衛生学教室が同四二年三月下旬、神通川本流水系以外(舟峅野用水、杉野原用水、井田川、熊野川各流域)の各水田土壌を分析した結果によると、カドミウムの濃度は後者ではいずれも一p・p・m未満であつたのに対し、前者の大部分は三p・p・m以上であり、ことに神通川右岸の富山県上新川郡大沢野地区の水田水口表層では7.5p・p・m、同左岸の同県婦負郡婦中町広田二区の水口表層でも6.3p・p・mという高濃度を示した。さらに本病発生地域の同一水田土壌を部位別、土層別に分析すると、水田の水口部分には中央および水尻部分より、また水田の上層部分には下層部分よりそれぞれ高濃度のカドミウムが含まれていただけではなく、鉛および亜鉛の分布および濃度についてもカドミウムと同様の傾向がみられ、吉岡金市博士の前記分析結果とも結論的に一致していた。

(二) 次に、財団法人日本公衆衛生協会イタイイタイ病研究斑が昭和二年七月下旬神通川本流水系の河川水、被告会社の神岡鉱業所の工場排水、川床および同工場排水口直下の泥土を採用し、分析した結果によれば、河川水のカドミウムは、宮川、長棟川ではいずれも不検出であり、また跡津川および被告会社の神岡鉱業所の所在位置より上流の蒲田川、穴毛谷では痕跡程度であるのに反して、右所在位置より下流では明確に検出された。一方神岡鉱業所の工場排水およびたい積場の浸透水にはカドミウム等の重金属類が多量に含まれ、ことに同鉱業所鹿間工場の中部排水口から放流されていた廃水には異常に高濃度の右重金属類が含まれていた。また、同鉱業所の所在位置より上流の高原川および同鉱業所の排水口直下の各泥土ならびにたい積場付近の川泥等のカドミウム濃度をそれぞれ分析した結果によると、排水口直下の泥土およびたい積場付近の川泥には上流の泥土に比べて数十倍ないし数百倍のカドミゥムが含まれていた(神岡鉱業所鹿間工場の排水口直下の泥土懸濁物には、カドミウムが、上部排水口において三六三p・p・m、中部排水口において八三二p・p・mであり、たい積場のある和佐保谷および鹿間谷下流では八九九p・p・mおよび一三八p・p・mを示し、高原川と鹿間谷との合流点下では一六〇p・p・mであつた。)。

ところで神岡鉱業所の鉱さいたい積場は、鹿間第一たい積場(昭和六年から同二四年頃まで使用)、同第二たい積場(同二四年頃から同三一年頃まで使用)、増谷第一たい積場(同八年頃から同三〇年頃まで使用)、同第二たい積場(同三〇年頃から現在なお使用中)、和佐保たい積場(同三一年から現在なお使用中)からなつているが、前記研究斑の調査結果によると、そのうち、鹿間第一、同第二および和佐保各たい積場のカドミウムの含有濃度は鹿間第一たい積場では最高が43.9p・p・mで最低が12.7p・p・m、同第二たい積場では最高が7.21p・p・mで最低が4.29p・p・m、和佐保たい積場では最高が18.7p・p・mで最低が6.6p・p・mであり、鉛および亜鉛は各たい積場ともに多量に含有していることが判明した。

(三) 本病発生地域は神通川下流の扇状地であり、洪積世中期から舟峅野、大沢野、杉原野(広田)の各扇状地の段階的形成を経て沖積世に至り、熊野新扇状地を形成したものである。これらの地層形成区分とカドミウム等重金属類の分布状態を比較検討すると、水田土壌にみられる高濃度の重金属類は右の地層形成時期区分と一致していない。このことから右重金属類は本病発生地域の地層形成期にたい積したものでないことが明らかである。他方、右地域における浅層地下水(帯水層が地表水体と密接な水文的関係にある地下水であつて、特にその自由面帯水層が河川とほとんど直接に接している地下水をいう)の流動状況は、神通川西岸では、富山県婦負郡婦中町横野付近から流出して同町一五丁、地角、清水島、下井沢にいたる強い地下水流と同町土渕から流入して蔵島へ向う地下水流があり、同東岸では、同県上新川郡大沢野町付近と富山市新保付近に神通川から流入する地下水流が認められる。これらの地下水流の経路と本病発生地域とはほぼ一致している。

なお、前記吉岡金市博士、医師萩野昇、岡山大学農業生物研究所教授小林純の研究報告によると、昭和三五年本病発生地域の井戸水にカドミウムが検出され、さらに金沢大学医学部教授石崎有信は同四一年富山県婦負郡婦中町一五丁の井戸水にカドミウムを認めている。

3 本病は被告会社等が放出した重金属類によつて発生したものであり、主たる原因はカドミウムであるが、その理由は次のとおりである。

(一) 先ず、本病発生地域の特徴、本病発生と同地域における農業鉱害発生との関係および本病患者の生活環境等を分析し、かつ総合的に検討すると、次のことが明らかである。

(1) 前記のとおり本病の患者は本病発生地域内に居住している者に限られ、右地域外に居住している者に本病の患者はいないのであつて、本病の発生にはこのように地域的限局性がみられる。

(2) 本病発生地域と農業鉱害発生地域とは一致している。すなわち、本病発生地域では大正初期から水稲、大豆等が鉱毒(被告会社等の神岡鉱業所における操業、特に浮遊選鉱から生ずるカドミウム鉛、亜鉛等の重金属類を含む廃水、鉱さい、上澄水であつて、それに基づいて被害を生ぜしめた原因力をいう)により生育を阻害されたため、同地域の農民は被告会社の前身である三井鉱山株式会社、国および富山県に対し右鉱毒の防止対策を講ずるようたびたび要請してきた。また農林省小作官石丸一男と当時農事試験場技師であつた前記小林純教授の両名が昭和一八年七月本病発生地域の農業被害の実態と原因を調査した際にも、その原因が三井鉱山株式会社神岡鉱業所の廃水と鉱さいの処理にあることを確認のうえ、同鉱業所に対し除害施設の改善および施設運用の完壁を期するよう要請したのである。戦後になつても、本病発生地域の農業被害は減少することがなく、農民は神通川鉱害対策協議会を結成して被告会社と農業被告の補償につき交渉したところ、被告会社は昭和二七年農業被害の原因が被告会社等の放出した廃水等にあることを認め、ここに補償協定が成立し現在に至つている。

(3) 本病患者の家族歴には特に問題とすべき点がなく、例えば、同一家族内において嫁と姑がともに本病に罹患していることからしても、本病に遺伝的な関係はない。

(4) 本病発生地域は富山県下でも一戸当りの耕作面積が最も大きい農村地帯で裕福な地域であり、また気象上も右地域のみに特有の現象は見当らない。したがつて本病が気候あるいは栄養障害に起因するものではない。

(5) 本病発生地域の農民は神通川から取水する用水によつて生産された同地域の農作物を常食としている。同地域の住民は昭和一〇年頃まで右用水を直接台所に引きこんで飲料水などの生活用水とし、その後一部住民の間では打込みや手堀りの井戸を使用するようになつたが、農作物や食器類等の水洗いには屋敷内や住家の前を流れる右用水の水を使用していた。また冬の渇水期に井戸が涸れると、右用水の水を使用し、ことに農繁期にはかんがい用水を直接に飲む風習は古くから戦後まで続いていたのである。

(二) また本病発生地域の土壌、米、大豆、河川水および川魚や本病患者の臓器、骨等を分析した結果によると、カドミウム、鉛、亜鉛が多量に含まれていることを発見し、さらに前記吉岡金市博士は同三五年八月本病に注目して神通川水系の河川水、井戸水、神岡鉱業所の工場排水、鉱さい、本病発生地域の土壌、水稲、野菜、野草等の植物、川魚、本病患者の各種臓器、骨等の資料を収集のうえ、その分析を小林純教授に依頼し、同教授により分析が行われた結果、本病発生地域以外の同種資料に比し、前記分析資料は、鉛、亜鉛はもちろん、カドミウムがことに顕著に含まれていることが明らかとなつた。

(三) 次に、カドミウムの投与による動物実験により本病類似の骨疾患の生ずることが認められた。すなわち、小林純教授は昭和三七年八月からラッテを用い、カルシウムの代謝出納実験を行つた。第一回の実験では、カルシウムの欠乏食や市販の固型飼料を使用してカドミウムを含有した飼料を作り、これをラッテに投与したところ、カドミウム投与群のラッテはカルシウムの欠乏食の場合だけでなく、カルシウムの多い固型飼料の場合でも大腿骨、上膊骨にそれぞれ脱灰現像が生じ、骨の軟化が認められ、第二回の実験では、カドミウム単独の場合とカドミウムに鉛、亜鉛等を併用した場合を比較したところ、カドミウム濃度が稀薄であつても後者の方が、前者よりも骨の脱灰現象が著しいことが認められた。

また前記石崎有信教授は同三九年一二月頃低カルシウム、低蛋白の飼料を用い、ラッテにカドミウムを含む飲料水を投与する実験を行つた結果、腎臓に腎尿細管を主とした病変を生じ、骨の脱灰現像が認められ、骨軟化症を起した例があつた。さらに同教授はラッテに非水溶性の酸化カドミウムを混入した飼料を投与して観察したところ、骨に骨粗しよう症と骨軟化症が共存しているものがあらわれ、高カルシウム食群の中でも軽度ながら骨に変化のあるものが認められた。

以上のとおり、本病はカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類に因り発生したものであつて、しかもその主たる原因はカドミウムであることが明らかである。

4 本病の病理機序は次のとおりである。

(一) 先ず、カドミウムは、日常、食物や水とともに摂取され続けると、排泄されないまましだいに体内ことに腎臓に蓄積する。このようにカドミウムが腎臓に蓄積することは、

(1) 従来、カドミウムは、経口的に与えられた場合はもちろん、その他どのような経路で体内に入つた場合でも、肝臓と腎臓に貯溜するものとされていたが、金沢大学石崎教室で行われたカドミウム五〇p・p・mを含む飲料水をラッテに投与した実験によると、生臓器一グラム当りのカドミウム量にして最も多く貯溜した臓器は腎臓であり、その次が肝臓であるとの結果が得られたし、またカドミウム三〇〇p・p・mを含む飲料水をラッテに与えた実験においても、投与六か月後の各臓器のカドミウムの貯溜量に同様の傾向がみられ、その量は著しく高く、低濃度の前記実験結果と同じく生臓器一グラム当りでカドミウムは腎臓に最も多く蓄積され、肝臓がこれに次ぎ、カドミウム投与中止後もカドミウムは肝臓、腎臓から容易に排泄されず、他の臓器では膵臓、脾臓に特に高い値がみられるとの結果が得られ、したがつてカドミウムは明らかに体内に吸収され、蓄積されることを実験的に証明した。なお富山県立中央病院の村田勇医師らは、ラジオアイソトープを用いて投与されたカドミウムの三分の一強が体内に吸収されることを明らかにしたこと、

(2) また、本病患者の全身の各部、各臓器のスペクトル化学分析によると、本病患者のものからは、一般の健康人のそれに比較して、大量のカドミウムが検出されており、また本病患者の尿中のカドミウム量を測定すると、一日当りの平均値が37.5ガンマーに達し、一般の健康人よりも数倍ないし一〇数倍ないし一〇数倍も高い値を示していること等の事実から明らかである。

(二) 次にこのように本病患者の腎臓にカドミウムが蓄積することによつて、腎尿細管に障害が生じてその再吸収機能が著しく阻害される。このことは

(1) 経気道による慢性カドミウム中毒に関する文献によれば、カドミウムによつて人間や動物に腎機能障害が生ずるとされていること、

(2) 欧州の文献では、経口による慢性カドミウム中毒は腎臓の病変等が生じ、その特徴は腎尿細管が侵され、糸球体は侵されないことであつて、この点は人体の観察でも動物実験でも一致しているとされていること、

(3) 本病患者の臨床症状としては腎機能障害がきわめて特徴的であることが把握されており、腎機能検査および腎生検の結果によつて右腎病変の本態が腎尿細管の障害であることが明らかにされていること、

(4) 本病患者にみられるような広範な腎尿細管の機能障害をきたすものとしては、リグナック・ファンコニー症候群、アダルト・フアンコニー症候群のような先天的腎尿細管機能異常のほかに、ウイルソン病、多発生骨髄腫、ネフローゼ症候群などの内因性毒物によるもの、重金属類(ウラニウム、鉛、カドミウム)や変性したテトラサイクリン、リゾール、マレイン酸等の外因性毒物によるものが知られているが、本病は、疫学的調査によりその遺伝的発生は否定され、小児に遺伝的に発生し、かつ全身臓器にシスチンの沈着をみるリグナック・ファンコニー症候群とは明らかに異なり、またアダルト・ファンコニー症候群とは臨床像がきわめて類似しているが、それが三〇才代を中心として発病し、劣性遺伝形式をとるきわめてまれな疾患である点で、四〇才代以降に発病し、地域的、集団的に多発した本病とは異なり、さらに内因性毒物による可能性もその発生様式からして考えられずここに外因性毒物とくに重金属類の可能性が大きく浮び上つてきたこと、

(6) 前記のように石崎有信教授のなした動物実験によれば、ラッテの全例が腎尿細管に変性を生じ、また富山県衛生研究所の久保田憲太郎と福山裕三の行つた動物実験によつても腎機能障害が生じていること

等の事実から明らかである。

(三) 次いで、前記のように腎尿細管の再吸収機能が著しく阻害される結果、カルシウム等が尿とともに体外に排出され、遂に骨の脱灰現像を生じて骨軟化症を惹起するのである。

このように腎尿細管が侵されてその再吸収機能が阻害され、カルシウムの体外流出が多くなり、遂には骨軟化症におちいる症状はいわゆるファンコニー症候群として近代医学の常識であり、本病はこれにあたる。すなわち、

石崎有信教授らは、腎尿細管が侵されてその再吸収機能が障害され、カルシウムの体外流出が多くなり、ついには骨軟化症におちいる症状はいわゆるファンコニー症候群としてよく知られているところであるが、いろいろな原因でおこる重金属中毒のうち、鉛中毒についてはそのような例が小児にみられることが知られており、カドミウムによる腎機能障害は腎尿細管のみが侵されるのであるから、ファンコニー症候群の進層した形がみられてもファンコニー症候群において小児ではくる病、成人で骨軟化症をきたすことはよく知られているところであり、カドミウム中毒でも骨軟化症を起すことが知られているとしているのである。

5 以上によつて、因果関係は明らかになつたのであるが、本病の病理機序そのものは、被告会社等の行為と本病の発生との間の因果関係の存否を確定するために不可欠な要件ではなく、仮に右病理機序に未解明の部分が存するとしても、因果関係の存否の確定に影響を及ぼすものではない。すなわち、

(一) 不法行為の成立要件としての因果関係は、責任を決定するためになされる一種の価値判断に基づく因果関係にほかならず、ある損害の原因となる行為を行つた主体にその損害の賠償責任を帰せしめるべきかどうかという責任の存否を決定するところにその機能があるのであつて、無限の因果の連鎖からなる自然的因果関係とは区別されなければならず、自然的因果の過程の中から一定の範囲での因果が立証されることによつて責任の帰属を決定するところに法的因果関係の意義が認められるのである。したがつて、裁判上の因果関係を決定する証明の程度も、本質的にはいわゆる科学の対象としての事実の証明とは区別されなければならず、裁判上の証明は科学上の可能性があるかぎり、他の事情とあいまつて因果関係を認定して一向に差支えないし、因果の過程に、いまだ十分科学的に解明されていない点があつても、因果関係の成立を妨げるものではないのである。

(二) 他方、医学の世界においては、疾病の原因を追究する病因論と病理機序を研究する病理論とは載然と区別されているのであり、それぞれ独自の研究対象となつているものである。たとえ、病理機序に未解明の分野が残されていても、病因が確定しているということはむしろすべての疾病についていえることであろう。例えば、結核の病理機序には今日いまだに幾つもの疑問が残されているけれども、結核という疾患が結核菌に由来することはなんぴとも疑わないところである。これと同じように本病の病理機序に将来なお解明されるべき点があつても、そのことの故に本病の原因物質がカドミウムであることを否定することはできないのである。

6 最後に、原告らが、主張してきた動物実験は比較的高濃度のカドミウムを含む飲料水等によるものであるが、右各実験は次のとおり意義のあるものである。すなわち、

(一) そもそも動物実験なるものはある原因物質がある結果を生ぜしめるであろうという命題を検証するものとして行われるものであつて、この検証されるべき命題が動物実験の結果によつて裏づけられるならば、すでにその目的は達成されたものとしなければならない。したがつて、たとえば、原告らが主張している各動物実験のうち、石崎有信教授が行つた前記実験は、同教授がさきに疫学的調査によつて得た骨軟化症は慢性カドミウム中毒によるものであるという命題を裏づける目的で行われたのであり、その実験結果は右疫学的調査によつて得られた結論を実際に裏づけるものとして意義のあるものである。

(二) また実験に用いられた飲料水等に比較的高濃度のカドミウムが含まれている点については、動物実験の目的が数量的な対応関係を求めることにあるのではなく、あくまでも可能性を確認することにあるから、問題は、実験動物にカドミウムを投与することによつて果して障害が生ずるか、どうかという点にあるのであり、これが本質的に求められる事柄であつて、動物に対する五〇p・p・mが人間に対する関係で五〇p・p・mに当るか、どうかなどという比例関係をこの実験はもとより問題としてはいないし、またそれを求めても答をうることは不可能なのである。なんとならば、種による(薬物)毒物の効果差が一時投与の場合ですら大きいことは薬理学上の常識であるのみならず、一般に、小さい動物の方が大きな動物より薬物に対する抵抗力が強いとされており、現に、スピンクスは、この薬を検証して、たとえばマウスは人間に比較すると五ないし二五倍の薬物に対する抵抗力があることを確認している。まして微量継続投与の慢性中毒実験の場合にこの薬物に対する抵抗力の差ははるかに大きいに相違なく、また動物実験で今一つ注意すべき点である動物の種類差により反応に差異のあることを無視できないからである。

それゆえ、カドミウムを投与しても、ある種の動物では障害が発生するがその程度が異なるとか、あるいは高濃度のものを投与した場合しか障害が発生しないとかを理由に動物実験のもつ意義を否定しようとするのは動物実験の限界を知らない者のすることである。

四  被告会社の責任

被告会社は昭和二五年五月一日前記のとおり鉱業権を従前の鉱業権から譲り受けて以来現在までこれを有しているから、損害発生時の鉱業権者として鉱業法一〇九条一項により右損害を賠償すべき義務があるのみならず、右鉱業権を譲り受けた日である昭和二五年五月一日以前に発生した損害についても同条三項により賠償の責に任ずることになる。

五  損害

1 本病は、一般に腎性骨軟化症といわれ、臨床的には糖尿、蛋白尿等の尿所見がみられ、アルカリフォスファターゼ値(血清中のリン酸酵素のことで、クル病や黄疸のときにも急増する)が増加し、血清無機燐が減少し、骨の脱灰現象がおこり、骨改変層を生ずること等が特徴である。

そして、本病の症状は、当初、大腿部、腰部、肩部、背部、膝などの諸関節部等に刺痛を覚え、やがて身体各部にリュウマチに似た疼痛が起り、アヒルのような独特の歩き方をするようになり、このような状態が数年あるいは一〇数年間継続し、遂には挫傷、捻挫のような軽い外傷によつて突然歩行不能となつて臥床するに至るや、病状は悪化の一途をたどる。そして、本病患者は、歩行や起立のときのみならず、病床でのわずかな体動によつても激痛に襲われるため、昼夜の別なく睡眠を妨げられ、果ては呼吸したり、笑つただけでも、局所に痛みを覚えるなど片時も苦痛から解放されることがなく、この苦痛のために食欲が極度に減退し、衰弱し切つて、「イタイ、イタイ」と絶叫しながら死亡するに至るものである。

また症例中には、肯椎の圧迫骨折のために身長が三〇センチメートルも短縮したものがあり、肋骨だけで二八か所、全身で七二か所の骨折を起したものがいるという悲惨な記録が残つているほどである。

2 原告らの各損害

原告らの各発病の経過、症状等は次のとおりである。

(一) 原告小松みよ

原告小松みよは、大正七年一一月二三日出生以来今日まで肩書住所地等の本病発生地域内に居住してきた者であるが、昭和二七年春頃肋間部に痛みを覚え、同二八年農作業ができなくなり、痛みを全身に感ずるようになつて寝たり起きたりの生活が続き、同三〇年九月病臥中の畳ごと東京の病院へ運び込まれた。同三四年頃右病院における治療の結果やや痛みが軽減したが、それでも杖がなければ歩行できなかつた。現在は右住所地の自宅で掃除等の軽い家事に従事しているが、身体を動かすと痛みを感ずる状態である。

(二) 原告宮口コト

原告宮口コトは、明治三六年一月一五日生れで、大正一三年三月三一日以降今日まで肩書住所地等の本病発生地域内に居住してきた者であるが、昭和二八年頃から大腿部に痛みを感じ始め、その後かまどに釜をかけることもできなくなり、同二九年頃には歩行困難となり、健康時に比して身長が約一五センチメートル短縮した。当時、痛みのためバスに乗ることさえできなかつたので、治療を受けに行くことができなかつた。現在は治療の結果痛みが幾分軽くなつているけれども、寒くなると両足の内くるぶしに痛みを覚え、歩行はできるが作業は困難である。

(三) 原告大上ヨシ

原告大上ヨシは、明治四〇年五月九日生れで、昭和二年九月六日以降今日まで肩書住所地等の本病発生地域内に居住してきた者であるが、同二三、四年頃足の裏、かかと、指先に焼けるような痛みを感じ、その後痛みは肋骨に及び、せきやくしやみをするにも痛みが伴い、用便にも背負つてもらわねばならず、杖がなければ歩行もできない状態になつた。最悪時には、自殺しようと思つても外へ出ることができないので思いとどまつたことがあり、また健康時に比して身長が約一五センチメートル短縮した。現在は萩野病院に通院し治療を受けていて、徒歩で通院できる状態になつた。

(四) 原告清水あや

原告清水あやは、明治三三年三月二〇日出生以来今日まで肩書住所地等の本病発生地域内に居住してきた者であるが、昭和三〇年頃自宅の庭で転倒し腰部を打つてから痛みが続き、その後接骨院、針師、温泉等を回り歩いたが悪化する一方であつた。しかし、同三九年頃から萩野病院で治療を受けた結果、現在では特に痛みを感じないようになつたが、寒気が加わると痛みが再発する状態である。

(五) 原告数見かすえ

原告数見かすえは、明治三九年八月九日出生以来今日まで肩書住所地等の本病発生地域内に居住してきた者であるが、昭和三六年初め頃に足の関節部、腰部、大腿部に痛みを感じて以来、農作業はできなくなり、住家内で歩行するにも戸や壁をつたわらなくてはならず、起床するにも痛みを避けるため約一〇分ぐらいの時間を要する始末であつた。現在は、治療の結果痛みが軽くなつているので、家庭で風呂番、子守程度の軽労働ができるようになつたが、痛みが全く消失したわけではない。

(六) 原告泉きよ

原告泉きよは、明治三二年三月二一日生れで、大正七年八月三〇日以降今日まで本病発生地域内の肩書住所地に居住してきた者であるが、昭和三、四年頃以来大腿部等に痛みを感じ、同三七年頃左肩にも痛みを覚え、手が自由に動かくなつた。その後痛みは激化し、夜も安眠できないようになり、同四一年秋頃左大腿部に激痛が生じ、立ち上がることもできなくなつた。しかし現在は、治療の結果足の痛みは幾分軽減したが、左手はなお自由に動かすことができない状態である。

(七) 原告谷井ナホエ

原告谷井ナホエは、大正四年一一月一〇日生れで、昭和一六年九月一一日以降今日まで本病発生地域内の肩書住所地に居住してきた者であるが、同二八年頃脚部、腰部、胸部等に痛みが生じて農作業ができなくなり、その後治療を重ねてきたが経過は悪く、現在は歩行にも困難を感じるほどで、階段を一段降りるのに約三分も要する状態である。

(八) 原告江添チヨ

原告江添チヨは、明治三七年一月五日生れで、大正一一年七月四日以降今日まで本病発生地域内の肩書住所地に居住してきた者であるが、昭和二五年頃足のかかとや胸部等に痛みが生じ、息苦しくなり、また洗濯ができないようになつた。その後種々治療を試みたが経過は悪く、同三六年一一月極度の激痛のため入院したところ、つまづいた等により二回も入院中に骨折し、全く動けなくなつたことがある。なお、健康時に比して身長が約三〇センチメートル短縮した。現在は、通院し治療を受けており、無理をすれば住家内では歩行ができる状態である。

(九) 亡宮田コト

亡宮田コトは、明治二二年一二月九日出生以来昭和二八年一月三日死亡するまで富山県婦負郡婦中町上轡田二一番地等の本病発生地域内に居住していた者であるが、大正年間から本病に罹患し、ひとりで寝起きも用便もできなかつた。同二三年頃、同人の足は内側に、その手は外側にそり返つて伸ばすことができない状態であり、死亡時納棺の際には骨が音をたてて折れ、火葬後には骨は紙のようにもろくなつていて、拾えた骨はわずかであつた。

(十) 亡高木ミ

亡高木ミは、明治二七年四月三日生れで、同四四年二月二七日以降昭和三〇年一〇月一三日死亡するまで本病発生地域内の富山県婦負郡婦中町堀二九六番地に居住していた者であるが、同一〇年頃痛みが生じ、当時同人を診察した区師から神経痛と診断された。その後、痛みは強くなり、同一七年頃には常時腕、足、肩甲部が特に痛くなり、ひとりで髪を結うこともできなくなり、同二六年頃から寝たきりという生活が続き、同三〇年痛み止めの麻酔薬を打つてもらつて入院した直後に死亡した。

(十一) 亡高木よし

亡高木よしは、明治二六年四月六日出生以来昭和三〇年一二月八日死亡するまで富山県婦負郡婦中町萩島四七〇番地等本病発生地域内に居住していた者であるが、同二〇年頃から手足がしびれ、大腿部、腰部に痛みを生じ、同二四年頃からあひるのように身体を横に振つて歩くようになり、同二七年頃急に悪化してはうことしかできなくなり、同二八年からは床に就いたままで、食事、用便等全て人の助けをかりていた。火葬後同人の骨は正常人の量の三分の一位しかなく、また麩のような軽い骨であつた。

(十二) 亡赤池志な

亡赤池志なは、明治二三年七月三一日生れで、同三九年一〇月六日以降昭和三一年三月九日死亡するまで本病発生地域内の富山県婦負郡婦中町塚原八三番地に居住していた者であるが、同二二年歩行中につまづき転倒して大腿部の上部を骨折し、それ以来杖を常用したが、ほとんど外出しなくなつた。同二五年頃から同人は痛みを訴えて寝たきりの状態になり、同二九年頃ひとりで用便もできなくなり、「一服もつてくれ」と口ぐせのように訴えていた。火葬後同人の骨はほとんどなかつた。

(十三) 亡箕田キクエ

亡箕田キクエは、明治四〇年一月二〇日出生以来昭和四三年二月七日死亡するまで富山市吉倉六四二番地等本病発生地域内に居住していた者であるが、同二三年頃足、胸部に痛みが生じたので、それ以来治療に専念したが経過は良くなく、同三〇年頃全身の痛みを訴え、あひるのように身体を横にふつて歩くようになり、同三五年頃はがに股になつた。そして健康時に比して身長が短縮し、火葬後頭の骨だけは原形をとどめていたが、その他の骨は紙をちぎつて燃やしたあとのようにばらばらであつた。

(十四) 亡氷見つる

亡氷見つるは、明治三四年一月五日出生以来昭和四四年一〇月一七日死亡するまで富山県婦負郡婦中町広田一、七八六番地等本病発生地域内に居住していた者であるが、同三六年夏頃肋間部に痛みを感じ、次いで腰部から脚部へ痛みが拡がり、同四一年夏頃から杖をついて歩行するようになつた。同四二年一月頃から同人は杖が二本必要になり、同年六月頃立つこともできなくなり、四つばいになつて身体を動かすことしかできなくなり、右足は曲がつたままであつた。

3 以上の被害者らの被つた精神的、肉体的苦痛は到底筆舌に尽し難いが、いまこれを可能な限り述べてみると次のとおりである。

本病患者は、総じて、当初は大腿部、腰部、肩部、背部、膝関節部などに痛みを覚え、次第に悪化してあひるのような歩き方をするようになつた挙句、歩行困難になり、遂には寝たまま身動きもできない状態となり、わずかの体動にも全身に激痛を覚え、片時も苦痛から解放されることのない病床生活を数年間送るうち死んでいく。この一連の経過はまさに生地獄というほかない。

(二) 右の肉体的苦痛以上に患者にとつて耐え難い苦痛がある。すなわち、本病は不治なるが故に業病と呼ばれてきたが、この治療の術もない奇病は本病発生地域の農婦を次々と襲い、嫁も姑もやがて寝たきりのまま前記の如く死亡していつたのである。本病患者は自らの業病の原因も治療法もわからないままに病状が尚一層悪化していくのを知つて、深い泥沼の底へなす術もなくひきずりこまれて行くように思い、その心は得体の知れない死の恐怖におののき、拭つても拭えぬ不安と絶望にさいなまれる。それでも患者は藁をもつかむ思いで病院を転々とめぐり歩き、温泉に行き、あんまにかかり、果ては祈とう師や新興宗教にまで最後ののぞみをかけた。このような生と死の果てしない葛藤にさいなまれることが五年、一〇年、いや二〇年、三〇年の長きに亘つたのであり、これこそが本患者にとつて最も耐え難い苦痛であつたのである。

(三) 本病患者は、医者からはみはなされ、世間からは、呪われた一家のように取り扱われたり、前世がよくないから業病にとりつかれたのだといわれつづけ、家族は患者のいることを世間に隠し、はばかつて生きてきた。本病患者の境涯は日陰者のそれであり、患者は、家族に遠慮し、小さくなり、隠れるようにして生きてきた。患者の一家は呪われた業病に取りつかれた家庭として嫁のきてもなく、また患者のいる家庭の娘の中には患者の世話のために婚期を逸し結婚できないものもいる。

(四) 本病患者の多くは農家の主婦であるが、農家の主婦に課せられる日常の仕事は多く、これを完全に果すことが家庭維持のため最小限度に必要なことであるにもかかわらず、患者は、本病にかかつたが故にこの務めを十分に果すことができず、そのため家庭は乱れ、破壊されていつたばかりでなく、本病特有の症状である全身的疼病、開排制限、心理的圧迫から性生活が不能になるか、または著しく困難になつたし、また患者は自らの身体をもてあまし、自分の生活を自分で満足に処理できなくなり、用便、着替え、結髪、入浴などの日常茶飯事も家族の手をわずらわさねばならなかつた。

(五) さらに、本病は、原因が明らかになつた今日においても、これが根治のための治療法が確立されておらず、したがつて、現に原告であつた氷見つるは本件訴訟追行中に死亡し、原告江添チヨも主尋問期日には手を引いてもらつてどうにか法廷にたどりついたが、反対尋問期日には担架で法廷に運び上げられねばならなかつた。その余の生存患者らは今なお死の危険にさらされ、苦しみつづけているのである。

(六) 本病患者らは死亡しても遺骨を残すことができない。信仰心の厚い富山県民は死後その骨が墓に埋葬されることに死に対する限りない安らぎを覚える。したがつて本病患者はただ単に身体を傷害されただけでなく、自らの死に対する安らぎさえ奪われることを予知させられている。このことは患者から信仰心をも奪うことにほかならず、被告会社の犯した罪の深さは測り知れないといわねばならない。

(七) ここで、被告会社等の本病患者らに対する態度について一言する。

被告会社等は、その放流した廃水および放出させた鉱さいが高原川下流の樹木を枯らし、魚類を死滅させ、そして農作物に甚大な被害を与えていることを知つていながら、被害が人間に及ぶか否かについて調査をせず、なんらの措置もとらず、かえつて事実を隠蔽することに狂奔してきた。これは樹木、魚類、農作物、人間の順序によつて生物に対する故意の殺害行為を行つたものといわねばならない。そして被告会社等は、操業開始以来九〇年に亘り、原因探究のための自然科学者を一人も登場させることなく、かえつて人間の悲惨な被害を前にして、良心的な科学者がようやく本病の原因を明らかにし、いわゆる鉱毒説が確立されてなんぴともこれを争い得なくなつた今日も、なお自己の責任を否認しつづけているだけでなく、自己の責任が明らかになるのを怖れて資料や証拠を隠滅したばかりか、御用学者を動員して真実に反し、因果関係否認のための資料作りに狂奔した。さらに、被告会社は本件訴訟の審理開始後も右の態度を変えず、審理をひきのばすことによつて自己の責任が明確になるのを出来るだけ遅延させようとし、そのため証拠を隠滅したり、文書取寄を拒否したり、にわか作りの沈澱池を裁判所に見分させたりして審理を妨害しつづけてきた。

(八) 被告会社が本件被害者らの犠牲で得る純利益は半年間で一八億円という巨大な金額にのぼつている。

(九) 以上の諸事情を考慮すれば、被害者らの肉体的苦痛を慰藉するのに、いま金銭をもつて評価するならば、少くとも本病に罹患し苦痛のうちに死亡した者については金五〇〇万円、現に同病に罹患している患者については金四〇〇万円を必要とする。

4 したがつて、現に本病に罹患している患者である原告小松みよ、同宮口コト、同大上ヨシ、同清水あや、同数見かすえ、同泉きよ、同谷井ナホエおよび同江添チヨは被告会社に対し各金四〇〇万円の慰藉料請求権を有する。

5 原告らのうち、次の者らは本病に罹患し苦痛のうちに死亡した前記被害者らの各相続人で、いずれも相続により右被害者らの被告会社に対する右慰藉料請求権を取得したものである。すなわち、原告青山源吾は亡宮田コトの子であり、したがつて同人の被告会社に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権を相続によつて取得し、原告高木常太郎は亡高木ミの夫、原告高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斎藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男、同松本みつえはいずれもその子であり、したがつて原告高木常太郎は亡高木ミの被告会社に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権の三分の一に相当する金一六六万六、六六六円、原告高本長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斎藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男、同松本みつえは同じく一二分の一に相当する各金四一万六、六六六円をそれぞれ相続によつて取得し、原告高木良信は亡高木よしの子であり、したがつて同人の被告会社に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権を相続によつて取得し、原告赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝、同赤池慎はいずれも亡赤池志なの子であり、したがつて右原告ら四名は亡赤志なの被告会社に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権の四分の一に相当する各金一二五万円をそれぞれ相続によつて取得し、原告箕田作治は亡箕田キクエの夫、原告茗原照子、同小塚澄子、同箕田昭夫はいずれもその子であり、したがつて原告箕田作治は亡箕田キクエの被告会社に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権の三分の一に相当する金一六六万六、六六六円、原告茗原照子、同小塚澄子、同箕田昭夫は同じく九分の二に相当する各金一一一万一、一一一円をそれぞれ相続によつて取得し、原告大窪みつえ、同田村きみ子はいずれも亡氷見つるの子、原告氷見節子、同氷見忠一はいずれもその子の亡氷見信忠の子であり、したがつて原告大窪みつえ、同田村きみ子は亡氷見つるの被告会社に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権の三分の一に相当する各金一六六万六、六六六円、原告氷見節子、同氷見忠一は同じく六分の一に相当する各金八三万三、三三三円をそれぞれ相続によつて取得した。

ところで、亡高木よしの相続人には、原告高木良信のほかに、高木よしの子の訴外高木義信、同橋詰スヽイおよび亡高木良材の子の訴外高木進、同村井洋子、同高木明美、同和泉千恵子がいるところ、右相続人ら七名は、本訴提起前、もしくは遅くとも昭和四五年一〇月一三日に高木よしが被告会社に対して有した鉱業法一〇九条に基づく損害賠償請求権について遺産分割の協議をなしたうえ、原告高木良信をして右債権の全額を取得させる旨合意した。

仮に、右主張が認められないとしても、同原告は前同日高木義信および橋詰スヽイの両名から右両名が亡高木よしから相続によつてそれぞれ取得した被告会社に対する前記損害賠償請求権の各四分の一の持分を譲り受け、右両名は同年一一月一四日被告会社到達の書面で同会社に対し右債権譲渡の通知をなした。この場合原告高木良信は亡高木よしの慰藉料金五〇〇万円のうち、自己の相続分に右両名の各相続分を加算した金三七五万円の請求権を被告会社に対して有することになる。

また亡赤池志なの相続人には前記四名の原告らのほかに赤池志なの子の訴外大森婦美がいるが、右相続人ら五名も同四三年二月上旬頃、もしくは遅くとも同四五年一〇月一三日に赤池志なが被告会社に対して有した鉱業法一〇九条に基づく損害賠償請求権について遺産分割の協議をなしたうえ、大森婦美を除くその余の相続人である前記四名の原告らにおいて均等に分割してこれを取得する旨を合意した。

仮に、右主張が認められないとしても、前記四名の原告らは前同日大森婦美から、同人が赤池志なから相続によつて取得した被告会社に対する前記損害賠償請求権の五分の一の持分につき、その各四分の一ずつを均等に譲り受け、大森婦美は同年一一月一四日被告会社到達の書面で同会社に対し右債権譲渡の通知をなした。

六  よつて原告らはそれぞれ被告会社に対し右各慰藉料およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四三年三月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告会社の答弁)

1  請求原因一の1の事実中、原告らが神通川流域に居住していることおよび本件イタイイタイ病が存在することは認めるが、その余の事実は不知。

2  同2の事実中、別紙鉱業権目録記載の登録番号第三五一号および第四六四号の各鉱業権の鉱区の所在、岐阜県吉城郡神岡町大字和佐保および同県同郡同町大字茂住所在の被告会社の選鉱場で行つている選鉱、製錬業務の点を除き、その余の事実は認めるが、右除外部分については次に述べるとおりである。すなわち、

前記各鉱業権の鉱区の所在は岐阜県吉城郡神岡町のみでなく、同県同郡上宝村にもわたつており、また鉛鉱および亜鉛鉱等の選鉱は同県同郡神岡町大字鹿間、同町大字和佐保(栃洞)のほか、同町大字茂住ではなくして、同町大字東茂住所在の各選鉱場において行われているのであり、鉛製錬は同町大字鹿間所在の製錬工場においてのみ行われ、亜鉛製錬は同町大字東町所在の製錬工場において行われている。

二  同二の事実中、神岡鉱山は明治七年三井組がその一部を入手し、その後三井組は同二二年茂住、亀谷鉱山を三井物産株式会社から買収して全山を統合のうえ、同二六年に茂住、同三八年に鹿間、昭和一一年に和佐保(栃洞)各選鉱場をそれぞれ完成して操業を開始したこと、右各選鉱場における鉛鉱、亜鉛鉱の選鉱、製錬は明治九年鹿間において比重選鉱および洋式鉛製錬の方法によつて開始されたが、その後同四二年から浮遊選鉱法(当初はポッター式浮遊選鉱法、昭和二年以降は優先浮遊選鉱法。もつとも、浮遊選鉱法が全面的に採用されるに至つたのは昭和三年であり、それまでは比重選鉱法が主体であつて、浮遊選鉱法は補助的に使われたにすぎない)によつて亜鉛精鉱が採取され、大正一〇年ペッツ式鉛電解設備を完成して鉛精製法の基礎が確立され、昭和一八年焼鉱硫酸工場と亜鉛電解工場を完成して、亜鉛、カドミウムの製錬事業が開始されたこと、カドミウムが主に閃亜鉛鉱中に含まれ、選鉱過程において亜鉛とともに採取され、亜鉛製錬工程の中間産物として生産されているものであること、選鉱、製錬の過程から生ずる廃水および鉱さいにカドミウムが含まれていること、大正五年に廃水などの処理のために沈澱池が設けられたこと(ただし、同年以前においても沈澱池は存在した)、昭和六年に鹿間第一たい積場が、同八年に増谷第一たい積場がそれぞれ建設されたこと、同二〇年一〇月八日に鹿間たい積場で、同三一年五月一二日に和佐保たい積場でそれぞれ決壊が起つたことはいずれも認めるが、原告らの主張する地域の住民の生活体験は不知、その余の事実は否認する。

すなわち、神岡鉱業所の廃水や鉱さいの処理がずさんであつたとの原告らの主張は同鉱業所における廃水および鉱さい処理の実態を誤解したものであつて、同鉱業所における選鉱、製錬の過程において生ずる廃水や同過程から生じた鉱さいのたい積場の廃水については、被告会社等は、前記各工場開設以来、次のとおりすべて科学的技術によつて可能な限り清浄化の処理をなしたうえ、これを高原川に放流してきたものである。

1 先ず神岡鉱業所における廃水および鉱さいの処理は次のように行われてきた。すなわち、

(一) 比重選鉱法中心の期間(明治四二年から昭和二年まで)

神岡鉱業所では、昭和三年全泥優先浮遊選鉱法を全面的に採用するまでは比重選鉱法を使用していた。明治四二年以降それまでの間にポッター式浮遊選鉱法、リビンクストン式浮遊選鉱法、エムエス式浮遊選鉱法等を採用していたが、これら浮遊選鉱法は前記のとおりあくまで部分的、補助的なものにすぎなかつた。

当時は、まず、比重選鉱法により鉱物を比較的粗粒に砕き、粒子の比重を利用して鉛鉱および亜鉛鉱を回収し、ついで、これによつてもなお分離回収できない鉱石を浮遊選鉱法によつて選鉱する方法を採つていたのである。

しかして、右の比重選鉱法による選鉱過程から生ずる鉱さいは粗粒であるため、これを処理沈澱池において上澄水と容易に分離することができた。したがつて、神岡鉱業所では当初から沈澱池を設けてこれに廃水や鉱さいを貯溜し、沈降させたうえ、上澄水のみを高原川に放流し、残溜した廃砂(ジガー渣ともいう)は工場の空地等を利用して設けたたい積場に運搬し、たい積した。

また、浮遊選鉱法による選鉱過程から生ずる廃水、鉱さいについては、まず沈降促進剤である石灰を使用しながら廃砂溜めあるいは沈澱槽(シックナーと称する)を経て沈澱池に導き、鉱さいを沈澱せしめた後、その上澄水を高原川に放流した。

(二) 浮遊選鉱法全面採用後の期間(昭和三年以降現在まで)

神岡鉱業所では昭和三年に比重選鉱法を廃止し、これに代えて全泥優先浮遊選鉱法を全面的に採用したが、その後選鉱量が増加するのに対応して在来の廃水、鉱さい処理施設を逐次増設した。この時期に入つてから鹿間および増谷たい積場ができるまでの間、廃水、鉱さいは鹿間においてはまずコーンと称する沈澱槽でサンドとスライムに分け、スライムは石灰投入のうえ、シックナーを経て沈澱池に導き、その上澄水を高原川に放流し、鉱さいは鹿間および六郎地内にたい積して処理した。

その後、発生鉱さい量の増加に伴い同六年に鹿間たい積場を、同八年に増谷たい積場をそれぞれ新設するとともにカロコーンやシックスナーも逐次増設した。右たい積場の設置に伴い鉱さいはサンドもスライムもともに索道で運搬し、サンドは下流側に、スライムは上流側にたい積した。また鉱さいの運搬方式としては、鹿間では同二五年に、茂住では同二九年にそれぞれエムスコポンプによる流送方式に転換し、また鹿間たい積場は同三一年にたい積予定量にほぼ到達したためその使用を停止し、その後は和佐保たい積場を新設して現在に至つている。

(三) 要するに、鉱さい、廃水の処理については平面的な沈澱池方式から立体的なたい積方式へと変遷をたどつたが、たい積場は鉱さいの粒度および量に対応して従来の沈澱池を大型、かつ能率化したものに過ぎず、基本的には両者間に何等の差異もない。

2 次に、たい積場等の状況は左記のとおりである。たい積場は元来鉱さいのたい積、流出防止および廃水の清澄化を目的とする設備であり、行政官庁の厳重な監督下におかれている。したがつて神岡鉱業所の各たい積場の設計、築造および管理については、このような観点から土質、比重、内部摩擦角、浸潤水位、流域面積、最大降雨量その他土木工学上の諸条件を十分考慮するのはもちろん、とくに谷水、降雨等に対する関係では切替ずい道、山腹水路、支流暗渠、盲暗渠、中央排水路等の諸設備を設け、遺漏なきを期している。

また、築堤にあたつては、十分に安全度を見込んで勾配を定め、かつ階段状に造成してゆくが、その作業中は法面と前趾石塊提間に中間貯留所を設けて法面崩壊のような不測の事故に備え、また各法面完成時にはその都度被覆を行つて降雨による法面洗堀の防止を図つている。

なお、たい積場貯水池(スライムポンド)については、常に水位調整に留意し、築堤の強度保持にあたるとともに、廃水については貯水池に常時石灰を継続投入し、その清澄化を図つてきている。

このように神岡鉱業所のたい積場については、鉱さいの流出防止および廃水の清澄化に常時細心の注意が払われてきており、この意味においてたい積場の構造、管理が不完全であつたという原告らの主張は全く根拠がない。

3 さらに、前記のとおり昭和二〇年一〇月八日鹿間たい積場で、同三一年五月一二日和佐保たい積場でそれぞれ決壊が生じたが、これは次のような事情による。

(一) 鹿間たい積場の決壊

この事故は連日の豪雨のため鹿間谷の支流蛇抜谷が飽和して全面的に地すべりし、この土砂が一挙にたい積場に流れ込んだために生じた不可抗力による事故であつた。しかも当時は連日の豪雨のため高原川、神通川とも大増水をきたして奔流と化し、他面、稲作収穫後のことで耕作地には水は不要であるためかんがい用水取水口はいずれも閉鎖状態にあつたと考えられるから、決壊物は耕作地に侵入することなく一気に海に流下してしまつたとみるべきである。

(二) 和佐保たい積場の決壊

この事故に関し原告らは一万五千立方メートルの鉱さいが決壊し、その全量が流出したと主張する。たしかに決壊量は一万五千立方メートルであるが、その決壊鉱さいの大部分は前趾石塊堤までの間に沈積し、一部の鉱さいが流出したにすぎない。その流出量は三、三〇〇立方メートル程度と思われる。

以上の次第で、二つの決壊があつたからといつてこれをもつてただちに被告会社等の廃水や鉱さいの処理がずさんであつたとする原告らの主張は全く失当である。

4 最後に、原告らは被告会社等が降雨の機会を利用して沈澱池の廃水を一気に放流したと主張するが、この沈澱池がいかなる沈澱池を指しているのか不明であるばかりでなく、いかなる沈澱池であろうとも、神岡鉱業所にはそのようなことをする必要はなかつたし、またそのような事実もない。

三  同三の因果関係が存在することは否認する。

同三の冒頭部分は全体として否認する。

1 同三の1の事実中、神通川水系の用水が、本病発生地域一帯の水田をかんがいし、また同地域住民の生活用水に使用されていることは不知、その余の事実は認める。

2 同三の2の冒頭部分中、前記のとおり廃水および鉱さいにカドミウムが含まれていることは認めるが、その余の事実は否認する。

すなわち、被告会社等は前記のとおり廃水および鉱さいについては可能な限り清浄化の処理をなしたうえ、高原川に放流してきたものであり、したがつて、同河川の下流地域に対して汚染といえる程度の悪影響を及ぼしてはいない。このことは神通川の河川水中のカドミウム濃度がアメリカ合衆国における飲料水の水質基準0.01p・p・m(昭和四四年三月厚生省が決定した飲料水のカドミウム暫定基準と同一である)のさらに一〇分の一以下であることを厚生省も認めているところから明らかであり、まして過去においては神岡鉱業所の廃水量が現在より格段に少なく、したがつて、河川水による稀釈率もさらに大であつたことをもちあわせ考慮するならば一層明らかである。

(一) 同三の2の(一)の事実は不知。

(二) 同(二)の事実中、財団法人日本公衆衛生協会イタイイタイ病研究班が昭和四二年七月下旬神通川本流水系の河川水、被告会社の神岡鉱業所の工場排水、川床、および同工場排水口直下の泥土を採取し、分析したこと、右調査報告に原告ら主張どおりの数値の記載があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

なお、原告らは右調査報告の記載のうち故意に自己に有利なもののみを援用しているうえ、同報告にはたい積場の浸透水という用語は使用されていないし、浸透水にカドミウム等の重金属類が多量に含まれている旨の記載もない。

(三) 同(三)の事実は不知。

3

(一)

(1) 同3の(一)の(1)、(3)、(5)の各事実はいずれも不知。

なお、カドミウムが本病発生地域と同程度に土壌、飲食物に存在する地域は、日本でも他に宮城、群馬、長崎、大分等の各県に存在するといわれているのであるがこれらの地域には本病が発生していない。このように、本病発生地域とカドミウムの存在関係において近似した他地域に本病が発生していないということはかつてカドミウム原因説が地域的限局性を説明しえないことを意味するのみならずカドミウムが本病の原因であることを最も強く否定する根拠となるものである。

(2) 同(2)の事実中、農民が神通川鉱毒対策協議会を結成して被告会社の神岡鉱業所と農業被害の補償につき交渉したこと、昭和二七年協定が成立し現在に至つていることはいずれも認めるが、農業被害発生地域の農民が三井鉱山株式会社、国および富山県のそれぞれに対して鉱毒防止対策という名目で対策を要請したこと、同一八年七月農林省小作官石丸一男、農事試験場技師小林純の両名が農業被害の実態と原因を調査したこと、右両名が農業被害の原因が三井鉱山株式会社神岡鉱業所の廃水と鉱さいの処理にあることを確認し、同鉱業所に対し除害施設の改善および施設運用の完壁を期するよう要請したことはいずれも不知、その余の事実は否認する。

すなわち、前記のとおり昭和二七年神通川鉱毒対策協議会、被告会社および富山県の三者の間に協定が成立し、被告会社が毎年若干の金額を同県に支払い、同県は右協議会と協議のうえ、右金員を分配する旨が定められ、爾来数回の更新を経て現在に至つた事実はあるが、被告会社は神岡鉱業所における操業によつて農作物の減収を来さしめたことを認めてこの協定に応じたものではない。そもそも神通川流域の農地の収穫が他の地方に劣るとすれば、それは冷水と肥効劣性土砂の流入によるものである。すなわち、原告らも主張するとおり、神通川は源を日本アルプスに発し、両岸の峻嶮な峡谷の間を流下する関係上、同河川水の水温は著しく低いうえ、発電用ずい道が各所に設けられたことから、河川水は、これらの長いずい道を通過する間太陽によつて暖められることがないので水温がさらに低下し、そのためにかんがい期に稲作に必要な水温を維持することができないのである。しかも流域の農地は沖積土壌で、表面から一五ないし二五センチメートル下層は砂礫土壌であり、農地にかんがいした水はたちまち下層に吸収せられて水田に滞留しないから、常時かんがい水を掛け流す必要があり、そのため冷水害を一層増大する結果となるのである。また高原川水系一帯は急峻な山岳地帯であるため、古来、大雨による崩壊土砂の流入がはなはだしかつたが、右土砂は極めて肥効劣性であるから、この土砂の流入した水田の地力が低下することは当然なのである。神通川は昔から荒川であつてしばしば氾濫を繰返し、上流からの崩壊土砂の流入がはなはだしく、そのために下流のかんがい水田にしばしば被害を与え、この地方の農民に脅威を与えていたのであつて、これらの生活体験が農民をして水田水口に砂溜めを崩壊土砂の流入防止のために設けさせたものとみるべきであり、したがつて砂溜めは決して鉱毒流入防止のために設けられたものではないのである。このことは、この砂溜めが古く神岡鉱業所の操業以前から存在し、かつ神通川水系のみならず常願寺川水系にも存在する事実からしても明白である。また神通川下流の水田地域の農民はしばしば水害および旱魃によつても悩まされていたのである。

このように、神通川流域の農地の収穫が劣るとすれば、以上のような原因によるのであつて、被告会社の神岡鉱業所の操業に原因があるのでは決してない。しかし、被告会社は富山県内においても事業を営んでいることから、同県内の農業団体との友好関係を保持することおよび地域農業振興の助成の趣旨をもつてなされた同県当局の熱心なあつ旋に応じて全く政治的考慮のもとに前記三者間の協定を結んだに過ぎないのである。

(3) 同(4)の事実は否認する。

本病発生地域の住民には栄養、気候、労働条件について特記すべき事情がある。すなわち、

先ず、栄養の点であるが、富山県の昭和三〇および三一年の現地栄養調査成績報告書によれば、同三〇年九月三〇日第一回の当地区および本病患者家庭について行われた栄養調査の結果から数々の不合理な食生活の実態を認められたことが報告されており、ことに患者家庭での栄養摂取の悪かつたことが指摘されている。そして右調査後、同県はこの地方の住民の食生活改善指導の必要を認めてその実施にあたつてきているのであるが、同三一年には前年に比し肉類、卵、蛋白等の摂取について著しく改善されたことが報告されている。ところで、食糧事情は同三〇年には既に一般に好転していたのであるが、この時期においてさえ患者家庭の栄養摂取状況が同県の報告どおりであつたとすれば、それ以前、ことに戦中、戦後における患者家庭の栄養摂取がいかに低かつたかは容易に推察できるところである。

なお、このことは財団法人河野臨床医学研究所の河野稔医師らおよび前金沢大学医学部放射線医学教室の中川昭忠が行つた調査からも十分うかがわれるところである。そして、栄養摂取の不足ないし不均衡は農家の中で、特に主婦にしわ寄せされており、栄養の点を本病の発生に関し無視することはできないのである。

次に、気候および労働条件の点であるが、前記河野稔医師らの調査によれば、富山県の年間晴天日数および日照時間は少なく、冬期にはモンスーンによる降雪が多く、表日本の気候とは全く逆であることが明らかにされているのである。もとよりこれらの気象条件そのものは北陸地方一帯に共通の現象であつて、本病発生地域特有の現象ではないにしても、右の気象条件が全国平均の約二倍という耕作反別をもち単作地帯であるこの地方の農民をして短期間の農繁期にどうしても過労働せざるをえない宿命的状態に追いこんでいることもまぎれのない事実で、本病発生地域の農民の過労働が一般農民のそれと比べて彼此はなはだしい差があるといわねばならず、これらの点も本病の発生に関し無視することはできないのである。

以上、要するに、栄養上、気候上等他と比較して特段の差はないとする原告らの主張は誤りといわねばならない。

(二) 同3の(二)の事実は不知。

原告らは本病発生地域の生活環境ことに水田土壌や農作物等が重金属、ことにカドミウムによつて汚染されていると主張する。しかし、昭和四四年三月発表の厚生省調査によれば、鉱山製錬所所在地である宮城県栗原郡鉛川、二迫川流域、安中市周辺碓氷川、柳瀬川流域および長崎県下県郡佐須川、椎根川流域においては、水田土壌中のカドミウム濃度は平均値、最高値ともに神通川流域のそれより高いことが認められ、また、前記調査では、農作物ことに米中のカドミウム濃度については右各流域は神通川流域より低いとされているが、最近行われた富山県農業試験場の調査では、本病発生地域の米中の平均カドミウム濃度は厚生省発表の数値よりもはるかに低く、前記各流域とほとんど差異がないことが明らかになつており、結局右各流域のカドミウム濃度は本病発生地域のそれに比し同等または上まわつているが、それにもかかわらず右各流域には前記厚生省調査によつても直ちに本病が発生する危険があるとは考えられないとされているのであり、このことからみると、本病発生地域に仮にカドミウムによる環境汚染があつたとしても、その汚染を直ちに本病の発生に結びつけることはできないのである。

また、原告らは本病患者の体内に多量のカドミウムの蓄積があつたと主張するが、およそ自然界には土壌や水中に微量のカドミウムが広く分布し、この微量のカドミウムが動植物の生育過程において体内に摂取され、蓄積し、排泄される等の現象がみられるのであり、人間にも当然カドミウムは摂取され、ことに日本人のカドミウム摂取量はアメリカ人に比べ多いとされており、文献によれば日本人の成人の腎臓中には灰分重量比で数百ないし数千p・p・mのカドミウムが含まれているとされている。したがつて、カドミウムが体内に蓄積するということが直ちに健康に悪影響を及ぼすものとは見られていないのである。

(三) 同3の(三)の事実は不知。

原告らはカドミウムの投与による動物実験によつて本病類似の骨疾患の生ずることが認められたと主張する。

しかしながら右動物実験については次の疑問がある。

まず、骨軟化症とか骨粗しよう症というような骨の代謝性疾患の実験を行う場合には、これらの疾患には栄養状態ということが非常に関係するので栄養に十分注意を払う必要があり、このため実験群と対照群の栄養状態を同一にするいわゆるペアードフィーディングが採られねばならない。すなわち、動物実験の結果がカドミウムを投与したことにより生じたものか、あるいは栄養の低下によるものであるかが判別されねばならないのである。

しかし、原告らの主張する動物実験においては、ペアードフィーディングが採られていないことが明らかであり、科学的価値を認めることができないのである。

次に、およそ動物実験において経口摂取による慢性重金属中毒症と判定する場合は、摂取飲食物に含有されたと推定される量に見合う当該重金属を実験動物に経口投与し、実験的中毒症を確認する要があるとされているところ、原告らが援用する動物実験は明らかに現地の実情を無視した高濃度のカドミウムを用いたものである点において不適当、かつ非科学的なものであつて、このような動物実験の結果として骨に脱灰現象が認められたからといつて、これが直ちに本件における本病の原因の探究に適合した実験とはいい得ないのである。

ところで、岐阜県立医科大学公衆衛生学教室の広田昌利が神岡鉱業所の工場廃水カドミウム濃度0.01ないし00.6p・p・mを用いて約一〇か月ないし四年間継続してラッテおよび家兎に経口投与を行つた動物実験では、レントゲン線学的検索および病理組織学的検索のいずれの結果からもなんらの異常所見を認められなかつた。しかも神岡鉱業所の工場排水は河川に入ると、河川の流水量によつて差はあるけれども、平水時においては約一〇〇倍に稀釈されて下流に至るのであり、したがつて、工場廃水の直接投与による実験でさえなんらの異常も認められなかつた以上、右のように稀釈された廃水が生体に影響を及ぼすとは考えられないことが明らかといわねばならない。

次に、被告会社の神岡鉱業所の神岡病院長富田国男らは、家兎を用い、カドミウム一p・p・mの固形食およびカドミウム一〇p・p・mの水一〇〇ミリリットル(一日当り)を用い、それぞれ経口的に長期間摂取させて観察中であるが、一年経過時における測定成績からは骨障害等なんらの異常兆候も認めていないのである。

さらに、岡山大学医学部整形外科教室の前原毅は、前記小林純教授の行つた動物実験を追試する目的でカドミウムを含む低カルシウム飼料の長期摂取がカルシウム代謝および骨組織にいかなる影響を及ぼすかの動物実験を行つたが、その結果では骨そしよう症はみられるが、骨軟化症にみられる類骨組織の形成は認められなかつたのである。

また、カドミウムを投与した動物実験については、海外にも多くの報告例があるが、そのいずれも骨軟化症の発生について記載していない。

以上、要するに、カドミウムを用いた動物実験においてもなんらの骨異常が認められず、また骨異常が認められた場合にも、それは単に骨粗しよう症の像に過ぎず、骨軟化症でないという報告が存在しているのであり、他方原告らが援用する動物実験がペアードフィーディングが採られていないうえ、現実から遊離したた動物実験である点を考えあわせれば、原告ら主張の動物実験をもつてしては本病類似の骨疾患が認められたことの根拠とすることはできない。

4 同4の事実は否認する。

以下、本病の病理機序に関する原告らの主張が根拠のない所以を述べる。

(一) 一般に、重金属は、特殊なものを除き、経口摂取の場合は通常吸収されにくく、また生体内に蓄積しにくいものとされ、また有毒重金属類は動植物食品に多量含有されることも少なく、流水に高濃度含まれて飲用に供されることもなく、したがつて、特殊環境下の経気道吸収で発生する職業性疾患などの場合は別として、慢性重金属中毒症は、たとえ環境汚染がある場合でも、飲食物を介して容易に発生するものではないとされているが、本件においても本病発生地域における米中の平均カドミウム濃度は昭和四三年産米八八点につき富山県農業試験場が調査した結果では、玄米で0.6p・p・m、白米で0.5p・p・mであつて、この濃度は厚生省が発表している数値の半分以下であり、前記石崎有信教授も当該現地の米中のカドミウム濃度は、ほとんどが一p・p・m以下であつて、人体に影響がないとしており、また、前記小林純教授は原告らが飲用に供したとする神通川の川水中のカドミウム濃度について往時といえども年間を通じて0.01p・p・mであつたと推定しており、このことは神戸大学教授喜田村正次の流水中に高濃度の重金属が絶えず流下しているようなことはないという見解と一致しているのであつて、本病発生地域における飲食物、なかんずく摂取量の点からみてその大宗と目される米または水の中に含まれているカドミウムの量は、人体に影響をもたらすほどの量ではないのである。

また、経口摂取の場合の体内カドミウム吸収率は前記喜田村正次教授および富田国男医師の動物実験の結果によれば、ともに約一ないし二パーセントに過ぎないとされ、ことに米中のカドミウムはフイチンと結合しているので吸収され難いとされているのであるから、このことに前記飲食物中に含まれているカドミウム量とをあわせ考えると、経口摂取によつて人体障害が生ずるほどのカドミウムの吸収蓄積は到底考えられないのである。したがつて、多年の摂取によつてカドミウム等の蓄積量がしだいに増加したとの原告らの主張は事実に反するし、また中毒学上の常識として、生体への重金属の蓄積は摂取期間に比例して無限に蓄積されるものではなく、摂取飲食物中の濃度に応じた一定の蓄積限界があるとされていることからも原告らの右主張の誤りであることが明らかである。

次に、たとえカドミウムが人体に摂取された場合でも、その大部分は尿や屎の中に排泄されるといわれているのであり、カドミウムが体内に摂取されると排泄されないまま体内に蓄積されるとする原告らの主張もこの点を見誤つているのである。

このように、一般に慢性カドミウム中毒症は飲食物を介しては容易に発生するものではないとされているにもかかわらず、本病患者が原告ら主張のように飲食物を介して発生したとするならば、むしろ原告ら本病患者の生体側の条件でカドミウムの吸収が異常に高められた結果であるとみるほかないのである。

なお、原告らはカドミウムが腎臓に蓄積する根拠として、本病患者の体内とくに腎臓に多量のカドミウムが蓄積されていることおよび尿中カドミウム排泄量の多いことをあげているが、シュレーダーの報告による正常日本人の腎臓中のカドミウム量と比較すれば、本病の死亡患者の腎臓中のカドミウム量はむしろ低い値であり、また富田国男医師が健康人の尿中カドミウム排泄量について調査した結果では、それは本病患者の平均尿中カドミウム排泄量とほとんど差異が認められなかつたのであり、原告らの主張する事実はカドミウムが腎臓に蓄積していることの根拠にならないのである。

(二) 次に、原告ら本病患者に腎尿細管の機能異常が認められるとしても、それが慢性カドミウム中毒によるものであるか否かが明らかにされてはいないのである。すなわち、

(1) およそ人の慢性カドミウム中毒例について多数の報告が現われたのは一九四〇年以後、おもに欧州においてであるといわれている。しかしながらこれらの報告はいずれもカドミウムメッキ、蓄電池製造工場、カドミウム合金製造またはこの合金による溶接作業場におけるいわば特殊作業環境の下で、しかもカドミウムの熱処理に際して発生する酸化カドミウムの粉塵または蒸気の形で経気道的にカドミウムが体内に摂取された場合の報告であり、本件の場合と比較して環境条件およびカドミウムの摂取経路を全く異にするのである。

(2) 他方、アメリカ合衆国においては、一九四七年にプリンシは、カドミウム精錬工について調査したが、歯に黄色の輪状変化がみられる以外何の症状もなかつたと述べ、さらに動物実験で犬にカドミウム粉塵を慢性的に吸入させても著変がなかつたと報告している。またエルキンスは慢性カドミウム中毒に関する記載の中で「慢性カドミウム中毒はまだ決定的に証明されていない。アメリカ人の何人かの権威者たちはその発生に疑問を持つている」と述べている(一九五九年)。このようにアメリカ合衆国においてはむしろ慢性カドミウム中毒の存在については否定的ないし懐疑的であり、前記の欧州におけるそれと著しい対照を示しているのである。

このような状況だから、東京大学医学部の公衆衛生学者鈴木継美らは、今日、カドミウム中毒の本態については何もわかつていないというのが実態であろうと結論づけているのである。

(3) 経気道による慢性カドミウム中毒症でさえこのような有様である。ましてや、一般生活環境下で経口摂取によつて慢性カドミウム中毒症が発生したとの報告は、国の内外を問わず、今日まで皆無であるから、この場合の症状がいかなるものであるかについては実証的にはほとんど何もわかつていないのが実情である。

そして、また摂取経路がどのような場合であつても、慢性カドミウム中毒の共通的特徴として、通常の腎障害の場合に尿中に出現する蛋白とは異なる極めて低分子の蛋白の出現があげられるが、本病患者には右の蛋白の存在さえ明確になつておらず、単に蛋白尿があつたというだけで直ちにそれが慢性カドミウム中毒によるものとはいい得ないのである。

(4) 本病のような広範な腎尿細管の機能障害をきたすものとしては種々の原因が考えられるが、原告らが主張するようにその原因が重金属であるといいうるためには、

ア このような重金属類による水や土壌の汚染の結果として地域的な腎機能障害が起りうるか、

イ 本病発生地域にこれらの中毒を起し得るような水、土壌の汚染や、患者体内への蓄積がみられるか否か、

ウ 本病の腎機能障害が重金属類ですべて説明できるか否か等の問題が肯定されなければならないのである。

先ずアについては、一般に有機化合物以外の重金属塩は極めて経口吸収が悪いこと、動植物性の食品には重金属類が多量に含まれていないこと、流水中に高濃度の重金属類が絶えず流下するというようなことはないことから慢性カドミウム中毒が食品あるいは飲料水を介して経口的に発生することはほとんどないといわれており、イについては、前記石崎有信教授は本病発生地域の土壌、農作物(米、大豆)中の重金属類、とくにカドミウムは必ずしも中毒をきたすほどの量とは考えられないとしており、前記のように本病患者のカドミウムの体内蓄積量が正常の日本人のそれに比べて決して高いと認められていないし、また仮に本病患者の体内蓄積量が異常に高かつたとしても、単に体内から異常に多量の重金属類を検出しただけで、ただちに重金属中毒症だと断定するのは早計であるといわねばならず、結局イも否定されることになり、ウについては本病が純粋の重金属中毒であるならば、子供に発生するはずにもかかわらず、発生していないことや、腎機能障害ということが女性だけに起るということが不自然であること等なお幾多の基本的な疑問が投ぜられているのであり、したがつてウも肯定できないから、原告らが主張するように本病のような広範な腎尿細管の機能障害をきたす原因が重金属類であるとは到底いえないわけである。

(5) また、原告らは前記石崎有信教授および富山県衛生研究所の動物実験によつて腎病変が生じたと主張するが、これらの実験でいずれも三〇〇p・p・mのカドミウムを含む飲食物が投与されている点はそれが現地の実情を無視した不適当、かつ非科学的な実験であることは既に述べたところであり、石崎有信教授が述べているように短期間で実験結果をうるためにやむを得ず高濃度にカドミウムを投与したものであるにしても、その結果をただちに人間に対する低濃度、かつ長期間の侵襲にあてはめるのは考え方として飛躍があるのである。

これに対し、デッカー、アンワー、富田国男医師、広田昌利教授等の低濃度による動物実験においては、いずれもカドミウム中毒症は現われなかつたと報告されているのである。

(三) 最後に、腎尿細管の再吸収機能の障害があれば、いかなる機序で骨病変が起るかという点はなお医学上明らかにされていない。

この点につき原告らは、今日腎尿細管の機能障害から骨病変への発展はファンコニー症候群として医学常識となつていると主張する。しかし、仮に、ファンコニー症候群と呼ばれる症候群の存在が医学上の常識であるとしても、腎機能障害があれば必然的に骨病変まで及ぶということまで医学上の常識になつているか否かは次のとおり疑問がある。

(1) 前記石崎有信教授は単に腎臓の再吸収機能が低下するためカルシウムの体外流出が多くなるという考えでは腎障害から骨症状へ発展するメカニズムの説明がつかない点があるとしている。

(2) 前記武内重五郎教授は外国において経気道による慢性カドミウム中毒の腎病変が認められても骨病変を呈したという例は極めてまれであることや、カドミウムを大量に含む薬を飲んでいた女性でも腎病変はあるが骨の変化はなかつたことにより、結局腎臓に病変が起つてもそれだけでは必ずしも骨にまで変化を起すとは限らないとし、また、ファンコニー症候群は、本質的なものは腎尿細管の機能障害ということであつて、ファンコニー症候群であるから必ず骨の変化があるとは限らないとしているのである。

(3) 前記河野稔医師は、本病がファンコニー症候群であるならば、ファンコニー症候群は子供に先天的にあるものであるから子供にも起る筈であるにもかかわらず、子供にも男性にも起らず、女性だけに起つているのはいかにも不自然であるとしている。

(4) 前記前原毅教授は前記動物実験の結果における多量の脱カルシウムが腎尿細管の機能障害のみによつておこるとは考え難いとしている。

(5) 原田章博士は、骨の変化についての報告はニコーとゲルベイの文献にあるのみであり、これらもカドミウムとの関連づけが非常に稀薄であつて右報告に疑問をなげかけている者もあるのみならず、また、カドミウムを古くから使用している国においても骨の変化に対する報告がなく、したがつて、カドミウムによつて骨の変化が生ずるか否かははつきりしないとしている。

(6) 前記富田国男医師も、最近フランスのエペ等は慢性カドミウム中毒における骨病変を否定したし、またポットは慢性カドミウム中毒患者を長期間観察してカドミウム中毒の蛋白尿は健康に明らかな影響を及ぼすことなく長年月排出されうると述べていることから考えると、慢性カドミウム中毒において腎尿細管障害が生じても、これからただちに骨病変に進展することはないとしているのである。

以上のように、腎尿細管障害と骨病変との関係は、今日必ずしも医学上明確になつているとはいい得ないのである。

5 なお、原告らは、本病発生の病理機序に未解明の部分が存するとしても、因果関係の存否の確定に影響はないとし、結核と本病を対比させ、結核の病理機序には今日いまだ幾つもの疑問が残されているとはいえ、結核という疾患の原因が結核菌にあることはなんぴとも疑わないところであり、これと同じように本病の病理機序に将来なお解明されるべき疑問があつたとしても、そのことの故に本病の原因物質がカドミウムであることを否定することはできないと論じている。しかし、原告らの右主張は結核と本病を全く同律に論じようとするもので誤りである。すなわち、結核については今日その原因が結核菌であることは科学上明白であつて、仮に、ある特定地域で結核が多発したという事件が発生した場合は、結核菌がどこから来たか、いかなる経路を経て当該患者に感染したかの感染源と感染経路がこの場合主要問題となるあろう。これに対して、本件訴訟の場合は、カドミウムが飲食物を介して経口的に人間に摂取された場合に果して腎尿細管の機能障害からひいては骨軟化症が惹起されるか否かが因果関係の存否の確定の上で中心的争点の一つとなつているのである。つまり、結核の場合はその原因が結核菌であることは科学的な一般法則として既に確定されているのに対し、本件訴訟の場合は経口的に摂取されたカドミウムによつて果して骨軟化症が惹起されるか否かの一般法則そのものが争われているのである。しかして、本件訴訟において右の一般法則の解明と病理学的メカニズムの問題が密接、かつ不可分の関係にあることもまた明らかである。要するに、結核と本病を同律に論ずることが誤りであつて、本件においては右の病理学的メカニズムを明らかにすることが因果関係の存否の確定の上で必要である所以である。

6 原告らの主張する動物実験がいずれも現地の実情を無視した不適当、かつ非科学的な実験であり、その結果を直ちに人間に対する低濃度かつ長期間の侵襲にあてはめることができないことは既に繰返し述べたところである。

7 最後に、因果関係に関する被告会社の主張を補足する。

前記のとおり、本病発生地域の住民には、栄養、気候、労働条件等について特記すべき事情があるが、さらに本病患者には次の諸要因が加わつていた。

先ず、本病患者には多産の傾向がみられる。そして出産の場合胎児の骨構成のためのカルシウムの約三〇パーセントは母体の骨格から供給されるといわれており、したがつて本病患者は妊娠、出産を重ねているうちに母体からカルシウムが次第に喪失されるに至つたのであり、これに前記の栄養の点、特にカルシウムの摂取不足が加わつた結果として、本病患者にはカルシウムがはなはだしく不足していたのである。

しかも、更年期を過ぎた女性および老令の男性は、一般に、骨粗しよう症になりやすく、ことにカルシウム不足の状態にある場合にはその傾向が強いとされ、本病患者の場合も骨粗しよう症のあることが認められているのであるが、これは生理的現象ともいうべき更年期骨粗しよう症または老人性骨粗しよう症がカルシウムの不足によつてさらに一段と促進されたものとみられるのである。そして、骨粗しよう症の場合も、その疼痛あるいはささいな外力による骨折等のため、患者はしばしば臥床を余儀なくされることが一般に知られている。したがつて本病患者の場合もその例外でなかつたであろうことは容易に推測されるところであつて、右臥床期間は一般に長期にわたり、しかも右期間中の日照不足、運動不足や疼痛等による食欲減退ないし不振からついには栄養失調状態に陥り、骨軟化症状を呈するに至つたものと考えられる。

また富山県にはくる病、骨軟化症が多いと一般にいわれているが、この事実は右に述べた栄養を基盤とする諸要因の絡み合いが骨疾患の形成に重大な関係があること、およびこれら諸条件が不幸にも重畳的に積み重なることによつて骨疾患を発生せしめるおそれのあることを十分に示唆しており、現に本病の発生が社会・経済状態の安定とともに著減している事実は何よりもこのことを裏付けているものといわざるを得ない。それ故、これらの点を総合して科学的に判断することが必要なのであつて、これをなさないで本病の原因がカドミウムであると断定することは到底許されるところではないのである。

四 同四の事実中、被告会社が昭和二五年五月一日従前の鉱業権者から鉱業権を譲り受けたことは認めるが、その余の事実は争う。

1 同五の1の事実は不知。

2 同2の事実中、原告らが神通川流域に居住していたことは認めるが、その余の事実は不知。

3 同3の事実は全体として否認する。

4 同4および5の各事実中、訴外高木義信、同橋詰スヽイ、同大森婦美が被告会社にそれぞれ債権譲渡の通知をなしたことは認めるが、その余の事実は不知。

第三証拠〈略〉

理由

第一  当事者

原告らがいずれも神通川流域に居住してきた者であること、本件イタイイタイ病が存在すること、被告会社は、三井鉱山株式会社(明治四四年一二月一八日設立)の金属部門が昭和二五年五月一日企業再建整備法に基づき分離独立したもので、当初、神岡鉱業株式会社と称していたが、同二七年一二月一日現在のように商号を変更したものであること、被告会社が別紙鉱業権目録記載(ただし、右記載中、登録番号第三五一号および第四六四号の各鉱業権の鉱区の所在に関する部分を除く)の各鉱業権を有し、その取得の経路および原因が同目録に記載のとおりであり、そして同会社は右の各鉱業権に基づき、岐阜県吉城郡神岡町、同県同郡上宝村、同県大野郡荘川村、富山県上新川郡大山町にわたる鉱区において主に鉛、亜鉛原鉱を採掘し、神通川上流の高原川の沿岸に所在する同会社神岡鉱業所内の鹿間選鉱場、和佐保(栃洞)選鉱場および茂住選鉱場において鉛鉱、亜鉛鉱の選鉱を行い、同鉱業所内の製錬工場において鉛、亜鉛の製錬を行つているものであることはいずれも当事者間に争いがなく、そしていずれも成立に争いのない甲第一九および第二〇号証によれば、別紙鉱業権目録中の登録番号第三五一号および第四六四号の各鉱業権の鉱区の所在はそれぞれ岐阜県吉城郡神岡町および同県同郡上宝村であることが認められ、したがつて、被告会社は鉱業法にいわゆる鉱業権を有し、これに基づき鉱物の掘採とこれに附属して選鉱、製錬を行つている鉱業権者というべきである。

第二  原因たる事実

一〈証拠〉によれば、神岡鉱山は養老年間(西暦七二〇年頃)に黄金を産出したとの伝説があるが、一般には天正一七年(同一、五八九年)茂住宗貞が開山したといわれ、徳川時代(同一、六〇〇年頃)には天領となり、文化一四年(同一、八一六年)前平坑が御手山(幕府直轄鉱山)として稼行された記録があり、明治初年新政府による鉱山開発の勧奨もあつて稼行者が一二〇余名であつたと伝えられ、露頭部付近の冨鉱部分のみを掘採する小規模な経営が行われていたことが認められ、そしてその後三井組が明治七年に神岡鉱山の一部を入手し、同二二年に茂住、亀谷鉱山を三井物産株式会社から買収して全山を統合したうえ、同二六年に茂住、同三八年に鹿間、昭和一一年に和佐保(栃洞)各選鉱場をそれぞれ完成して操業を開始したことは当事者間に争いのないところである。

二ところで、右各選鉱場における鉛鉱、亜鉛鉱の選鉱、製錬は、明治九年鹿間において比重選鉱法および洋式鉛製錬の方法によつて開始され、同四二年からポッター式浮遊選鉱法が採用されたことは当事者間に争いがなく、そして〈証拠〉によれば、前記ポッター式浮遊選鉱法(その後さらにリビングストン式およびエムエス式各浮遊選鉱法)が採用された後も、昭和三年までは、比重選鉱法が右各選鉱場における主たる選鉱法であつたもので、比較的粗粒に砕かれ、鉱石から、先ず、粒子の比重を利用して鉛鉱、亜鉛鉱が回収され、この比重選鉱法によつてもなおかつ分離できない鉱物が浮遊選鉱法によつて選鉱されていたのであり、そして昭和三年に比重選鉱法が廃止され、全泥優先浮遊選鉱法が全面的に採用されて今日に至つていること、鹿間および栃洞各選鉱場においては栃洞坑産出の鉱石が、茂住選鉱場においては茂住坑産出の選鉱がそれぞれ処理されているが、右鉱石は、まずクラッシャーによつて粗砕され、ボールミルによつて微細に粉砕されて第一の攪拌槽に送られ、同槽中で試薬を加えられて攪拌、混和されたうえ、鉛浮遊選鉱機に導かれると、先ず鉛精鉱が優先浮遊する。次に残余の鉱泥は、第二の攪拌槽において試薬を加えられ、攪拌されたうえ、亜鉛浮遊選鉱機に送られると、亜鉛精鉱が優先浮遊する。このように浮遊した鉛精鉱および亜鉛精鉱は、いずれもフィルターによつて脱水され、鉛精鉱々舎および亜鉛精鉱々舎にそれぞれ導かれた後、製錬所へ送られるものであること、大正一〇年にはべッツ式鉛電解設備が完成されて鉛精製法の基礎が確立された(この点は当事者間に争いがない)こと、ところで、選鉱工程から産出される鉛精鉱は前記のとおり古くから鹿間で製錬されてきたが、亜鉛精鉱は、大正二年に三池亜鉛製錬所が建設され、その全量が同製錬所に送られるようになるまで、国内には亜鉛製錬所がなかつたため、全量をドイツへ輸出していたけれども、昭和一八年焼鉱硫酸工場と亜鉛電解工場とが完成され(この点は当事者間に争いがない)、神岡鉱山で亜鉛製錬事業が開始されるに至つて、神岡鉱山産出の亜鉛精鉱の三分の一は同鉱山で処理され、その三分の二が従前どおり三池亜鉛製錬所へ送られるようになつたが、現在においては神岡鉱山で一〇分の九が処理されていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

三右認定のとおり、鉛鉱、亜鉛鉱の選鉱、製錬が神岡鉱業所で行われてきたのであるが、原告らは、被告会社等が右選鉱、製錬の過程において生ずるカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類を含有する廃水および同工程から排出され、たい積された鉱さいから浸出する前同様の廃水を神通川の上流である高原川に放流し続け、またたい積された鉱さいが雨水によつて右高原川に流出するのを放置していたと主張し、被告会社は原告らの右主張事実を争い、原告ら主張の廃水について被告会社等はその各工場の開設以来、すべて科学的技術によつて可能な限り清浄化の処理をなしたうえ、これを高原川に放流してきたと主張するので、以下この点について判断する。

生産工程略図

1〈証拠〉によれば、今日、神岡鉱業所において行われている鉱石の採掘から選鉱、製錬までの操業系統は左の生産工程略図に示すとおりであり、同鉱業所の廃水、鉱さいの処理ないし管理状況については次の事実を認めることができる。すなわち、

先ず、坑内廃水は栃洞坑および茂住坑の廃水があり、栃洞坑上部の坑内廃水は旧鹿間たい積場最上端のポンドに導水し、清澄化して鹿間工場(鹿間選鉱場および鹿間鉛製錬工場等)の用水として使用され、栃洞坑下部の坑内廃水は排水溝に導かれるが、この坑内排水には清澄水と坑内作業による汚濁水があり、前者はそのまま前記鹿間工場の工場用水として供給され、後者は坑内沈砂池、坑口沈砂池、坑外中間沈砂池を経て清澄化され、さらに微粒汚濁分を除去するため、選鉱場廃水を処理するシックナー(超微粒子の沈澱装置)に導き、石灰乳を注入しながら清澄化したのち、硫酸工場の冷却水として使用されている。また、茂住坑の坑内廃水は濁度が少なく、また重金属イオンも溶出していないので、一部が工場用水に使用されるほかは、付近の谷川へ直接または増谷たい積場の山腹水路を経て放流されている。

次に、前記のとおり選鉱場では坑内から搬出されてきた鉱石を処理して鉛精鉱および亜鉛精鉱が採取されるのであるが、栃洞、鹿間各選鉱場においては栃洞坑産出の鉱石が、茂住選鉱場においては茂住坑産出の鉱石がそれぞれ処理されている。ところで、右各選鉱場において鉛精鉱、亜鉛精鉱を浮遊選別した後の尾鉱は沈降促進剤としての石灰乳を注入しながらカローコーンおよびシックナーによつて超微粒分まで沈澱させたうえ、溢流清澄水は工場用水として供給され、残余水は高原川に放流される。そして、鹿間および栃洞選鉱場の尾鉱は和佐保たい積場へ、茂住選鉱場のそれは増谷たい積場へそれぞれ流送される。

鉱さいのたい積場は鹿間谷、和佐保谷、増谷の三か所に設けられているが、そのうち、鹿間谷には第一たい積場が昭和六年に建設され(この点は当事者間に争いがない)、栃洞選鉱場および鹿間選鉱場の尾鉱がたい積されて、同三一年ごろに鹿間たい積場におけるたい積が完了し、現在は最上部のスライムポンドかん止堤が強化されて栃洞坑の上部坑内水および栃洞選鉱場のシックナーの溢流水の清澄化に利用されている。

次に、和佐保谷の和佐保たい積場では右鹿間たい積場のたい積完了に引き続いて栃洞選鉱場および鹿間選鉱場の尾鉱をたい積しているが、右たい積場は、面積が0.62平方キロメートル(一八万七、五〇〇坪)で、最新式の設備をした恒久的なたい積場であり、そのたい積方法はたい積場の鉱さい流入地点に設けたサイクロンにより鉱さいをサンドとスライムに分離してこれらをサンド堤およびスライムポンド(鉱さいの沈澱池)にそれぞれたい積、誘導し、スライムポンドに入れるスライムには予め石灰乳を注入してスライム中の微粒分を沈澱させながら、そのスライムを約六〇〇メートル上方に導いて清澄化し、上澄水をたい積場の底設暗渠を経て約一、一〇〇メートル下方の貯水池に排出せしめて、山腹水路水と合流させたうえ、北陸電力株式会社の発電所用水路に導入するのであり、サンドはたい積天端(たい積場堤体の最上端をいう。以下同じ)から下方にむかつて流出、たい積するのである。

そして増谷にある増谷たい積場は、前記のとおり茂住選鉱場の尾鉱を処理しており、第一ないし第三たい積場に分れているが、第一たい積場は昭和八年建設され(この点は当事者間に争いがない)て既にたい積を完了し、同三一、二年頃から第二たい積場が使用され、現在に至つている。しかして鉱さいのたい積方法等は和佐保たい積場とほぼ同様である。

なお、神岡鉱業所には前記のとおり亜鉛電解工場、焼鉱硫酸工場、鉛製錬工場があるが、亜鉛電解工場の廃水には機械設備の冷却廃水系統と酸または重金属イオンを含む廃水系統とがあり、前者はそのまま北陸電力株式会社の発電所水路に放流し、後者は廃水中の極めて微量の亜鉛、カドミウムを回収するため、全量をシックナーに導き、石灰乳を注入し、ペーハーを調節しながら重金属イオンをその水酸化物として沈澱させている。焼鉱硫酸工場の廃水には機械設備の冷却廃水系統とガス清浄装置から発する酸ミストを含む廃水系統とがあり、前者はそのまま高原川に放流し、後者は全量亜鉛精鉱流動焙焼炉の温度調節用水として炉内に装入、消費するのである。鉛製錬工場の廃水は機械設備冷却用水や冶金処理に利用されている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実よりすれば、神岡鉱業所は、前記和佐保たい積場および増谷第二たい積場を開設した昭和三一、二年頃以降においては、高度な技術的設備をもつて同鉱業所の鉱さいのたい積と廃水の処理にあたつてきたものということができる。

しかしながら、神岡鉱業所における選鉱、製錬の過程から生ずる廃水および鉱さいにカドミウムが含まれていることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によつて認められる、財団法人日本公衆衛生協会イタイイタイ病研究班が昭和四二年に神岡鉱業所の排水を調査した結果、最高0.061p・p・mのカドミウム、4.10p・p・mの鉛、8.14p・p・mの亜鉛の検出をみ、また同鉱業所たい積場のある和佐保谷下流部ではカドミウム0.006p・p・m、鉛痕跡、亜鉛0.22p・p・m、同じく鹿間谷下流部ではカドミウム0.004p・p・m、鉛0.02p・p・m、亜鉛0.336p・p・mがそれぞれ検出され、また神通川の水には、アメリカ合衆国飲料水水質基準の0.01p・p・mを下廻る程度の微量ではあるけれども、カドミウムが現に含まれていたことなどを考え合せると、前記のような高度の技術的設備をもつてしても、被告会社の神岡鉱業所における選鉱および製錬等の事業活動から生ずる廃水や鉱さい中に含まれるカドミウムその他の重金属類が完全に除去されているわけではないといわざるを得ない。

2そこで、翻つて前記和佐保および増谷第二各たい積場開設以前における神岡鉱業所の廃水等の処理状況を検討しなければならないが、この点に関する被告会社の主張を要約すると次のとおりである。すなわち、

神岡鉱業所においては、明治四二年から昭和二年までの間、比重選鉱法を主とし、浮遊選鉱を補助的に採用して選鉱を行つていたのであるが、比重選鉱法による選鉱過程から生ずる廃水および鉱さいは同鉱業所に当初から設けてあつた処理沈澱池において貯溜し、沈降させたうえ、上澄水のみを高原川に放流し、残留した廃砂(ジガー渣)は工場の空地等を利用して設けたたい積場に運搬、たい積し、また、浮遊選鉱法による選鉱過程から生ずる廃水および鉱さいは沈降促進剤である石灰を使用し、廃砂溜めまたは沈澱槽(シックナー)を経て沈澱池に導き、鉱さいを沈降せしめた後その上澄水のみを高原川に放流したものである。その後浮遊選鉱法を全面的に採用した昭和三年以降は、鹿間において鉱さいはまずコーンと称する沈澱槽でサンドとスライムに分け、スライムは石灰を投入のうえ、シックナーを経て沈澱池に導き、その上澄水を高原川に放流し、鉱さいは鹿間および六郎地内にたい積して処理し、その後発生鉱さい量の増加に伴い、同六年に鹿間たい積場を、同八年に増谷たい積場をそれぞれ新設するとともにカロコーン、シックナーも逐次増設されたが、右各たい積場の設置によつて鉱さいはサンドもスライムもともに索道で運搬したうえ、サンドは下流側に、スライムは上流側にたい積、処理した。なお、右鉱さいのたい積・運搬方式は鹿間では同二五年に、茂住では同二九年にそれぞれエムスコポンプによる流送方式に転換したものである。

そして、〈証拠〉を総合すれば、被告会社の右主張事実はほぼこれを認めることができる。

しかし、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

そもそも、神通川沿岸の富山県上新川、婦負両郡の一〇か村から富山市にわたる水田の鉱毒問題は大正年間に始まるのであつて、当時、右両郡の農業会が中心となつて水田の土壌の分析を農商務省西ケ原農事試験場に依頼したのであるが、右農事試験場は上新川郡の農業会長金岡又佐衛門に対し、右土壌中の鉛、銅、亜鉛の分析の結果に基づき、土壌には鉱毒成分、特に亜鉛の含有量が顕著であつて、このために農作物の生育が阻害されていると伝えたことから、前記農業会はこの分析結果などを理由として大正九年二月農商務大臣および富山県知事に対し神岡鉱業所の廃水等の処理について善処方を要望する建議書を提出し、また富山県議会もまた右大臣らに同趣旨の建議に及んだところ、東京鉱務署の担当官が実情を調査したうえ、神岡鉱業所をして沈澱池等の廃水および鉱さい処理設備の改善を図らしめた。

しかし、その後の昭和七年に至つて、神岡鉱業所から流出する廃水等が従来より一層多量になつて婦負郡およびその付近一帯の農業や漁業に重大な影響を及ぼすというので、神通川沿岸の大沢野、新保、杉原、熊野、宮川ほか六か町村で神通川鉱毒流下防止期成同盟を組織し、富山県当局にその被害の実情を述べて善処方を陳情し、神岡鉱業所に対しても廃水等を高原川に放流しないように申入れをなし、そのうえ同鉱業所に赴いて廃水の処理設備の視察をしたところ、鹿間谷に小さなえん堤が築かれ鉱さいがたい積されていたが、その鉱さいはえん堤の上を乗り越えて高原川へ流れ込んでいる状態であるのを目撃した。

また、漁業被害を受けたとする富山県水産会でも、同八年神岡鉱業所に対し前記期成同盟と同趣旨の申入れをなし、また右期成会とともに同鉱業所の廃水および鉱さいの処理状況を実地視察したが、同年九月二七日付富山日報は、右視察の際の状況について、高原川は宮川に比し青黒い乳色をしていたこと、数日来の降雨のため鹿間谷のたい積場のえん堤から鉱さいが流失した跡が認められたことおよび神岡鉱業所の所長は鉱さいの流出の可能性をみとめる発言をしていたことを報じている。

憲九年四月下旬にも廃水等が神通川を流下したため、前記期成同盟会は神岡鉱業所に対し、抗議をなし、翌一〇年にも同様の事態が生じたため、神通川沿岸の農漁民は富山県当局に対し神岡鉱業所にこのような事態が生じないよう厳重な申入れをするように要望した。

その後同一三年に同期成同盟会が神岡鉱業所を視察したところ、鹿間たい積場のえん堤が同年七月の大雨で破壊されたとして復旧工事が行われていた。この間、富山県当局と神岡鉱業所との間には、(一)、神岡鉱業所の現在の除害設備の機能を十分に発揮すること、(二)、同鉱業所の業務量にかんがみて除害設備を拡充、強化すること、(三)、鉱さいの取扱いについては、監督員の配置等を考慮し、十分な注意を払い、雨水により下方へ流出することがないように努めること等を定めた覚書が取り交わされていたのであるが、それにもかかわらず、神通川沿岸の農漁民は依然として、神通川および同水系の用水が白濁し、川魚が死んで浮き上るのを目撃していたのである。

同一七年には富山県当局は、神岡鉱業所から流出する廃水等が同県下の農業経営に相当の支障があるとして、大阪鉱山監督局長宛に至急に汚毒防止の措置を講ぜられるよう懇請し、同一八年同県当局は神岡鉱業所と廃水等の流出問題について協議したが、同鉱業所は従来から極力防除の完全を期するようにしているが、当時の生産を完遂するためには、廃水等の流出を十分に防除しえない状態にあるとしたため、差しあたりかんがい最盛期の七月から三か月間、神通川沿岸町村毎に約二〇名の青壮年監視隊を編成して各選鉱場における防除設備の運転状況を監視するとともに作業上のやむを得ない事情で廃水等が流出した場合には直ちに同県当局等へ速報することとした。

また同一八年七月農林小作官補石丸一男および農事試験場技師小林純は、農林省農政局長石井英之助に対する復命書および付属資料をもつて、神岡鉱業所の除害施設ならびにその運営が鉱物の増産に伴わず、鉱山の廃水が混濁濃化して鉱害をおこしている旨の報告をなし、同年一二月同県当局、同鉱業所、同県農業会、水産会各代表などが出席して行われた同鉱業所防毒施設完備に関する懇談会において、同鉱業所から廃さいバケットは同年一一月末までに五箇設置する予定であつたところ、資材入手難のため二個設置できただけであり、予備用のバケットをあわせ設置して鉱毒の流出を防止したいとの報告があるほかに、同鉱業所は翌一九年三月までにシックナー一台を完備することおよびオリバーフィルター(廃泥水分排除装置)四台を増設することを確約している。

そして、同一九年二月五日に富山県当局と神岡鉱業所と東京鉱山監督局が会談した際、同県当局が同鉱業所に対し同鉱業所が従来から計画中の根本的防毒施設を早急に完備するよう要望したところ、同鉱業所では万難を排し遅くとも苗代期までに施設を完備する旨の請書を手交し、(一)、索道架設地点における傾斜度の匂配を緩めるため約六百坪の土砂を切り取ること、(二)、鉱さい運搬用バケット容量0.7トンのもの一六個を三六個に増設すること、(三)、シックナーおよびオリバーフィルターを早急に完備すること等を確約している。

しかしながら、同二〇年一〇月八日には鹿間たい積場が決壊し(この点は当事者間に争いがない)、同二三年に神通川沿岸の町村で神通川鉱毒対策協議会が結成され、右協議会の人達が同年神岡鉱業所を訪れた際にも白濁した廃水が神岡鉱業所から高原川へ流下するのを目撃しており、同二四年三月一四日富山県定例県議会において神岡鉱業所と鉱毒についての対策の協議にあたつていた同県農林部長川崎正男は、当時の同鉱業所の設備では廃水等は流出せざるを得ず、万全の策を講じても多少なりとも流出する旨を発言している。

そして、前記対策協議会は被告会社と農業被害の補償に関する交渉をなしてきたのである。

以上の事実が認められ、前記甲第三七号証の記載中、昭和七年から同一八年頃までは鉱毒問題に関する地元農民等の非難の声は低調であつた旨の記載部分は、前記甲第一九二ないし第二〇六号証の各記載に照して採用することができず、他に右認定に反する証拠はなく、右認定事実よりすれば、神岡鉱業所においては、現在では高度の技術的設備を備えた鉱さいたい積場や廃水処理施設のゆえに同鉱業所の廃水等も比較的少なく、そのうちに含まれるカドミウムその他の重金属類も微量であつて、神通川の水のカドミウムの濃度はアメリカ合衆国飲料水水質基準を下廻る程度のものであるに過ぎないけれども、このような高度の技術的設備が備えられる以前においては、もとより当時といえども鉱さいたい積場および廃水処理施設は一応備えられていたのであるが、その規模や技術的設備、能力等の点で必ずしも十分なものではなく、そのため鉱さいや廃水の増加に見合つた効果的な処理が行われなかつたことから、かなりの量の廃水等が神岡鉱業所より高原川に特に大正年間からほぼ昭和二〇年代に至るまでの相当長期間継続して流出していたことを推認するに難くないところである。

もつとも、神岡鉱業所の各選鉱場における鉱さい処理施設の能力の点に関して、〈証拠〉によれば、昭和一八年下期における栃洞選鉱場の廃水や鉱さい処理設備であるカローコーン、シックナー、フィルターブレスの一日あたりの処理能力はそれぞれ一、四八八トン、二、二九二トン、一、一六二トンであつて、同選鉱場の一日あたりの発生鉱さい量一、一一九トンを上廻り、また、同時期の鹿間選鉱場におけるカローコーン、シックナー、フィルタープレスの一日あたりの処理能力はそれぞれ一、四八八トン、二、五一五トン、一、三二八トンで、鹿間谷等たい積場への運搬能力はブライヘルト索道を合計すると二、九八五トンになり、いずれも一日あたりの発生鉱さい量一、〇八三トンを上廻り、さらに茂住選鉱場におけるカローコーン、シックナー、フィルタープレスの一日あたりの処理能力はそれぞれ一八六トン、二六五トン、二四九トンであつて、一日あたりの発生鉱さい量一五五トンを上廻るものであることが認められるけれども、右は神岡鉱業所の栃洞、鹿間および茂住各選鉱場における限られた一時期(昭和一八年下期)の操業一日平均の発生鉱さい量(乾量)と当時のカローコーン、シックナー、フィルタープレス等鉱さい処理設備などの設計ないし理論上の能力を基礎として単に計数的に割り出されたものに過ぎないことは右証拠自体から明らかところであるから、それが同鉱業所における長期にわたる操業期間中の廃水や鉱さい処理の実態をあらわすもののように速断し難く、したがつてこれは前記認定の妨げとなることはなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3また、〈証拠〉ならびに当裁判所が昭和四三年一一月一五、一六日、同四四年五月八、九日に実施した検証の結果(第一回)によれば、次の各事実が認められる。すなわち、

(一) 大正一一年農商務省西ケ原農事試験場が富山県上新川郡農業会長金岡又左エ門から送付された同郡新保村の土壌を分析したところ、右土壌中、用水にかんがいされていた砂土からは酸化銅0.009パーセント(九〇p・p・m)、酸化亜鉛0.09パーセント(九〇〇p・p・m)、用水と共に耕地に浸入した砂土からは酸化銅および酸化亜鉛ともに0.006パーセント(六〇p・p・m)、さらに耕土の底土からは酸化洞および酸化亜鉛ともに0.004パーセント(四〇p・p・m)がそれぞれ検出された。

(二) 富山県立農事試験場が昭和一七年神通川流域の同県宮川村、熊野村、新保村の各土壌を分析したところ、宮川村の土壌からは酸化鉛0.0504パーセント(五〇四p・p・m)、酸化亜鉛0.4353パーセント(四、三五三p・p・m)、熊野村の土壌からは酸化鉛0.0822パーセント(八二二p・p・m)、酸化亜鉛0.3154パーセント(三、一五四p・p・m)、新保村の土壌からは酸化鉛0.0616パーセント(六一六p・p・m)酸化亜鉛0.4971パーセント(四、九七一p・p・m)がそれぞれ検出された。

(三) 浅川照彦が昭和二六年神通川、熊野川、井田川各流域の水田の土壌を調査したところ、次の結果を得た(単位パーセント)。

(採取地)

(亜鉛)

(鉛)

神通川

大沢野村

上流稲代

水口

〇・〇六六

〇・〇〇七

出口

〇・〇一三

〇・〇〇三

中流長附

水口

〇・〇四六

〇・〇〇七

出口

〇・〇〇八

〇・〇〇二

下流大沢野

水口

〇・〇二七

〇・〇〇三

出口

〇・〇〇九

〇・〇〇二

大久保町

上流中大久保

水口

〇・〇五〇

〇・〇〇五

出口

〇・〇二七

〇・〇〇四

中流下大久保

水口

〇・〇七七

〇・〇一二

出口

〇・〇四一

〇・〇〇五

下流合田

水口

〇・〇二六

〇・〇〇三

出口

〇・〇一二

〇・〇〇二

新保村

上流福居

水口

〇・〇九九

〇・〇一四

出口

〇・〇三〇

〇・〇〇五

中流新保

水口

〇・〇四九

〇・〇〇七

出口

〇・〇三二

〇・〇〇三

下流才覚寺

水口

〇・〇五八

〇・〇〇四

出口

〇・〇四四

〇・〇〇四

杉原村神通島

上流

水口

〇・〇九〇

〇・〇〇九

出口

〇・〇三二

〇・〇〇三

下流

水口

〇・一〇二

〇・〇一三

出口

〇・〇四八

〇・〇〇六

野飼

水口

〇・一二六

〇・〇一一

出口

〇・〇九七

〇・〇〇八

平岩

水口

〇・一二五

〇・〇一二

出口

〇・〇八〇

〇・〇一二

宮川村一五丁

水口

〇・一〇八

〇・〇一四

出口

〇・〇五〇

〇・〇〇六

熊野村蔵島

水口

〇・〇九二

〇・〇一〇

出口

〇・〇二六

〇・〇〇三

婦中町

轡田

水口

〇・〇八九

〇・〇一〇

出口

〇・〇四六

〇・〇〇五

鵜坂

水口

〇・〇二四

〇・〇〇三

出口

〇・〇六九

〇・〇〇五

熊野川

上新川郡熊野村上熊野

水口

〇・〇一二

〇・〇〇三

出口

〇・〇一一

〇・〇〇二

井田川

婦負郡八尾町

水口

〇・〇一九

〇・〇〇二

出口

〇・〇二三

〇・〇〇二

右の結果は、神通川流域の水田の土壌が他の河川流域のそれに比し、重金属類(亜鉛、鉛)を多量に含有し、しかも水田の水口が水尻(出口)に比して重金属類の濃度が高いことを示している。

(四) 小林純は黒部川、神通川その他の富山、石川、福井各県下二二の河川の水質調査をなし、昭和二七年三月神通川は、溶存各成分間の均衡がよく保たれた標準型の水質を示しており、その上流の高原川に沿う神岡鉱山による鉱毒問題が世上論議されているけれども、常時の溶存成分について見る限りは、なんらの異常も認められないと発表している。

なお、右調査は、一般河川に通常溶存している成分のみを分析し、カドミウム、鉛、亜鉛についての分析は行われていない。

(五) 萩野昇、吉岡金市(現金沢経済大学学長)、小林純(現岡山大学農業生物研究所教授)らの昭和三四ないし三五年の調査結果は次のとおりであつた。

(1) 本病発生地域の白米を摂氏五〇〇度以下で蒸し焼きにして得た灰につき行つたスペクトル化学分析によれば、鉱毒地区の白米の灰は、最高、カドミウム三五〇p・p・m、鉛八八p・p・m、亜鉛六、四〇〇p・p・mの多量の重金属類を含有し、対照地区として検査した岡山県倉敷等の含有量に比し、カドミウムの平均値四倍以上多く検出され、玄米等についても、鉱毒地区は、対照地区に比し、二ないし三倍のカドミウムが検出された。

(2) 同様に、本病発生地域の水稲の根の灰には最高、カドミウム三、〇〇〇p・p・m、鉛二、二〇〇p・p・m、亜鉛四、〇〇〇p・p・mの重金属類が含まれ、対照地区の井田川水系浜ノ子地区のカドミウム三五p・p・m、鉛二九p・p・m、亜鉛二、一〇〇p・p・mに比し、はるかに多量のカドミウム、鉛が検出された。

(3) 神岡鉱業所のたい積場の鉱さい中には相当量のカドミウム、鉛、亜鉛が含まれていた。

(4) 神通川水系用水の水田の水口にはカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類が多量に検出され、上流に鉱山を有しない久婦須川は神通川の西をほぼ平行して北へ流下しているにもかかわらず、右久婦須川水系の水田からは右重金属類は検出されなかつた。

(5) カドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類は神通川の河川水に浮遊物としても多量に流下していることが、同河川の中洲の土壌の層別分析の結果、表層に右重金属類が最も多量に含まれていたことから判明した。

(六) 金沢大学医学部衛生学教室の石崎有信教授らは文部省機関研究費によるイタイイタイ病研究班の調査研究の一環として昭和三八および三九年、本病発生地区とされている富山県婦負郡婦中町熊野(以下、熊野地区という)および富山市新保(以下、新保地区という)軽度発生地区とされている同県上新川郡大沢野町(以下、大沢野町という)、対照地区として富山市千里および同市太田(以下、それぞれ千里地区、太田地区という)地内の各五軒の農家に保有されていた米と大豆を集めてカドミウム、鉛、亜鉛の分析を行つたところ、左記(A)図に示すとおりの結果を得たが、その平均値は左記(B)表に記載のとおりである。

(A)図

カドミウム

亜鉛

(B)

米表

重金属別

カドミウム

亜鉛

地区別

本病発生地区

p.p.m

0.9

p.p.m

0.2

p.p.m

21.8

軽度発生地区

0.3

0.05

19.0

対照地区(千里)

0.2

0.04

15.4

〃(太田)

0.1

0.2

11.9

大豆

重金属別

カドミウム

亜鉛

地区別

本病発生地区

p.p.m

1.0

p.p.m

0.3

p.p.m

60.1

軽度発生地区

0.7

0.2

49.1

対照地区(千里)

0.1

0.2

41.5

〃(太田)

0.2

0.2

21.8

そして、カドミウム濃度は米、大豆ともに本病発生地区と対照地区との間に明らかな差がみられ、軽度発生地区はその中間であり、亜鉛濃度にも同様の傾向がみられるがその差は小さく、鉛濃度は本病発生地区は高いが他地区はその差が明らかではない。

(七) ところで、神通川は、乗鞍岳および川上岳付近から発して高山盆地を貫流する宮川水系と西穂高岳付近から岐阜県吉城郡神岡町を経て同町牧付近において跡津川を合した高原川水系とが岐阜富山県境である同県上新川郡大沢野町東猪谷付近で合流して神通峡に至り、長棟川水系を合せて富山平野に達し、富山市街地近傍において東側の熊野川および西側の井田川とを合して富山湾に注いでいる河川であり、この神通川から取水している用水には、東岸の上流から「大沢野用水」、「大久保用水」、「一二ケ村用水」、「神保用水」があり、西岸の上流から「牛ケ首用水」、「神通川合口用水」(「新屋用水」、「八ケ用水」、「六ケ用水」、「本郷用水」および「一二ケ用水」)があり(以上の点は当事者間に争いがない)、しかして、神通川およびこれから取水している右各用水の所在位置は別紙第(一)図に記載のとおりであつて、神通川を中心としてその東方の熊野川と西方の井田川に囲まれた扇状形の地域のほとんどは古くから水田耕作を主としてきた農村地帯で、前記各用水本流およびそれらから分岐した大小多数の支流の用水路が四通八達し右地域を網状に覆つているが、財団法人日本公衆衛生協会イタイイタイ病研究班は右神通川水系(上流の高原川および神通川本流から取水している各用水を含む)、熊野川、井田川の各河川沿岸の別紙第(二)図記載の各地点で昭和四二年に採取した河川水、工場排水、井戸水および川泥、ならびに水田土壌等に含まれる重金属類の分析と地学的調査を行い、次のとおりの結果を得た。

(1) 河川水、工場排水、井戸水中の重金属類の分析成績

同研究班は、神岡鉱業所和佐保たい積場より上流の高原川水系で三地点、それ以下の高原川、神通川本流で八地点、和佐保、鹿間両たい積場から高原川に流入する谷川で二地点、それより下流の高原川、神通川に流入する支流で三地点、対照としてこれらと水源を異にする井田川で一地点合計一七地点で河川水を、神岡鉱業所鹿間工場から高原川へ直接排水している上部、中部、下部の三排水口および同亜鉛電解工場からの各工場排水を、また神通川流域の九地点で一〇試料の井戸水を採取して分析したところ、前記のとおり、神岡鉱業所の排水に最高カドミウム0.061p・p・m、鉛4.10p・p・m、亜鉛8.14p・p・mの重金属類が検出され、同鉱業所たい積場のある和佐保谷下流部ではカドミウム0.006p・p・m、鉛痕跡、亜鉛0.22p・p・m同じく鹿間谷下流部ではカドミウム0.004p・p・m、鉛0.02p・p・m、亜鉛0.336p・p・mがそれぞれ検出され、次に、河川水中のカドミウムは、最上流の蒲田川穴毛谷で痕跡程度(ほぼ0.001p・p・m)認められたが、神岡鉱業所上流の和佐保谷合流点上流では不検出であり、同鉱業所下流の鹿間谷合流点では0.009p・p・m検出され、跡津川合流点の上流で0.004p・p・m、同地点の下流で0.003p・p・mと減少し、牛ケ首用水取入れ口では痕跡となり、成子橋下まで下ると不検出となり、河川水中の鉛、亜鉛にも同様の傾向がみられ、さらに、神岡鉱業所下流で高原川、神通川水系に流入する跡津川、宮川、長棟川については、跡津川でカドミウムが痕跡であつたほかは不検出であり、鉛はこれら河川のいずれもが痕跡程度で、亜鉛は跡津川0.050p・p・m、宮川、長棟川ともに0.011p・p・mであつた。

以上のような結果から、神通川に含まれているカドミウムは、その濃度が最高でもアメリカ合衆国飲料水水質基準の0.01p・p・mを下廻つているけれども、その大部分は神岡鉱業所の工場排水およびたい積場から流下しているものと考えられた。

井戸水については分析した一〇試料ともカドミウムは不検出であり、鉛も痕跡ないし不検出であつたが、亜鉛は下轡田で一二メートルの深さの井戸から採取した水が0.431p・p・mを示したほか、0.012ないし0.048p・p・mの間に分布していた。

(2) 川泥中の重金属類の分析成績

同研究班は前記河川水試料採取地点のうち、神岡鉱業所上流の高原川水系から二地点、同鉱業所下流で一地点、和佐保、鹿間両たい積場下流各一地点、鹿間工場排水口のうち上部および中部直下の二地点、高原川支流の跡津川で一地点、井田川で一地点の合計九地点と神岡鉱業所上流にある水田一地点から川泥の試料を採取し、分析したところ、神通川水系は一般に大きな礫が多く、川泥の採取が困難であるため、各試料が必ずしも川泥全体を正確に代表しているとはいえないが、懸濁物は性状が比較的一致しているので、これについて各地点のカドミウム濃度をみると、神岡鉱業所上流の穴毛谷で5.7p・p・m(原試料0.18p・p・m)赤桶で3.8p・p・m(同0.16p・p・m)であるのに対して、たい積場のある和佐保谷および鹿間谷下流部で89.9p・p・m(同5.0p・p・m)および一三八p・p・m(同2.2p・p・m)を示し、高原川、鹿間谷合流点下流部では一六〇p・p・m(同0.47p・p・m)であつた。また、神岡鉱業所鹿間工場排水口(上部および中部)直下の泥土、懸濁物にはカドミウムが三六三p・p・m(原試料二三八p・p・m)および八三二p・p・m同(4.1p・p・m)と高濃度に含まれていた。一方、工場の下流で流入する跡津川では5.0p・p・m(原試料0.3p・p・m)と上流の穴毛谷とほぼ同じ値を示していたが、対照河川である井田川下流部下井沢地区の川泥懸濁物中のカドミウム濃度は0.7p・p・m(同0.16p・p・m)にすぎなかつた。また、神岡鉱業所より上流で、高原川の水をかんがいに用いている田頃家水田上層の泥は、原試料で0.7p・p・m、懸濁物で2.7p・p・mを示していた。

(3) 水田土壌中の重金属類の分析成績

同研究班は金沢大学医学部衛生学教室が神通川本流水系の三四地点、その他の水系一六地点の合計五〇地点における水田の各水口、中央、水尻三か所の上層、中層、下層、最下層の土壌から昭和四二年三月に採取した合計四五九点の試料を分析した(なお、ここに水口とは用水が最初に入る水田の取入口の部分をいい、一枚の水田が大きい時(約一〇アール程度)はその田について水口、中央、水尻から試料を採取し、一枚の水田が小さい時は三枚の水田を一単位として一枚目の水口、二枚目の中央、三枚目の水尻から試料を採取し、水口と水尻の採取場所はいずれも取水口、排水口からそれぞれ約二メートルの地点であり、また土層の深さによる区分では耕耘機により耕される部分(地表面からほぼ一三ないし一八センチメートル)を上層、その下三ないし一〇センチメートルの硬い部分を中層、さらにその下の部分を下層とし、この部分は大小の石から成つたり、肉眼的に数層を区分しうる場合があり、この場合には下層中の下の部分を最下層とする。以下この(七)の項で同じ)。

以上の試料分析の結果は、別表(一)記載のとおりであるが、要するに、まず、神通川本流水系三四点のうち右岸水田一三点についてみると、水口上層でカドミウムは大沢野町大沢野の7.5p・p・mを最高に、同町春日の6.4p・p・m同町上大久保の6.0p・p・mがあり、富山市惣在寺の1.2p・p・mが最低であり、また、同左岸水田二一点についてみると、水口上層でカドミウムは婦中町広田二区の6.3p・p・mを最高に、同町一五丁の6.2p・p・m、同町青島の5.5p・p・mがあり、八尾町葛原の2.0p・p・mが最低であつた。

鉛の濃度はほとんどが五〇p・p・mを超え、亜鉛とともにほぼカドミウムに近い分布を示しており、全体として、これらの重金属類は部位別には水口に多く水尻に少なく、深さでは上層に多く下層に少ない傾向を示していた。

次に、他水系の一六地点の水田についてカドミウム濃度をみると、水口上層では舟峅野用水流域大沢野町市場の1.8p・p・mが最高であり、次いで杉原野用水流域で中央あるいは水尻上層に一p・p・m以上の濃度を示すものが認められたが、井田川および熊野川流域においてはほとんどすべての試料が一p・p・m未満であつた。

また、これらの地点では鉛もほとんどが五〇p・p・m未満であり、亜鉛は杉原野用水流域においてやや高度に認められた。

これらの成績を水田土壌採取地点別に上層土壌の水口、中央、水尻平均値について観察すると、別紙第(三)図(カドミウム分析値の分布。カドミウム1p・p・m未満は0.5p・p・mとして平均値を計算)、同第(四)図(鉛分析値の分布。鉛五〇p・p・m未満は二五p・p・mとして計算)および同第(五)図(亜鉛分析値の分布。亜鉛一〇〇p・p・m未満は五〇p・p・mとして計算)のとおりであり、カドミウム、鉛、亜鉛の順に後者ほど濃度は高くなるが、各分布は三者ともかなりよく一致していて、中神通周辺が最も濃厚であり、また神通川水系本流の水田に比し、他水系の各地点の重金属濃度は低く、各水田部位別および土層別の重金属濃度の差は明らかではなかつたのである。

(4) 玄米中ならびに稲採取個所水田土壌中の重金属類の分析成績同研究班が神通川流域五地点、熊野川、井田川流域各一地点の合計七地点における水田の水口、中央、水尻からそれぞれ稲を刈取り、刈取つた稲は乾操、脱穀して玄米とし、風乾後の二二試料を分析し、また右刈取り地点の各水田上層土壌一九試料を分析した結果は次のとおりであつた。

神通川本流水系水田からの玄米一六試料のうち、もち米を除くうるち米一三試料のカドミウムおよび亜鉛の濃度は、水口で各0.44ないし3.36p・p・m、および26.3ないし30.0p・p・m、中央で各0.35ないし1.32p・p・mおよび23.5ないし35.2p・p・m、水尻で各0.37ないし0.72p・p・mおよび22.2ないし28.4p・p・mを示し、これに対し他水系二地点の水田から採取した玄米六試料のカドミウム濃度は水口で0.05および0.07p・p・m、中央で0.08および0.11、水尻で0.03および0.11p・p・mであり、亜鉛濃度は水口で20.8および28.2p・p・m、中央で18.9および20.8p・p・m、水尼で20.6p・p・mおよび26.8p・p・mとなつており、カドミウムは神通川本流水系の玄米に多い傾向がみられた。

さらに、神通川本流水系水田作のもち米三試料のカドミウム濃度は、水口1.55p・p・m、中央3.87p・p・m、水尻4.17p・p・mであり、うるち米に比し、やや高いことが判明した。

(5) 神岡鉱業所各たい積場鉱さい中の重金属類の分析成績

同研究班は神岡鉱業所鹿間第一たい積場においては、天端およびポンドの二か所にボーリングを行い、天端においては深さ四ないし五メートル、九ないし一〇メートル、一四ないし一五メートル、一九ないし二〇メートルの四試料を、ポンドについては二ないし三メートル、3.77ないし4.17メートル、9ないし10.6メートル、一四ないし一五メートル、一九ないし二〇メートルの深さから五試料をそれぞれ採取し、また、鹿間第二たい積場においては、最上段ステップでボーリングを行い、四ないし五メートル、五ないし六メートル、九ないし一〇メートル、一四ないし一五メートル、17ないし17.9メートルの深さからそれぞれ試料を採取し、さらに、増谷第一たい積においては、最下段ステップでボーリングを行い、四ないし五メートル、七ないし八メートルの深さから二試料を採取し、最後に和佐保たい積場においては、第五ステップの深さ一八および一九メートルの各地点から、第六ステップの深さ10ないし10.75メートルの地点から、第八ステップの深さ8ないし8.75メートルの地点からそれぞれ合計四試料を採取し、以上の試料を分析した結果、別表(二)のとおりの成績を得た。

右結果を要約すると、鹿間第一たい積場におけるカドミウム濃度は最高43.9p・p・m、最低12.7p・p・m、鉛濃度は最高二、五六〇p・p・m、最低六四〇p・p・m、亜鉛濃度は最高一六、七〇〇p・p・m、最低三、四五〇p・p・mであり、また鹿間第二たい積場におけるカドミウム濃度は最高7.21p・p・m、最低4.29p・p・m、鉛濃度は最高七二〇p・p・m、最低二五二p・p・m、亜鉛濃度は最高二、二三〇p・p・m、最低一、二〇〇p・p・mであり、次に増谷第一たい積場は鹿間第一たい積場の同年次におけるたい積場とほぼ同様のカドミウム、亜鉛濃度を示し、鉛はやや多い傾向がみられ、最後に和佐保たい積場におけるカドミウム濃度は最高18.7p・p・m最低6.6p・p・m、鉛濃度は最高一、〇八〇p・p・m、最低二六八p・p・m、亜鉛濃度は最高三、四六〇p・p・m、最低二、〇二〇p・p・mということによる。

(6) 神通川下流扇状地の地層構成状況

同研究班では河川水等の重金属分析のほか、前記のとおり地学的調査をも行つたのであつて、先ず、神通川下流扇状地の地層構成状況は次のとおりであつた。

神通川流域のうち大沢野町笹津から下流域に扇状地が広がつているが、この扇状地の地層構成をみると別紙第(六)図のとおりであり、本地域中最も古い扇状地は神通川左岸に断片的な丘陵として残在し、ついで洪積世の中頃に舟峅野扇状地が形成され、右扇状地が扇頂で約五〇メートル以上も侵食された後、洪積世後期にその下位に大沢野扇状地が形成されたが、右扇状地は神通川左岸の広田扇状地または杉原野扇状地に続く一連の扇状地として形成されたものである。

その後、右大沢野扇状地は神通川の下刻侵食によつて同河川右岸の大沢野扇状地と同河川左岸の広田(杉原野)扇状地とに分離され、沖積世に入つて熊野新扇状地を形成し、その後度重なる洪水のため微地形が変形、修正されて現在に至つているが、以上の扇状地形成時期別区分は前記の水田土壌中における重金属分布とは一致していないのである。

(ハ) 富山県農業試験場は昭和四四年五月七日次の事実を発表した。

同試験場は同県婦負郡婦中町地内の二五か所の水田で栽哉された昭和四三年産水稲を用水の取り入れ口、中央部、水尻とに分け、一七〇点を抽出して脱穀後モミすりした精玄米を対象とし、細かく砕いた米を原子吸光光度計で分析したところ、右一七〇点のうち八八点のカドミウム濃度の平均は0.6p・p・mで、最高1.1p・p・m、最低0.1p・p・mであり、水稲の品種、基盤整備田と未整備田、用水の水口と水田中央部、水尻等による差異は殆んどなかつたが、右は長い期間水田がかきまぜられて平均化したものとみられる。

4  以上認定した各事実に、本件全証拠によつても、自然界に由来するとみられるものを除き、他にカドミウム、鉛、亜鉛等重金属類を排出したもののあることを見出し得ないことを考え合せると、結局、

(1) カドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類は、富山県上新川郡大沢野町および同県婦負郡婦中町を中心として神通川およびこれから取水している前記(七)の各用水の水によつてかんがいを行う地域の水田土壌中に広く分布しており、その濃度は、水源を異にする隣接河川の水によつてかんがいされる水田土壌中のものに比し、かなり高濃度であり、その結果右地域の米、大豆等農作物をも汚染していること、

(2) 右地域の水田土壌中のカドミウム、鉛、亜鉛等重金属類の分布は、水田部位別には、水口に多く、中央と水尻に少なく、また土層別には、上層に多く、中、下層に少なく、このことからすると、右重金属類は神通川や前記各用水を介して上流から右水田中に運び込まれたものであることがわかること、

(3) 神通川下流における前記(七)のとおりの扇状地の地層形成時期別にみた区分と前記地域の水田土壌中の重金属類の分布状況とは一致しないのであつて、このことは右重金属類が扇状地の地層形成時期にたい積したものではないことを示していること、

(4) 神通川水系の河川水や川泥中の重金属類の分布のうえで、被告会社の神岡鉱業所付近におけるものが特に高濃度であること、

が認められ、したがつて、以上の水田土壌、河川水、川泥中のカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類は、自然界に由来するものの存在することを否定し得ないが、それは対照とされた水田土壌、河川水、川泥等中の重金属類の濃度と大差のない程度のものとみられる以上、神岡鉱業所から排出されたものが主体となつているものと解するのほかなく、そして、右排出は、前記認定のとおりの被告会社等の神岡鉱業所における選鉱および製錬等操業の状況にかんがみれば、同鉱業所からその右操業過程において生ずるカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類を含有する廃水等および同過程において発生し、たい積された鉱さいから浸出する前同様の廃水等が神通川上流の高原川に、特に大正時代から昭和二〇年代に至るまでの相当長期間継続して放流されたことによるものと認めざるを得ず、右認定を左右するに足りる適当な証拠はない。

第三  因果関係

原告らは、被告会社等が高原川に放流した廃水等に含まれているカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類によつて本病発生地域の米、大豆などの農作物、川魚類および飲用している河川水や井戸水が汚染され、原告などの右地域の住民が右農作物、川魚類、飲用水を長年にわたり摂取し続けてきたため、右重金属類がその体内に移行、蓄積した結果、本病に罹患したと主張するので、以下、このカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類と本病との間の因果関係の存否について調べてみる。

(本病の発生原因について)

一本病の疫学的特徴からみた発生原因について

原告らは本病の疫学的特徴として、(1)、本病の発生には地域的限局性がみられ、この地域は、大正初期から農業鉱害が発生し、富山県下でも一戸当りの耕作面積が最も大きい農村地帯で裕福な地域であり、また気象上右地域のみに特有の現象は見当らず、本病発生地域の農民は神通川から取水する用水によつてかんがいされ生育した同地域の農作物を常食するとともにこの水を生活用水として使用しており、土壌、米、大豆、河川水、川魚等にカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類ことにカドミウムが多量に含まれている。(2)、本病患者の家族歴には特に問題とすべき点がなく、例えば同一家族内において嫁と姑がともに本病に罹患していることからしても、本病に遺伝的な関係はない。(3)、前記のとおり本病発生地域は富山県下でも裕福な土地柄であり、また気象上も右地域のみに特有の現象は見当らず、したがつて、本病が気候あるいは栄養障害に起因するものとは考えられないとし、以上の疫学的特徴からみれば、本病の発生要因はカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類、特にカドミウムであると主張するので、これらの点について考えてみる。

思うに、不法行為に基づく一般の損害賠償請求訴訟において、不法行為の成立要件として加害行為と損害の発生との間の自然的(事実的)因果関係の存否が問題にされることと比較して、事業活動そのほか人の活動に伴つて生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水質の汚濁等により人の生命、身体などに被害が生じたと主張してなされるいわゆる公害訴訟の場合のほうが加害行為と損害の発生との間の自然的(事実的)因果関係の存否が争われ、重大な争点になることが一層多いように思われるが、このような差異が生ずるのは、いわゆる公害事件において一つには加害行為と損害の発生との間に時間的にも、また空間的にも長く、大きな隔たりがあるばかりでなく、発生したとされる人の生命、身体などの被害が不特定、多数の広範囲にわたることが多いためであろうと考えられる。したがつて、いわゆる公害訴訟において加害行為と損害発生との間に自然的(事実的)因果関係の存否を判断し、確定するにあたつては、単に臨床学ないし病理学的見地からの考察のみによつては、右のような特異性の存する加害行為と損害との間の自然的(事実的)因果関係の解明に十分ではなく、ここにいわゆる疫学的見地よりする考察が避け難いことと考える。

ところで、疫学は人間集団中の疾病、異常、健康の全容をつかみ、疾病等が多発する原因、経過を考究する学問で、臨床医学が対象を専ら個々の患者においているのに対し、疫学は患者らによつて形成される集団現象を問題とするものであり、一つの疾病には個々の患者の臨床症状や病理所見のほかに、地域的限局性、年次的消長、季節による変化、性別、年令分布、家族集積性など患者群についてみとめられる特徴が存するが、その特徴を把握して疾病発生機転を研究し、合理的な予防対策等を樹立する学問である。

よつて、以下、先ず、この疫学的な観点から本病の原因について考察を進めることとする。

1 本病の疫学的特徴

〈証拠〉を総合すると次の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 組織的研究体制の成立とそれまでの調査、研究について

本病に関する詳細な疫学的調査は本病について組織的研究が開始された昭和三七年以降に行われたのであるが、右組織的研究は、まず富山県が昭和三六年一二月一五日に富山県地方特殊病対策委員会を設置し、その後同三八年に、金沢大学医学部が中心となつて同大学理、薬学部、富山県厚生部、地元病院等の従来から本病にとりくんできた研究者で構成される厚生省医療研究イタイイタイ病研究委員会(委員長平松博)が結成され、またこれとは別に金沢大学医学部では本病の基礎的研究のため文部省の機関研究費による研究班(班長高瀬武平)が結成され、右厚生省イタイイタイ病研究委員会および文部省機関研究イタイイタイ病研究班は同年六月一五日第一回合同研究会を開催し、本病に関する従前の全情報を討議し、爾来、富山県地方特殊病対策委員会とも協同して本病の疫学的調査、臨床、病理、病因に関する基礎的研究を行つたことに始まる。

そして、続いて同四〇年度厚生省公害調査研究委託費による日本公衆衛生協会公害防止対策委員会が同四一年二月に発足し、同委員会は河川水ことに鉱山の廃液中に含まれる微量重金属類の人体に与える影響についての調査研究を行い、この調査研究は翌四一年度も継続され、同四二年三月までに神通川流域以外で上流に金属鉱山を有する宮城県二迫川流域、長崎県対馬の佐須川流域と右各地域の対照地区の意味で富山県庄川および黒部川流域とで現地調査を行い、また成人病の疫学的調査も行つた。

次いで、同四二年度の厚生省公害調査研究委託費によるイタイイタイ病研究班が結成されてカドミウムの分布と由来を解明するための調査研究が開始され、別に富山県においても、同四一年九月に前記富山県地方特殊病対策委員会の調査研究報告が行われて以来、かねて中断されていた本病に対する対策が同四二年から再開され、金沢大学医学部の協力のもとに本病患者および要管理者の登録・治療、健康管理を目的とした住民の健康診断が行われた。

そして同四三年一月、富山県イタイイタイ病審査協議会が発足し、本病患者および要観察者の登録制度と治療費の公費負担が実施されるようになつた。

厚生省は昭和三八年度の医療研究助成金、同四〇年度から四二年度に至るまでの公害調査研究委託費により組織した前記イタイイタイ病研究委員会やイタイイタイ病研究班の調査、研究の結果に基づき、同四三年五月八日本病に関する同省の公式見解を発表した。

以上のような組織的体制によつて本病に関する調査、研究が行われたのであるが、その結果については後記(二)で述べることとし、ここでは、まず右のような組織的体制をもつて調査、研究がなされるまでに、各研究者が個別に行つてきた本病に関する調査、研究について簡単に触れておくことにする。

(1) 金沢医科大学(現金沢大学)精神医学教室の長沢太郎教授ほか五名は昭和二一年八月神通川流域の宮川村(現富山県婦負郡婦中町)農業会からの依頼により同村の神経痛様の患者を対象として調査し、「富山県神通川流域農村に多発する『ロイマチス性疾患』について」(同年一〇月二六日受付)と題して要旨次のとおりの調査結果を発表した(十公医学会雑誌第五〇巻)。

調査の対象とされた患者は宮川村在住の三八名およびその近村の六名、合計四四名であり、職業はほとんどすべて農業であるが、調査当時疾病のため歩行不能、労働不能の者が過半数を占めていた。患者の性別は男一三名、女三一名で女性が多く、年令は三五ないし七六才、平均57.7才であり、年令分布上男女間に差異がなく、罹患期間は四か月ないし二七年、平均6.4年で、やはり男女間に差異が認められず、最も早期に発症したと思われる者は大正八年(当時三五才)および同一〇年(当時二四才)であつた。また患者中三七名は井戸水を、七名は河川水を使用していた。しかして、調査の対象となつた疾患は、結局、(ア)、臨床像および経過から見て「ロイマチス性症状群」として総括すべきものであり、(イ)、富山県内の神通川流域にある宮川、杉原(現同県婦負郡八尾町)、熊野(現同郡婦中町)、新保(現富山市)の諸村に地方病的に多発、分布するもののようであり、(ウ)、女性に多くみられ、臨床的には関節型、筋型、神経型に大別でき、(エ)、合併症として心臓弁膜症のほかに脚気、骨軟化症、骨質しよう疎症等がみられ、「ロイマチス性疾患」の本態追及に際よし、ビタミン欠乏おび内分泌腺機能異常を考究する必要があることを示唆している、としたものであつた。

なお、長沢太郎教授らは右調査に際し鉛中毒を疑つて血液検査を主として行つたものであるが、右中毒に関する所見はなく、関節の硬直と考えられる症状が強いことからロイマチス性疾患と総括したものである。

(2) 右長沢太郎教授らの調査後しばらくして戦地から復員し、前記熊野村一五丁で父祖の代からの医業を継いだ萩野昇医師は本病に注目し、治療に当るかたわら金沢大学病理学教室教授亡宮田栄とともに昭和二二年末頃から同三〇年頃まで共同研究をしたが、その研究成果については当時なんらの公表もしていない。

(3) 富山県は、昭和三〇および三一年の二回にわたり、始めて本病の調査と対策として同県婦負郡婦中町熊野地区の栄養調査をした。右調査の結果は、別表(三)ないし(六)記載のとおりであり、次のとおり総括されている。すなわち、(ア)、同地区においては米の摂取が依然として多く、米食偏重の農村の食生活の不合理さを如実に示しており、麦の摂取が少なく、ことに本病患者の家庭では右の傾向が著しく、大麦の摂取は全くなされていない。(イ)、摂取食品のうち穀類の占める割合は本病患者の家庭で四六パーセント、熊野地区で47.7パーセントであることが注目される。(ウ)、本病患者の家庭における油脂類の摂取は全国平均の一五分の一に過ぎない。(エ)、乳、乳製品の摂取が本病患者の家族ではことに少なく、乳は全国平均の三分の一、乳製品は零である。(オ)、昭和三一年の第二回調査では前年の調査時より種々の点に食生活の内容が改善されており、ことに本病患者の家庭ではそれがはつきりしている。(カ)、同じく第二回調査では魚介類の摂取が全国平均を上廻るようになり、獣鳥肉類が全国平均には多少満たないが、患者地区では第一回目よりその摂取が約六倍に増加していることが注目される。(キ)、また緑黄野菜とその他の野菜が第二回調査では少なくなつている(ことに本病患者の家族)。(ク)、栄養面を見ても、本病患者の家庭のカロリー、蛋白質、カルシウム、鉄、ビタミンAの摂取が全国平均を上廻るようになり、ことに、ビタミンAは第一回調査時に比し四倍に増加している。(ケ)、今後は良質の蛋白質、脂肪、ビタミンA、同Dの摂取に努め、酪農を利用し、自家で生産される乳、卵等はできるだけ自家で利用し、緑黄野菜等の計画栽哉も一考すべきである。以上のとおりであるが、別表(四)により、昭和三〇年九月の第一回調査における本病患者の家庭と富山県農村平均の各栄養摂取量を比較すると、カルシウム、リン、ビタミンCについては前者が上廻り、カロリー、蛋白質、脂肪、鉄、ビタミン、A、B1、B2については後者が上廻つている。また、別表(五)により右第一回調査と同三一年三月の第二回調査における本病患者の家庭の平均と富山県農村平均の各栄養摂取量を比較すると、蛋白質、カルシウム、リン、鉄、ビタミンCについては前者が上廻り、熱量、脂肪、ビタミン、A、B1、B2、については後者が上廻つているのである。

(4) 河野臨床医学研究所は昭和三〇年富山県下のリューマチ性疾患の研究のために同県衛生当局に調査に適当した地域の指定を依頼したところ、同当局から新湊市、前記熊野村、婦中町の三か所を右疾患の多発地帯と指定されたので、同研究所所長河野稔医師は萩野昇医師、東京大学名誉教授細谷省吾らとともに二年間にわたつて右三か町村の調査と研究に当つた。

イタイイタイ病なる名称がはじめて公式に用いられたのは、河野医師らが同三〇年第一七回日本臨床外科医会で「イタイイタイ病(富山県風土病)に関する研究」と題する報告を行つたときであり、河野医師らは右調査、研究の結果を次のとおり「いわゆるイタイイタイ病の本態とその治療経過(第一報)」(臨床栄養九巻二号、昭和三一年)等に発表した。すなわち、(ア)、イタイイタイ病は富山県婦負郡婦中町に多発している疾患であつて、三〇才前後の婦人を冒し、腰痛、四肢痛、関節痛から始まり、次第に歩行障害を来して数年ないし一〇数年の経過で起臥不能となり、はなはだしきは些細な外力で四肢や骨盤、背柱、肋骨等の骨折をきたし、患者は疼痛のため「痛い、痛い」とうめいて栄養摂取不十分のため次第にやせ衰えて死に至る疾患である。(イ)、この地方における本疾患発生の始まりは審かではないが、明治末年頃から存在したもののようで、本態不明のため特別の治療法もなく、鎮痛等の対症療法がとられたにすぎず、患者もまた本疾患に冒されるとあきらめて死を待つが、そのうち恐怖と絶望のうちに次々と死んでいく悲惨な状況にあり、昭和三〇年五月から一年間に八名の犠牲者が出ている。(ウ)、レントゲン写真によると、重症患者にはトルコ鞍の変形、拡大、脊椎骨の圧迫骨折、肋骨骨折、骨盤の骨折はあるが、変形の少ないことや全身骨の著名な遠心性萎縮、仮骨形成の全く存在しないこと等骨軟化症に類似するけれども異なる点もあり、またリューマチや神経痛とは全く異なる疾患である。(エ)、本疾患の患者二名の検査成績を総括すると、血清低リン、カルシウム正常、高アルカリ性フォスファターゼ、腎機能軽度障害、尿中へのカルシウム排泄増加、血中二酸化炭素減少、副腎機能障害ということになる。前記のとおり骨軟化症の疑いはあるが、副腎機能、腎機能の障害、尿中カルシウムの排泄増加、血中二酸化炭素の低値なる検査成績のもつ意味は単に本疾患を修飾するに過ぎないものかあるいは本疾患の成立に本質的な役割を演じているものかは不明である。(オ)、本疾患は富山県地方のみに局在するものではなく、おそらく全国農村において同様の条件が揃えば発生するであろう。(カ)本疾患の発生地域の栄養摂取状態をみるに、米の過食と副食物の少ないことが特徴であり、したがつてカロリーは全国平均の三、六〇〇カロリーを上廻つているのに、ビタミンや無機質の摂取が不十分であつたり、両者の比率がアンバランスな状態にあつたりする。また、過去の食物摂取状況を同地域の老人達の話から総合すると、戦後の農地改革以前は、いわゆる小作人と地主との間で生活程度に相当な差異があり、米を作つていながら満足に三食とも米を食べることのできた家庭はあまりなく、粥やそれに野菜を入れたものや団子を作つて主食としていたのであり、肉や魚は祭日や正月以外口にすることはなかつたようである。しかし、栄養の点は、本疾患が往時の小作人にも地主にも発生して貧富の区別なく、労作の有無や軽重による区別もあまりないことから、右疾患の補助的因子であつても、主要因ではないと考えられる節も多分に存する。(キ)、日本の農民は一般に過重労働の状態にあるが、本疾患の発生地域は、気候、風土が日本一悪いという宿命的な悪条件下にあるので、農民の過重労働はことにはなはだしい。すなわち、この地方は冬季が長くて日照時間が短かいのに、全国平均の二倍の耕作反別をもつ米作地帯であるため、農民は短期間の農繁期に過重労働をせざるを得ない状態にある。なお、婦人の産前産後の休養も少ない傾向にあつた。(ク)、性生活に対する無知がみられた。(ケ)、本疾患の発生地域の農民の経済状態は一般に富裕であつた。(コ)、前記のとおり本疾患は往時の小作人と地主の間にも発生して貧富の区別なく、また労作の有無や軽重による区別もあまり存しない。(サ)、富山県付近の気候は南の福井県北部から北の新潟県を結ぶ日本海沿岸一帯のそれとほぼ同一であり、日照の少ないことがその特徴である。(シ)、熊野地区は、扇状型平野で、富山平竪のほぼ中央に位置し、東部の神通川と、西部を流れる井田川の両河川に挾まれた高低のほとんどない平地であつて、水田は神通川の恩恵を受けているが、昭和四年に神通川の熊野側堤防が完成するまではしばしば洪水に見舞われており、ほとんど毎年のように大水害が発生した。本地区では、神通川との関係以外に取り上げるべき材料はないが、戦前は神通川の水は飲料水にも利用され、このため上流にある神岡鉱山の鉱毒問題が起つた際には、大騒ぎとなり、河川水が白濁し、川魚等が浮いた。当時の水質検査の資料はないけれども、本疾患の発生に関連すると思われるのは右鉱毒問題のみで、他に地理的特質はない。しかし、右鉱毒問題も現在ではほとんど解決され、取り上げる程度のものではない。以上が河野医師らの調査の結論であつた。

なお、河野医師らは後に骨軟化症と本疾患との比較検討を行いその相違点を左記表記載のとおりまとめ、本疾患は骨軟化症とは本態的に異つた骨疾患であるとし、第一段階の初発の原因はまだ不明であるが、蛋白質代謝を司るステロイドホルモンの失調およびビタミン欠乏などにより飢餓骨軟化症(Hungerosteopathie)様の病像が、付加修飾され現われた骨疾患であるとしている(河野稔、中山忠雄ほか、整形外科一二巻昭和三六年)。

骨軟化症

本病

発生地域

全国的(ただし、裏日本、特に富山

県に多い)

富山県婦負郡婦中町一帯

患者性別

女性に多い。ただし結婚、分娩等

とは無関係である。

女性に限る。既婚経産婦に多い。

予後

不良

レントゲン線所見

(一) 骨の彎曲、歪み、圧平等の

形態的変化がある。

(二) 骨改変層は著明である。

(一) 骨折による変形が主体で、

骨折修復機転が微弱である。

(二) 骨改変層は少ない。

骨病理組織所見

骨芽細胞が多数認められる。

骨芽細胞をほとんど認めない。

また、河野医師は財団法人日本公衆衛生協会が昭和四四年五月三〇日日本都市センターにおいて開催した「慢性カドミウム中毒ならびにイタイイタイ病に関する医学研究会」(以下、単に医学研究会という)において、(ア)、本疾患は骨軟化症と類似しているが、異なる病像も若干存在すること、(イ)、右の異なる病像の原因はカドミウムであるかもしれないが、本疾患はカドミウムのみでは発生しないこと、(ウ)、本疾患が地域的に限局して多発したのは、あたかも雪の吹寄せのように、各種の因子が混在して偶然に特定地域に発生したものであること等と発表した。

(5) 富山県立中央病院においても本病の研究が行われ、その結果順次次のとおり発表した。(ア)、第一報(多賀一郎、村田勇、中川昭忠、古本節夫、萩野昇:日本整形外科学会雑誌三〇巻昭和三一年)本病患者はすべて多産の主婦であり、姑と嫁が同一家庭で継続的に発生する例があつて、遺伝的関係は証明できず、既往歴には特殊な共通点がないことなどを考慮すると、本病の原因は不明であり、普通の骨軟化症とは骨所見に差異はあるけれも、ビタミンD投与によつて治療機転のみられる点で本病は骨軟化症に類似する骨系統の疾患であつて、多産、食生活、住居、天候等の悪影響によるものと推定される。(イ)、第二報(多賀一郎、村田勇、中川昭忠、古本節夫、萩野昇:日本整形外科学会雑誌三一巻昭和三二年)本病患者の中に腎性の一過性糖尿、0.1ないし0.2パーセント程度の極く微量の蛋白尿を示す症例があり、また本病患者の腎機能検査で尿中アミノ酸排泄が多く、ブドウ糖に対する腎尿細管再吸収極量が低値を示したことその他腎機能に関する検査結果を総合すると、本病は骨軟化症であり、その原因は腎尿細管再吸収機能障害であるとする考えがかなり有力である。(ウ)、第三報(村田勇、中川昭忠、古本節夫:日本整形外科学会雑誌三二巻昭和三三年)本病の症状の一つである腎尿細管性障害はビタミンD治療と共に好転の傾向を示すから腎性原因は補助的因子ないし二次的障害であり、また女性内分泌系、特に性腺ホルモンの関連性が有力な補助的因子であり、欧州に発生した飢餓骨軟化症と同一系列に属するのである。

また村田勇(現富山県立中央病院外科医長)らは本病の典型的な骨レントゲン線所見として次のものをあげている(臨床放射線2号、昭和三二年)。すなわち、(ア)、骨萎縮・脱灰像(頭蓋骨を除く全身骨で著明)骨緻密質は菲薄線維状に萎縮し、海綿質も菲薄透明となり、脱灰像は骨幹端部および末梢近位の別がなく生ずる。(イ)、骨折像 四肢骨に多発性病的骨折像がみられるが、骨折像というよりむしろ屈折像を示し、骨折部の仮骨形成、造骨性変化が極めて乏しい。(ウ)、骨格変形 骨盤骨、肋骨、胸椎(楔状椎体)、腰椎(魚椎状)等に著明である。(エ)、骨彎曲、ハート型―骨盤の扁平化 大腿骨頸部角において内反股が形成され、また肋骨、胸骨、鎖骨、前腕骨の彎曲がみられる。(オ)、骨改変層 圧痛の局所または放射痛の基部に骨改変層が発見される。

(6) 次に金沢大学医学部病理学教室の梶川欽一郎ほか三名は本病の具型的な二症例を剖検し、また七例の患者の骨の生検材料を検査し、「富山県下に地方病的に多発した骨疾患―いわゆる『イタイイタイ病』について」と題して次のとおり発表した(日病会誌第四六巻第五号)。すなわち、

臨床的および病理解剖学的所見を総括すると、本病の特徴としては、(ア)、戦後一地域に限局して多発したこと、(イ)、更年期後の女性、ことに多産婦に多いこと、(ウ)、身体各所の神経痛様疼痛を主訴とすること、(エ)、発病と病気の経過は緩慢であること、(オ)、骨格の変形は背椎、下肢に認められることが多く、骨盤の変形は比較的少ないこと、(カ)、血清カルシウムは正常または軽度減少し、血清無機リンは減少し、アルカリフォスファターゼは上昇が証明されること、(キ)、二例の剖検例とも腎臓に病変がみられた。すなわち、二例は共通して左右両腎とも著明な老人性動脈硬化性萎縮腎がみられ、特に左腎に高度であり、割面においては実質全般に菲薄、灰白暗赤となり、髄質に粟粒大灰白黄色の病巣が散見され、ほかに腎孟拡大、粘膜充血がみられたこと、(ク)、二例の剖検例に共通な骨系統の所見をみるに、まず、肉眼的所見としては、肋骨は弾力性軟、セルロイド様の硬度で、手で彎曲せしめられ、はさみ、刀で容易に切断され、レントゲン線で認められた改造層に一致して各肋骨に小指頭大の結節が並び、割面、骨髄は暗赤であり、骨質は全般に菲薄であるがところどころ不規則に肥厚しており、結節状の隆起部には骨髄質を満す骨の新生がみられる。大腿骨は骨髄が大部分脂肪髄、一部暗赤色、骨緻密質は著しく菲薄、骨梁も全般に細く、ところどころ小突起状をなして不規則な骨質の肥厚が認められ、骨質は軟かであり刀で容易に切断される。腰椎は全般に圧平され、魚椎状で菲薄な骨梁の間に樹枝状に肥厚した新生骨が認められる。頭蓋骨は萎縮状であるが、硬度は正常に近く、刀で切断することはできない。次に、組織学的所見としては、肋骨、鎖骨、尺骨、大腿骨、脛骨、足骨、脊椎骨、頭蓋骨が検査されたが、基本的にはいずれも同一の変化がみられた。すなわち、骨質は一般に菲薄であり、ハーベル氏管は拡大し、内骨膜、外骨膜から毛細血管を伴つた線維性組織が増生して骨質内に穿孔性となつており、線維性組織が増生する部位には破骨細胞による窩状侵蝕が認められる。特異な所見は単なる骨多孔症(Osteoporose)と異なり、多孔症となつた骨の辺縁、拡大したハーベル氏管の周辺に類骨組織の形成が認められることである。非脱灰標本で検すると、石灰沈着は一般に乏しく、骨緻密質、骨梁の中央部に石灰化骨が残存してその周辺は石灰沈着のない類骨によつて囲まれ、いわゆる類骨縁(Osteoide Säume)を形成し、類骨縁の広がりは部位によつてさまざまであるが、はなはだしい場合には骨梁がほとんど全部類骨で置換されているほどである。石灰化骨と類骨との境界は多くの場合明瞭な接合線で境され、一部では両者の境界に顆粒状の石灰沈着を認め、その境界が不明瞭な部分もある。骨細胞は全般に減少し、特に類骨においてはその後少なく、やや腫大し、突起に乏しく、骨小腔は狭い。類骨の層板構造はかなりよく認められ、パス染色では類骨は石灰化骨に比して淡染、アルカリフォスファターゼ染色では石灰化骨は強陽性であるが、類骨では陰性である。改造層においては類骨の形成が特に著しく、樹枝状に増生した類骨が骨髄腔を満している。ここでは層板構造は乱れ、ところどころに軟骨の形成を伴つている。類骨の間には線維性組織が増生し多数の毛細血管を含み、骨縁には時々骨芽細胞、まれに破骨細胞が認められる。外骨膜より線維性骨が形成されるが、石灰沈着は乏しい。増生した類骨は骨外側に結節状に突出し、骨葉(Osteophyt)を形成する。これら類骨の増生の著しい部位ではその中央部が壊死に陥つている。以上の改造層における類骨の新生は限局性で石灰沈着はその外側に比較的多くみられるが、レントゲン線で改造層が中央に透明な層をつくりその両側に濃厚な陰影を認めるのは、このような組織像に基づくものであり、骨緻密質およびそれに近接する骨梁の間に線維性組織の増生を伴つた類骨が底を外側に向けた楔形をなして骨髄内に増殖している像が存するが、これは改造層の初期の像である。以上の骨の変化はほとんど全身の骨に認められるが、肋骨、大腿骨上部、脊椎、鎖骨に比較的変化が強く、頭蓋骨は変化が軽微である。なお、骨にかかる機械的刺激の強弱と骨芽細胞の活動性は比例しており、その極端な事例として骨折部で旺盛な骨芽細胞の増殖と類骨新生がみられる。しかして、以上の所見を総合すると、本病の骨変化は病理学的に骨軟化症と骨多孔症の合併したものであり、なかでも骨軟化症が病変の主体をなすこと、(ケ)、ビタミンDの投与により本病の臨床症状は改善され、組織学的にはそれに応じて類骨の減少、石灰沈着が認められることであり、以上の諸特徴から結論づけるならば、本病はおそらく欧州において戦後発生し飢餓骨軟化症と称せられた骨疾患と同種類の疾患で、その本態は骨軟化症とみるべきものと思われ、その病理組織学的所見は、類骨の新生と骨多孔症(骨粗しよう症)によつて特徴づけられるが、これは骨の付加と吸収の過程における量的、質的な失調に基づくものであり、臨床的ならびに病理組織学的検査から本病の発生にはビタミンD欠乏が重要な因子であることは疑いないが、戦時中に被つた栄養不足、不適当な生活環境も無視できない。しかし、なぜ富山県の特定地域に本病が多発したかという点は説明が困難であり、本病の真の病因は未解決である。なお骨軟化症はくる病を経過した人に発生しやすいといわれ、富山県は元来くる病の多い地方であり一九〇六年ないし一九〇九年に同県氷見地方にくる病が多発したと報告されているが、本病発生地域は右氷見とは離れた地域であり、この地域に常時くる病が多いという事実はない。以上が梶川欽一郎教授らの報告であるが、右報告中腎臓の病変に関する部分には二例共通に左右両腎臓とも著明な老人性動脈硬化性萎縮腎がみられるとし、腎尿細管の病変についての記載がないが、この点につき石崎有信教授は右報告の二症例は腎孟炎が合併したため腎病変の完全な観察がなされていなかつたものと推測し、同教授が後に死体解剖の標本を観察したところによれば糸球体はほとんど変化がなく、腎尿細管に病変がみられたとしている。

(7) 金沢大学医学部放射線医学教室中川昭忠は昭和三〇年一〇月から本病の本態を究明するため検索、研究を行つたところ、同三一年四月従来知られていた富山県婦負郡熊野村(現同郡婦中町)のほか、神通川流域で熊野村の対岸にあたる同県上新川郡新保村(現富山市)にも本病が存するのを発見し、合計五五名の病患者とみられる者がいたが、いわゆる神経痛等の疾患が混在したり、検索を拒否する者もあつたので、結局三〇名の患者を研究対象として現病歴および既往歴、現症、臨床検査、レントゲン線学的検査、病理組織学的検査をなし、その結果を次のとおり「富山県に発生した骨軟化症の研究(いわゆるいたいいたい病)」と題して発表した(金沢医理学叢書第五六巻別刷(昭和三五年一月)、なお保健の科学同年一一月号))。すなわち、本病の正確な発病年令は不明であるが、四肢の筋肉痛、関節痛、背腰痛等直接病変と結びつけられる病状の発現した時期を発病期とすると昭和二〇年以前に発病した者四名、同二一年から同二五年までに発病した者八名、同二六年から同三〇年までに発病した者一六名、同三一年以降に発病した者二名である。次に本病の臨床像を要約すると次のとおりである。(ア)、患者はすべて数回(三〇例中五回以上の出産経験をもつ者が二三例で平均6.6回である)、多い者は一〇数回の出産を経過した多産系の更年期後の女性のみであり、男性に発生した例は認められず、また遺伝的関係や共通した既往の疾患もなく、初発症状は多くは腰痛、下肢痛であり、初発年令は五〇才頃(平均五四才)で更年期前後に発病している。症状の経過は極めて慢性であつて、数年あるいは一〇数年に及ぶものがあり、その間に疼痛が次第に全身に広がり、骨格の変形とともに歩行障害が起り、次いで歩行不能となり、寝込むと全身状態がさらに悪くなり、全身の衰弱も加わり、日夜「痛い、痛い」を連発するようになる。(イ)、外観所見としては、重症例では著明な躯幹の短縮を伴つた骨格の変形がみられ、軽中等症は股関節の開排制限と跛行を示し、患者中には肩関節の運動制限をみるものがある。また自発痛とともに、各骨に圧痛が証明され、皮膚は特有の光沢を帯び、重症例では長く病臥していても褥創の発生がほとんどみられない。(ウ)、血液所見としては、全例に貧血と赤沈値の亢進があり、代謝性アチドーシスを示し、特に重要な所見は血清無機リンの低下とアルカリフォスファターゼの上昇である。(エ)、尿所見では、比較的多尿を示し、尿中全例に蛋白質が証明され、また糖質が時々証明される症例があり、尿中のリン排出量は減少し、アミノ酸の排出増加が認められた。(オ)、腎機能検査において、細尿管障害が認められた。(カ)、副腎皮質機能検査においても障害が認められた。(キ)、骨のレントゲン線所見においては、高度の骨萎縮と種々の骨彎曲像および病的骨折像を認めるとともに特有の骨改変層の発生が全例にみられた。本病患者中、いわゆる動揺性歩行を行う者で高度の運動障害や骨の変形の少ない症例を「軽症」、歩行が著明に障害され、杖等の介助物を頼りに辛うじて歩行できるか、あるいは歩行不能であるがはつて動くことができる者で骨の変形もあまり高度でない症例を「中等症」、骨の変形が著しく随意運動は困難で、ほとんど静止の状態にある症例を「重症」の三つに区分して、骨改変層の各骨別発生状況を調べた結果は左記表のとおりである。

区分

重症六例

中等症六例

軽症一八例

骨別

大腿骨

一六

骨盤骨

一四

肋骨

肩胛骨

足骨

前腕骨

下腿骨

鎖骨

手骨

上腕骨

胸骨

「中等症」では肩胛骨、上腕骨、手骨、足骨に頻度が高いが、これは「重症」ではほとんど静止の状態にあるが「中等症」では辛うじて歩行やはう等の運動が可能であるためであり、また「軽症」患者の大腿骨、骨盤骨の骨改変層の発生頻度は「重症」、「中等症」とあまり差はないが、その他の骨では著しく少なく、このことは骨改変層の初発部位が大腿骨、骨盤骨であり、病勢の進行とともに肋骨、肩肝骨前腕骨等に順次発生していくこと、初発症状が腰痛、大腿痛であることとほぼ一致し、また動揺性歩行はこの疼痛に対する一種の防御作用として生ずるものといえる。(ク)、病理組織学的所見としては、類骨の発生が認められ、これが特有の類骨梁を形成していた。以上の所見は骨軟化症として成書に記載のある症状とほぼ一致するものであり、本病は骨軟化症と推断される。ところで、骨軟化症の病因については従来次のものがあげられている。(A)、栄養欠陥に由来するビタミンD欠乏 これは古くからくる病および骨軟化症の原因とされ、日光欠乏の問題とともによく知られている。貧困または偏狭な習慣に伴う偏食のためにビタミンD不足あるいはリン、カルシウムの摂取量の不均衡の結果誘発され、またこのような悪環境下では蛋白減少による栄養低下もこれに加わつて起るもので、第一次大戦後欧州に発生した飢餓骨軟化症はその好適例である。そこで富山県の熊野、新保両地区における住民の栄養状態をみてみるに、現在は食事状況はかなり良好であるが、やはり因習的な農村特有の偏食習慣が目立ち、地区保健所の調査では米飯偏食によりカロリーは高いが、脂肪、リン、カルシウムの摂取量が比較的少なく、この状態は過去においてさらにはなはだしかつたようで、特に戦中、戦後を通じ最悪の栄養不良状態が現われたものと想像される。鶏卵、牛乳、肉類の摂取を嫌い、長期間の精進料理を行い、動物性食品を絶つ宗教的習慣があり、特に本病患者の家庭ではリン、カルシウムの摂取量にはなはだしい不均衡が目立つており、同各家庭の多人数の食卓のわずかな動物性食品は主として主人、子供の口に入り、家婦は米飯と漬物のみの日を過したものと想像され、日本特有の習慣が産前、産後の過労とともに家婦のみにしわ寄せされたものと思われる。したがつて、本病の発生要因の一つとして第二次大戦中および戦後の栄養低下と農村の食生活を含む悪環境をあげることができる。(B)、胃腸疾患に由来するビタミンD吸収障害 ビタミンD欠乏は食餌による摂取が十分であつても腸からの脂溶性ビタミンの吸収が悪い時にも起りうるのであるが、本病患者には胃腸疾患に由来するビタミンD吸収障害にみられる脂肪性下痢の訴えなく、また剖検所見においても胃腸粘膜に特殊な病変は認められなかつた。ただ一つ興味のあることは、本病発生地域における鉱毒問題(該発生地を流れる神通川の上流に神岡鉱山があり、以前はよく鉱毒を流して水が汚染され、しかも当地域の住民はこれを飲用していた)との関連性であり、本病が主として神通川流域にのみ局地的に発生している事実は、鉱毒による長期間にわたる汚染が腸粘膜に病理組織学的に発見しえない障害を及ぼしたのではないかという仮定が存在するが、当地区の水質検査では現在のところ特殊な所見が発見されておらず、鉱毒問題は否定されてよいと考えられる。(C)、内分泌系障害 骨軟化症と内分泌との関係、特に女性ホルモンとの関連について、骨軟化症は男性に発病した報告例もあるが、多くは女性特有の疾患とされており、産褥性骨軟化症の存在や、これが妊娠、授乳ごとに増悪すること、卵巣剔出や男性ホルモンの投与が症状の好転をもたらす等のことに、臨床ならびに実験的に研究されている。このように女性ホルモンは骨軟化症におけるビタミンDに次ぐ第二の発生因子ともいわれている。中川の扱つた症例では全例が女性であり、かつ多産婦に発病したことは女性ホルモンが骨軟化症の発病になんらかの誘因を及ぼしていることを物語るものであると思われる。

また脳下垂体副腎皮質機能について中川はThorntest尿中一七k、sの検査でその機能不全を認めているが、これのみで内分泌性原因を肯定するに至らず、二次的続発所見であろうと考えている。(D)、腎性原因 腎疾患を伴う骨軟化症、すなわち腎性原因の解明に関しては一八八三年ルーカス(Lucas)が晩発性くる病と蛋白尿の合併例を報告して以来、主としてくる病研究の方面より展開され、くる病は単なる食餌性の欠陥によることはまれで、むしろ他の合併症、特に腎性原因が主役を演ずることが多いとされ、またくる病または骨軟化症の原因としてビタミンD欠乏のみによるものの存在は疑わしく、その発症の条件としてビミタンD欠乏、腎尿細管不全および一次性高カルシウム尿があげられている。このような腎性原因を主とする傾向は次第に骨軟化症の分野にも及んだ。本病は明らかに骨軟化症の所見を呈し、ビタミンD投与に対し良く反応しているが、その腎機能ならびにこれに関連する血液および尿所見をみると、血中残余窒素は正常、血液ペーハーはほぼ中性であり、代謝性アシドーヂス(一次性アルカリ欠乏)を示し、血清無機リンは減少し、血清カルシウムは正常もしくは軽度減少である。尿では微量の蛋白質とアミノ酸の排出増加があり、一過性に尿糖を証明する症例が存在し、比較的多尿を示している。尿中リンの排出はむしろ減少し、カルシウムの排泄量は正常である。稀釈濃縮試験では特殊所見なく、p・s・p試験で軽度の排泄障害がある。尿素クリアランスでは機能減退を示すものがあり、糸球体濾過値はほぼ正常で、腎血漿流量はやや低値を示し、腎尿細管再吸収極量では低い値を示すものがある。これらの所見により腎糸球体障害は否定出来るが、腎尿細管機能障害を呈する症例が存在している。ただし、長期間にわたる慢性疾患の一時期をとらえ、複雑な腎機能に関してこれが原因であるとの決定は困難であつて、補助的ないし二次的障害であろうと考えられる。以上により本病は第二次大戦中および戦後にわたる食糧事情による栄養の低下と農村特有の食生活を含む習慣的悪環境が原因となり、これに更年期の多産婦、したがつて内分泌系特に女性ホルモンの関連性が有力な補助因子となつて発生したと考えられ、本病の腎尿細管機能障害は補助的、あるいは二次的障害であると思われる。最後に、なぜ富山県の特定地域にのみ本病患者が多発したかということについて説明は最も困難であるが、以上に述べてきた発生因子とともに裏日本という条件が関係しているとしか考えられないのである。

(8) 萩野昇医師は前記のとおりかねてから本病の研究を続けていたが、昭和三八年六月一五日に開催された厚生省イタイイタイ病研究委員会および文部省機関研究イタイイタイ病研究班の合同研究会で次のとおりの報告を行つた(なお、右報告は、これよりさきの同三六年六月に同医師および吉岡金市博士が発表した「イタイイタイ病の原因に関する研究」、吉岡博士が同時期に富山県当局等へ提出した「神通川水系鉱害研究報告書―農業鉱害と人間鉱害―」などとほぼ同趣旨のものである。)。すなわち、(ア)、本病は富山平野を貫流する神通川の左右両岸における一定地区に多発し、右地区は神通川を中心として東方は熊野川、西方は井田川なる各々神通川本流に注ぐ両支流に挾まれた扇状形の地域であるうえ、神通川の川底より低い海抜水準にあり、これは富山県の地勢が山間部から平野、そして海へという急激な斜面を呈しているため、土砂は急流に運ばれて右地区の川底に累積するためであり、そして右地区の下流は平坦地であるため流勢緩慢となり、再び川底が低下している。このような本病発生地域では、神通川の熊野側堤防が完成した昭和四年までは、しばしば洪水に見舞われていたことや神通川の川水は飲料水として利用されていたこと、そして神岡鉱山の鉱毒問題が起つた際の状況については、河野稔医師らとともに行つた前記(4)の報告のとおりであり、本病発生地域中、神通川左岸薄島に取水口が造られている牛ケ首用水と神通川本流との間に挾まれている三角洲地帯は本病の発生が最も多いところである。(イ)、本病発生地域の気候および栄養状態についても、前記河野稔医師らとともに行つた前記報告のとおり、右地域のみが北陸地方の他地区に比し、特に悪いわけではない。(ウ)、本病は、多産者のみに発生しているわけではなく、貧富の差も少なく、農家にも非農家にも、過重労働の状態にない者にも発生し、また一家の内で嫁と姑とに発生していることから遺伝的関係は証明されない。(エ)、本病発生地域にくる病が多発しているような傾向はない。(オ)、前記第二の三の3の(五)のとおり、本病発生地域の白米、玄米、水稲の根、神通川の中洲の土壌等はカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類によつて汚染されていた。(カ)、本病患者の骨を摂氏五〇〇度以下で灰化して有機物を除去したうえ、スペクトルによる化学的定量分析の結果によれば、同患者の骨の灰には健康人に比し大量カドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類が検出された。カドミウムは、対照として検査した事故死者の骨から六p・p・m、他の疾患による死亡者の骨から一一p・p・mがそれぞれ検出されたが、これに対し、本病患者の剖検例において、K患者の胸骨から三、八〇〇p・p・m、蹠骨から三、三〇〇p・p・m、N患者の胸骨から一五〇p・p・m、蹠骨から二七〇p・p・m、K、N以外の患者の脊椎骨から三〇〇p・p・m、大腿骨から二九〇p・p・mがそれぞれ検出され、この平均値は一、三五二p・p・mで対照資料の平均値の一五九倍となる。なお、鉛も対照資料の一一倍、亜鉛は対照資料の四三倍であつた。(キ)、本病患者の剖検例の脾臓、食道、胃、小腸、大腸、肺臓、気管、肝臓、腎臓、膵臓、副腎、甲状腺、皮膚、舌、大脳、大動脈、子宮輸卵管、心臓等各部、臓器別にカドミウム、鉛、亜鉛の検出の模様をみると、前記K患者はカドミウムの検出が各部、各臓器にわたつて多いが、前記N患者では各臓器より相当量検出されたけれども前者ほどには多くなく、鉛、亜鉛は各臓器ともに少なかつた。(ク)、本病患者の頭髪、爪については、一部の者からカドミウム、鉛、亜鉛を相当量検出した。(ケ)、以上により、本病の原因はカドミウムであると考えられる。(もつとも、証人富田国男の証言によれば、萩野昇医師の以上の報告中、(カ)および(キ)の各結果に対しては、標本の保存が重金属分析を予期してなされていたかについて疑問があるとし、したがつて数値そのもの正否を疑う者のあることが認められる。)なお、本病の発生時期に関し、萩野昇医師は、その正確な発生時期は不明であるが、同人の祖父(大正一一年死亡)の時代には報告がなく、父の時代に既に経験されていることから、大正年代の始め頃であろうと推測している。

(9) 高岡農協病院においてもかねてから本病の研究がなされていたが、同病院の豊田文一医師らは昭和三八年六月一五日に開催された前記厚生省イタイイタイ病研究委員会と文部省機関研究イタイイタイ病研究班の合同研究会で本病患者三例について次のとおり報告している。すなわち、(ア)、右三例の本病患者はいずれも富山県婦負郡婦中町およびその周辺に出生し、かつ居住する女性で、遺伝的関係は認められず、家族歴、既往歴には特記すべきものがなく、いずれも頻回の妊娠、分娩をし、過重な労働を行つていた。(イ)、右三例の患者ともに閉経期前後から発病し、数年の経過でまず腰背痛に始まり、次第に体動、深呼吸、咳嗽時等に胸背痛を訴え、次いで疼痛は四肢その他全身に広がり、さらに歩行障害を起し、あるいは起臥できぬ状態になる。(ウ)、各患者は昭和三〇年一二月高岡農協病院へ入院したが、入院時すでに体格、栄養は衰え、体位は極度に小さく、身長は健康時に比し二〇ないし三〇センチメートル短縮し、いずれも全身の疼痛が強く、肢位異常と開排制限を認め、三例中、二例はかろうじてアヒル様動揺性歩行をなし、一例は全く体動困難で、些細な接触でさえ烈しい疼痛に苦しむ状態であつた。(エ)、三例ともにほぼ全身に骨萎縮脱灰像が著明であり、脊椎は椎体骨萎縮が高度で、椎間板はむしろ膨隆した様になつて椎体中に圧枕状に彎入し、魚椎状を呈する。一例にハード型骨盤を認め、全例の諸所に骨折、骨屈曲、骨改変層を認めたが、全例とも頭蓋骨には萎縮像がなく、トルコ鞍にも著変を認めない。(オ)、血液像には軽度の貧血を認めるほか著変はなく、血清蛋白は比較的低値であり、血中カルシウムはほぼ正常値を示すが、無機リンの減少、テルカリフォスファターゼの上昇を認めた。(カ)、一例に蛋白尿等を認めたが、他に尿所見の異常はなく、全例とも最高血圧の低値をみるほか、心電図に著変なく、一例に低酸をみるが胃腸障害等は認めず、屎にも特記すべきものはない。(キ)、肝機能には全例とも障害はなく、腎機能にも二例は著変はないが、一例には障害が認められた。(ク)、一例において軽度の副交感神経緊張を認めたほかは、自律神経機能について特記すべきものはない。副腎皮質機能検査は機能低下、尿と血中副腎皮質ホルモンの低値をみた。(ケ)、入院後良質高蛋白、十分な無機質、特にカルシウム、リンの十分量をその比等の調整を行つて与えたところ、二か月経過して、二例は全身の疼痛の軽減をみ、引続き十分のリン酸カルシウムおよびビタミンDの投与により経過は著しく良好となり、二例は五ないし七か月で苦痛の消失をみ、アヒル様動揺性歩行もなくなり、他の一例も四肢の伸展が自由になつて起座し、六か月後には歩き始めた。また骨のレントゲン線所見では骨硬化等改善が証明され、骨折部および骨改変層部に仮骨形成をみる等造骨性変化が認められ、骨改変層も一部消失の傾向にあつた。血清学的には増加していたアルカリフォスファターゼの減少、無機リンの正常値への増加が認められた。(コ)、以上の所見と経過から本症は臨床的に骨軟化症の所見に一致した。(サ)、三例の患者の家庭はいずれも神通川本流から取水する地域に水を求めている。

(二) 組織的研究体制の成立後の調査、研究について

(1) 既にみてきたとおり、本病は、これに対する組織的研究体制がとられる以前においては、各研究者によつて具体的病像等について種々意見の相違がみられたのであるが、組織的研究は、先ず、富山県地方特殊病対策委員会、厚生省医療研究イタイイタイ病研究委員会、文部省機関研究イタイイタイ病研究班(以下、これらを単に合同研究班という)が協同して次のとおり本病に関する疫学的基礎研究を行うことから始められた。いわゆる疫学はすでに述べたように人間集団中の疾病等の全容をつかみ、疾病等が多発する原因、経過を考察する学問であるが、その目的を達成するためには、疫学的調査の方法と調査の対象たる疾病等についての診断基準が明確にされねばならない。そこで、合同研究班は本病に関する前記のとおりの従前からの種々の情報を検討したうえ、先ず疫学的調査の方法を次のとおり三段階に分けた。すなわち、先ず第一次スクリーニングは、(ア)、そけい部、腰部、背部、関節部等における自覚的疼痛の有無、(イ)、特有の歩行の有無、(ウ)、上膊骨、肋骨の部位のレントゲン線所見によつて行なうこととし、次に第二次スクリーニングを(ア)、骨盤部、頭部側面、疼痛部位に関するレントゲン線検診、(イ)、検尿(蛋白および糖の出現の有無)、(ウ)、検血(血清アルカリフォスファターゼおよび血清無機リン)、(エ)、一般診察によつて行ない、最後に第三次スクリーニングとして精密検診を行うこととしたのである。

合同研究班の調査、研究に先立ち、富山県地方特殊病対策委員会は同三七年一〇月および一一月すでに第一回調査として本病患者の発生地域とみなされていた富山県婦負郡婦中町熊野地区および富山市新保地区において集団検診と疫学的調査を行つていたのであるが、その後合同研究班の発足をみた同三八年から同四〇年に至るまでは合同研究班の調査、研究の一環として引き続き集団検診を行つた。これら集団検診と疫学的調査の結果得られた成績は次のとおりである。

ア 昭和三七年度における集団検診および疫学的調査の各成績

前記のとおり右年度における集団検診および疫学的調査は本病患者の発生地域の一つとみなされていた前記熊野地区および新保地区において行なわれたが、これらの地域の背景をみるに、熊野地区を含む婦中町を例にとつて人口動態統計と農村特性を調査し、検討した結果、前者の人口動態統計については、粗死亡率、乳児死亡率などは全国平均値より高いが、同町を管轄する八尾保健所管内および同県全体に比して大差なく、死因別死亡率も悪性新生物や心臓疾患のように全国平均値より高いものもあるけれども、この地方としてはむしろ低い方であり腎炎およびネフローゼ(慢性糸球体腎炎)による死亡のやや多いことが注目され、また後者の農村特性については、農家人口率が高く、専業農家の率、一戸当りの耕地面積、経営耕地中に占める田の面積の割合、乳牛、山羊、鶏等の飼育戸数の割合、動力耕うん機所有率等はいずれも高く、また栄養摂取状況および過去一年間あるいは戦後に生活改善を行なつた農家が半数以上をしめる集落率なども高かつたが、上水道や簡易水道を有する集落は熊野地区にはなく、婦中町も同県の平均よりかなり低くなつており、反対にテレビ、オートバイ等の普及率は他地区より高く、結局同町は同県における農村としては比較的恵まれた地域であるということになる。

次に同年度のレントゲン線集団検診成績をみるに、同年度の富山県予算によつて金沢大学医学部放射線科が中心となり前記両地区の三〇才以上の女性九六〇名を対象としてレントゲン線集団検診が行なわれ、八六二名(九〇パーセント)が受診した結果、従来自覚症状を伴つた典型的イタイイタイ病のレントゲン線像は高度の骨萎縮、骨彎曲、骨改変層の発生であるとされていたのに、右集団検診では自覚症状のない住民中にレントゲン線写真上比較的多数の軽症の本病患者と診断できる者がみられた。すなわち、(あ)、全般に脱灰像が認められる、(い)、上腕骨の皮質の菲薄化、(う)、上腕骨の皮質の不整およびメタフィーゼ(Metaphyse)の部の斑点状陰影、(え)、胸部の変形、特に上部肋骨の走行異常(垂れ下つた感じ)、肋骨の変形屈曲(稀に骨改変層)、(お)、脊椎の側彎、(か)、上腕の筋萎縮、(き)、軟部組織の石灰沈着(筋膜、関節のう、筋付着部)、(く)、肩甲骨の辺縁不整、骨梁の異常等のレントゲン線所見がこれである。

ところで、以上の症状のうち(あ)ないし(え)がそろえば、他の所見の有無にかかわらず、本病の濃厚容疑者、(あ)ないし(え)中の一部が認められる者および(き)ないし(く)中の二以上が認められる者を本病の容疑者としたところ、受診者中熊野地区の一三名および新保地区の一二名が本病の濃厚容疑者また熊野地区の三九名および新保地区の二〇名が本病の容疑者であつた。

また、同年度レントゲン線集団検診により判明した熊野地区の本病の濃厚容疑者群(A群)、容疑者群(B群)および対照健康者群(C群)についてなした疫学的調査(同調査はA群一三名、B群三七名、C群三二九名について行なわれ、A群およびB群の年令は六〇ないし六九才がピーク、C群のそれは三〇ないし三九才がピークになつているが、C群中、五〇名をA群おびよB群の年令構成にほぼ一致するように抽出したもの)成績についてみるに、(あ)、身体のいずれかの部位に疼痛を訴えた者(既往および現在)はA群92.3パーセント、B群89.2パーセント、C群56.0パーセント、(い)、農作業の経験者はC群が低率、(う)、現地に三〇年以上居住する者はA群およびB群に多い、(え)、平均出産回数はA群6.4回、B群5.3回、C群5.6回、(お)、出産後の平均休養日数はA群9.2日、B群9.4日、C群10.3日、(か)、生活水準についてA群は全員が中とし、B群中一例が上、三四例が中、一例が下とし(なお、同一世帯に二名のもの一例あり)、C群中二例が上、四三例が中、一例が下とし(なお、同一世帯に二名のもの三例、世帯に関して調査結果が存しなかつたもの一例あり)、(き)、農家一戸当りの水田面積および家屋の敷地面積は、A群は全例が水田をもち、一戸当りの水田面積は1.43ヘクタール、一戸当りの家屋の敷地面積は6.2アールであり、B群中三四世帯が水田をもち、一戸当りの水田面積は1.56ヘクタール、一戸当りの家屋の敷地面積は6.7アールであり、C群中四二世帯が水田をもち、一戸当りの水田面積は1.03ヘクタール、一戸当りの家屋の敷地面積は8.1アールであり、(く)、住居の日当りについて三群間に有意差なく、住居の一人当りの平均畳数はC群に多いが、A群には一人当りの畳数が三畳以下の例はなく、また現在の飲料水は、A群およびB群中の各一例の不明を除けば、全例井戸水を利用し、井戸の深さについて三群間に有意差は存しない等であつた。

イ 昭和三七年度の本病容疑者に対する同三八年度の精密検診および疫学的調査の各成績

前記のとおり昭和三七年度レントゲン線集団検足において、熊野および新保両地区で合計八四名の濃厚容疑者および容疑者が発見されたが、右八四名の本病容疑者および同年度検診未受診者の初回検診で発見された熊野地区の精密検診を必要とする者五名、以上合計八九名を対象として同三八年一一月および一二月に精密検診および疫学的調査が行なわれた。

先ず、検診を受けた者は本病の濃厚容疑者一六名および容疑者四九名であり、検査は問診、診察、骨盤部のレントゲン線検査、検尿(蛋白および糖の出現の有無)、検血(アルカリフォスファターゼ、血清無機リン、梅毒反応等)、尿中排泄重金属(カドミウム、鉛、亜鉛)の定量が行なわれ、検診の総合成績により本病といえる者(I群)、本病の疑いの強い者(i群)、本病の疑いの軽い者((ⅰ)群)の三段階に分けたところ、I群一九名(熊野地区一一名、新保地区八名)、I群一五名(熊野地区一一名、新保地区四名)、(ⅰ)群三一名(熊野地区二一名、新保地区一〇名)の結果を得た。そして(あ)、農作業の経験者はI群およびi群において高率であつた。(い)、現地に四〇年以上の居住する者は同じくI群およびi群において高率であつた。(う)、平均出産回数はI群6.1回、i群6.0回、(ⅰ)群4.7回であつた。(う)、出産(長子のとき)後の休養日数は、一五日以内の者が(ⅰ)群は三一例中三例であるのに比し、I群は一八例中六例、i群は一五例中五例とI群およびi群においては高率であつた。(お)、生活水準に関し、昭和三七年度の住民税をみるに、一世帯平均税額はI群七、二七一円、i群一七、〇二二円、(ⅰ)群一四、五〇六円であつて、I群では平均税額が少ないうえ、一万円未満はI群一九例中一二例、i群一五例中六例、(ⅰ)群三一例中九例であつた、(か)、農家一戸当りの水田面積は一六反(約1.44ヘクタール)以上がI群一九例中一二例、i群一五例中九例、(ⅰ)群三一例中一四例とI群およびi群が(ⅰ)群に比し高率であつた。(き)、川水の飲用、井戸の有無および設置時期等については左表記載のとおり三群間に有意差は存しなかつた。

川水の飲用について

飲用の有無

飲んだ

飲まなかつた

不明

区分

総計

総数

六五

五四

I群

一九

一六

i群

一五

一二

(i)群

三一

二六

井戸の有無および設置期間について

井戸

区分

総数

I群

i群

(i)群

総計

六五

一九

一五

三一

あり

六〇

一九

一四

二七

井戸設置時期

(昭和)  ~(昭和)一九年

二二

二〇~    二四

二五~    二九

三〇~    三四

三五~

不明

三五

一〇

一六

有無不明

ウ 昭和三八年度の本病容疑者に対する同三九年度の精密検診および対照地区住民に対する集団検診の各成績

合同研究班は同三九年度の研究活動の一環として本病の一部発生地区とされる富山県上新川郡大沢野町および非発生地区の富山市太田地区において四〇才以上の女性を対象として同年七月第一次検診を実施したが、右検診の結果さらに精密検査が必要とされた者だけでなく、前記熊野、新保両地区、大沢野町の一部においてそれまでに発見された本病患者および本病の疑いのある者の経過の追求と既往に本病に罹患したことのある者の確認のため、これらの者に対しても精密検診を同年一〇月に実施した。

なお、第一次検診としては、問診、診察、レントゲン線検査(上腕部オルデカ撮影)、検尿(蛋白および糖の出現の有無)が、精密検査としては、問診、診察、レントゲン線検査(骨盤部直接撮影)、検尿(蛋白および糖の出現の有無)、検血(血清アルカリフォスファターゼ、血清無機リン)がそれぞれ行なわれ、第一次検診の対象者数は大沢野町が六二〇名、太田地区が五〇八名であり、受診者数は前者が四一一名、後者が三三四名であつたが、精密検診を要する者は前者が二七名、後者が二〇名で、そのうち受診者数はそれぞれ二五名および一〇名であつた。また新保、熊野両地区における精密検診の受診者数はそれぞれ前者が四九名、後者が八八名であつた。検診の成績は、主としてレントゲン線検査の結果により本病といえる者(I群)、本病の疑いのある者(i群)、本病の疑いのほとんどないもの(O群)の三段階に分類して示しているが、それは次のとおりである。すなわち、(あ)、大沢野町においてはI群およびi群各二名、O群二一名であり、太田地区においては一〇名全員がO群であつた。(い)、第一次検診の受診者のうち、精密検査を要する者の数は年令の上昇にともなつて増加している。(う)、第一次検診の尿検査の成績は、大沢野町において被検者数三三六名中、三〇名および二八名にそれぞれ蛋白および糖の陽性が、太田地区において被検者数三三四名中、一七名および三名にそれぞれ蛋白および糖の陽性がみられ、両者とも大沢野町が高率であつた。(え)、精密検診の血清検査によれば、大沢野町においては、アルカリフォスファターゼの平均値はI群5.0単位、i群1.1単位、O群1.8単位であり、無機リンの平均値はI群1デシリットル中2.3ミリグラム、i群同3.4ミリグラム、O群同3.1ミリグラムであり、太田地区においては、アルカリフォスファターゼの平均値は2.6単位、無機リンの平均値は1デシリットル中2.8ミリグラムであつた。(お)、本病既往者の管理検査成績をみるに、大沢野町においては五名の対象者中、受診者数四名でいずれもO群に属し、新保地区においては九名の対象者中、受診者数三名でI群、i群、O群に各一名ずつが属し、熊野地区においては一二名の対象者中、受診者数四名でi群およびO群に各二名ずつが属し、熊野地区以外の婦中町においては一八名の対象者中、受診者数五名でi群に二名、O群に三名が属していた。(か)、昭和三八年度の精密検査未受診者の管理検診によれば、新保および熊野両地区の各一四名の対象者各二名が受診し、新保地区においてI群およびi群に各一名ずつが属し、熊野地区においてはO群に二名が属していた。(き)、要経過追求者の管理検診によれば、新保地区の二六名の対象者中一五名が受診し、I群に四名、i群に三名、O群に八名が属し、また熊野地区の四四名の対象者中二四名が受診し、I群に四名、i群およびO群に各一〇名が属していた。(く)、以上三群に属する者の精密検診によれば、I群では一〇〇パーセント、i群でも八〇パーセント以上の者に尿蛋白、尿糖が認められ、アルカリフォスファターゼはI群に高く、i群およびO群になるにしたがつて低くなり、無機リンの平均値はO群に高く、i群およびI群の順に低くなつていた。

エ 要約

以上昭和三七年から同三九年までに行われた調査から次のような結果が得られた。すなわち、(あ)、本病患者および同容疑者は神通川水系以外の河川流域である太田地区には発見されなかつた。(い)、熊野および新保両地区における年令階層別のレントゲン線有所見率は両地区とも年令の増加に伴い上昇していた。(う)、検尿成績をみるに、本病患者および同容疑者は尿蛋白がそれぞれ一〇〇および九五パーセントの陽性率、尿糖はそれぞれ八〇および七四パーセントの陽性率を示し、熊野地区、新保地区、大沢野町、太田地区の各健康者に比し極めて高い値であつて、本病の発生に腎機能の障害が関与していることを示唆している。(え)、検血成績をみるに、本病患者および同容疑者は血清アルカリフォスファターゼが高く、血清無機リンは、低い傾向がみられる。(お)、熊野および新保両地区における本病患者、同容疑者、健康者の平均出産回数はそれぞれ6.3回、5.7回、4.1回、川水の飲用経験はそれぞれ29.4パーセント、19.2パーセント、13.3パーセント、現地居住年数四〇年以上の者の占める率はそれぞれ94.8パーセント、86.7パーセント、56.6パーセントといずれも本病患者、同容疑者に高く、住民税一万円以上の者の占める率はそれぞれ28.6パーセント、52.4パーセント、64.8パーセントと本病患者家庭の所得が低くなつていた。

このほか、栄養摂取状況を肉、魚、卵、牛乳または山羊乳についても調査しており、健康者の家庭がやや良好のようであるが、特に差異はみられない。

オ 本病患者、同容疑者および同既往症者に対する昭和四〇年度の精密検診および対照地区住民に対する集団検診の各成績

合同研究班は、同四〇年度には富山県内の神通川以外の河川流域での本病の存否を確めるために黒部川流域の同県下新川郡入善町および庄川流域の礪波市を対照地区に選び、入善町においては四〇才以上の女性を、礪波市では四〇才以上の男女を対象として検診を実施し、第一次検診での尿蛋白、尿糖陽性者について同年一一月に第二次検診を実施した。なお、これと同時に前記熊野および新保両地区、大沢野町の一部でさき(同三七年)に実施した集団検診の結果容疑者とされた者および当時までに発見された本病患者、同容疑者ならびに既往に本病患者との診断を受けた者を対象に経過追求と診断の確認のための精密検診を実施した。なお、第一次検診として問診、診察、検尿(蛋白および糖の出現の有無)が、第二次検診として問診、診察、レントゲン線検査(右上腕部、右胸部オルデカ一〇〇ミリ撮影)、検尿(蛋白および糖の出現の有無)、検血(血清アルカリフォスファターゼ、血清無機リン)が、精密検診として問診、診察、レントゲン撮影(骨盤部直接撮影)、尿検査(蛋白および糖の出現の有無)、血液検査(血清アルカリフォスファターゼ、血清無機リン)がそれぞれ行われ、第一次検診の対象者数は入善町五、〇九三名、礪波市一一、八〇三名であり、検診受検者数はそれぞれ一、一八三名および一、一〇〇名であつて、第二次検診の対象者数はそれぞれ九八名および一〇七名でそのうちそれぞれ六九名および七三名が受診し、入善町において四名、礪波市において五名がそれぞれ要精密検診者とされた。ところで、検診の成績は主としてレントゲン線所見により本病患者(I群)、本病の濃厚容疑者(i群)、本病の軽度容疑者((ⅰ)群)、本病の疑いのほとんどない者(O群)の四段階に分類されたが検尿、検血の結果は次のとおりである。すなわち、(あ)、対照地区における第一次検尿成績によると尿蛋白、尿糖の両者とも陽性の者は女性四名のみであつた。また同第二次検尿成績による尿蛋白陽性者数は入善町一六名、礪波市一八名であり、尿糖陽性者数はそれぞれ一六名および三〇名、尿蛋白、尿糖とも陽性者数はそれぞれ二名および四名であつた。(い)、対照地区のアルカリフォスファターゼの平均値は入善町において1.6単位、礪波市の女性では1.9単位、同市の男性では1.7単位と地区別による有意差なく、また血清無機リンの平均値はそれぞれ1デシリットル中3.4ミリグラム、3.3ミリグラム、3.2ミリグラムで、この点においても地区別による有意差は存しなかつた。(う)、本病患者、同容疑者、同既往症者の精密検診成績をみるに大沢野町においては三二名の対象者中、受診者数二六名で、i群に一名、(ⅰ)群に二名、O群に二三名が属し、新保地区においては四三名の対象者中、受診者二一名で、I群に八名、i群および(ⅰ)群に各二名ずつ、O群に九名が属し、熊野地区においては七一名の対象者中、受診者四三名で、I群に二名、i群に六名、(ⅰ)群に一一名、O群に二四名が属し、熊野地区以外の婦中町においては一五名の対象者中、受診者六名で、I群に二名、(ⅰ)群に一名、O群に三名が属した。(え)、以上の四群に属する者の尿蛋白はI群の受診者一一名中八名、i群の受診者八名中六名、(ⅰ)群の受診者一二名中八名、O群の受診者六〇名中一〇名がそれぞれ陽性であり、また尿糖はI群に一〇名、i群に六名、(ⅰ)群に八名、O群に一六名の陽性者がみられ、尿中アミノ酸の平均値はO群で低く、尿中リンは四群間に有意差なく、尿中カルシウムはI群の平均値がやや高く、尿中のリンとカルシウムの比(P/ca)はI群およびi群の平均値がやや低かつた。(お)、また四群のアルカリフォスファターゼの平均値はI群4.0単位、i群4.6単位、(ⅰ)群4.9単位、O群3.0単位でI群、i群、(ⅰ)群がO群に比しやや高く、また血清無機リンの平均値はそれぞれ1デシリットル中2.8ミリグラム、2.6ミリグラム、2.7ミリグラム、3.0ミリグラムで四群間に有意差はなかつた。(か)、以上の結果を総合すると、本病患者および本病容疑者は尿蛋白および尿糖について本病発生地域および対照地区の健康者に比し高い陽性率を示し、本病の発生に腎機能の障害が関与していることを示唆しているうえ、本病の疑いのほとんどない者と対照地区健康者の尿蛋白および尿糖の陽性率についても前者が高率であることがわかつた。また血清アルカリフォスファターゼについてみるに本病患者および本病容疑者は本病の疑いのほとんどない者に比し高値であり、そして以上の者らは対照地区健康者と比較するとより高値を示した。しかし、血清無機リンについては本病患者、本病容疑者、本病の疑いのほとんどない者の間に有意差はみられなかつたが対照地区住民に比すれば低値を示していた。

カ 本病患者の屎尿および前記熊野、新保両地区、大沢野町、太田地区、千里地区の住民の尿中の重金属類の各分析

本病患者の屎尿および前記熊野、新保両地区、大沢野町、太田地区、千里地区(富山県婦負郡婦中町地内)の住民の尿中の重金属類(カドミウム、鉛、亜鉛)の分析を行つた結果は次のとおりである。すなわち、(あ)、本病の入院患者の屎尿中のカドミウム量昭和三八年に金沢大学付属病院および富山県立中央病院に収容された本病患者九名(年令五二ないし七四才の経産婦)と対照として入院中の他の骨疾患者八名(年令四一ないし七六才の男性一、女性七)および健康者(年令三〇ないし三八才の男性)の屎尿中のカドミウムの一日あたり排泄量を測定した結果は、左図に記載のとおりであり、平均値は本病患者の尿中および屎中カドミウム量がそれぞれ37.8ガンマー、47.4ガンマーであり、他の骨疾患者のそれはそれぞれ5.4ガンマー、36.6ガンマーで、健康者のそれはそれぞれ2.7ガンマー、57.4ガンマーであつた。尿では、本病患者は対照群より明らかに多量のカドミウムの排泄がみられ、本病患者の体内に相当大きなカドミウムの蓄積があることを推定させ、屎中の排泄量には差異がないが、本病患者が少し高い傾向がある。健康者の数値が比較的高いのは患者に比して摂取食物量の多いことで説明が可能である。

(い)、熊野、新保両地区、大沢野町、太田、千里両地区における本病容疑者と健康者の尿中の重金属排泄量、昭和三八および三九年度に実施された本病の検診の際に受診者の一部の尿を採集してカドミウム、鉛、亜鉛の分析が行われた(いずれも一日の全量を採集することは不可能であり、尿中の濃度を知りうるのみであつたので、以下一リットル当りの量で示すこととする。)。(A)先ず、熊野、新保両地区の本病容疑者および千里地区の健康者の昭和三八年一一月の検査成績であるが、前記のとおり同三七年熊野、新保両地区においてレントゲン線集団検診によつてスクリーニングされた本病容疑者については同三八年一一月再診が行われたが、その際四〇才以上の経産婦三〇名の尿が分析された。そして、同時に対照として本病の発生をみないとされている水系の異なる隣接の千里地区の四〇才以上の農婦五名についてその尿を分析した。以上の成績は後記図記載のとおりであるが、熊野、新保両地区の本病容疑者のカドミウム排泄量の平均値は9.3ガンマー(範囲は三ないし二二ガンマーのものがみられた)、鉛排泄量の平均値は1.40ガンマー(同じく三ないし三〇ガンマー)、亜鉛排泄量の平均値は一八九ガンマー(同じく六二ないし四四五ガンマー)であり、千里地区の健康者のカドミウム排泄量の平均値は2.6ガンマー(範囲は一ないし四ガンマーのものがみられた)、鉛排泄量の平均値は11.4ガンマー(同じく九ないし一五ガンマー)、亜鉛排泄量の平均値は二一四ガンマー(同じく六八ないし三七五ガンマー)であつた。結局カドミウムについては熊野、新保両地区と千里地区との間に顕著な差があるが、鉛および亜鉛については差があるとはいえない。(B)次に大沢野町および太田地区における昭和三九年七月および一〇月の検査成績をみるに、前記のとおり同三九年七月前記大沢野町と熊野、新保両地区に近いが水系の異なる常願寺川流域の太田地区において四〇才以上の女性の集団検診が行われ、有所見者についてはさらに同年一〇月再診が行われたが、右両回の検診に際し大沢野町において一四名、太田地区において二四名の尿が採集し分析された。これらはいずれも再診の結果本病の容疑なしとされた者であり、成績は後記図記載のとおりであるが、大沢野町の受診者のカドミウム排泄量の平均値は10.3ガンマー(範囲は四ないし一八ガンマーのものがみられた)、鉛排泄量の平均値は11.2ガンマー(同じく〇ないし一八ガンマー)、亜鉛排泄量の平均値は二九三ガンマー(同じく一七五ないし五六五ガンマー)であり、太田地区の受診者のカドミウム排泄量の平均値は5.7ガンマー(範囲は〇ないし一一ガンマーのものがみられた)、鉛排泄量の平均値は15.2ガンマー(同じく三ないし二九ガンマー)、亜鉛排泄量の平均値は二五六ガンマー(同じく一六五ないし三二五ガンマー)であつて、結局、大沢野町の健康者にかなり多いカドミウムの尿中排泄がみられ、太田地区とは明らかに差異があるが、鉛、亜鉛では差異はみられなかつた。(C)最後に熊野、新保両地区の本病患者、同容疑者、健康者の昭和三九年一〇月の検査成績であるが、前記のとおり熊野、新保両地区における本病容疑者については同三八年一一月再診が行われて、本病患者、本病容疑者、容疑なし、すなわち健康者に分類されたうえ、同三九年一〇月経過をみるため再び検診が行われたが、その際本病患者および同容疑者中九名と健康者一〇名が選ばれ、その尿の分析が行われた。その成績は左の図記載のとおりであるが、本病患者および同容疑者のカドミウム排泄量の平均値は13.6ガンマー(範囲は二ないし三〇ガンマーのものがみられた)、鉛排泄量の平均値は8.1ガンマー(同じく四ないし一三ガンマー)、亜鉛排泄量の平均値は160.6ガンマー(同じく四五ないし三三〇ガンマー)であり、健康者のカドミウム排泄量の平均値は12.2ガンマー(範囲は二ないし二一ガンマーのものがみられた)、鉛排泄量の平均値は9.9ガンマー(同じく四ないし一五ガンマー)、亜鉛排泄量の平均値は163.0ガンマー(同じく六五ないし三二五ガンマー)であつて、結局、本病患者および同容疑者と健康者との間にはカドミウム、鉛、亜鉛ともに大差はなかつたが、他地区に比すればカドミウムの排泄量は多いことになる。

なお、金沢大学衛生学教室が測定した尿中の重金属類の排泄量は左記表記載のとおり(高瀬武平ほか、日本臨床、二五、昭和四二年)であつて、本病患者の尿中カドミウム排泄量は正常値に比し明らかに多量である。

検査

正常値

症例(一)

症例(二)

症例(三)

症例(四)

尿中カドミウム(一日の量

単位ガンマー)

二・七

一二七・四

三八・三

四五・五

三二・七

〃 鉛    (〃   )

八〇・〇

二七・〇

二七・九

四〇・二

一五・七

〃 亜鉛   (〃   )

六〇〇ないし

一、八〇〇

二八四・〇

一、三五〇・〇

五八四・〇

四一四・〇

キ 以上昭和三七年から同四〇年までに発見された本病患者および同容疑者は総数六一名であり、精密検査対象者を主としてレントゲン線所見によつて本病患者と思われる者(Ⅰ群)、治癒した患者と思われる者((Ⅰ)群)、濃厚容疑者(i群)、軽度容疑者群((ⅰ))、本病所見のないもの(O)群の各群に分類した結果は左表に記載のとおりである。

地区

対象数

受検数

主としてレントゲン線所見

による発見数

I((i)を含む)

i

(i)

合計

熊野地区

二七五

二五九

一三

三〇

婦中町(右地区を除外)

――

新保地区

三八〇

三五二

一五

二三

大沢野町

六二〇

四一一

太田地区

五〇八

三三四

入善町

五、〇九三

六九

砺波市

一一、八〇三

七三

また本病患者および同容疑者は七〇才台の男性一名のほかはすべて四〇才以上の女性であり、熊野、新保両地区における年令別発見状況は左表記載のとおりである。すなわち、四〇才台一名、五〇才台一四名、六〇才台二〇名、七〇才台一四名、八〇才台二名で、受検数に対する発見率はそれぞれ0.5、6.5、14.9、26.4、22.2パーセントであり、年令が高くなるにつれて発見率も上昇している。

年令階層

受検数

I((I)を含む)

i((i)を含む)

合計

両地区合計

四〇才以上全年令

六一一

二三(三・八%)

二九(四・七%)

五二(八・五%)

四〇~四九

二〇一

一(〇・五)

――

一(〇・五)

五〇~五九

二一四

一一(五・一)

三(一・四)

一四(六・五)

六〇~六九

一三四

六(四・五)

一四(一〇・四)

二〇(一四・九)

七〇~七九

五三

四(七・五)

一〇(一八・九)

一四(二六・四)

八〇~

――

二(二二・二)

二(二二・二)

(2) 昭和四〇年度厚生省公害調査研究費による日本公衆衛生協会公害対策委員会のなした疫学的調査によると、本病容疑者三二例中、二八例に蛋白尿を、二五例に糖尿を認め(いずれも一過性を含む)、このうち両者とも陽性の者が二一例に及んでおり、また本病発生地域の住民中、本病の疑いがほとんどないとされた七四名のうち二九名に蛋白尿を、二八名に糖尿を認め(いずれも一過性を含む)、さらに両者とも陽性の者が一八名あり、これは対照地区の同年令層の女性における蛋白尿の陽性率が二ないし五パーセントであり、糖尿のそれが一ないし三パーセントであるのに比し、著しく高率であるうえ、対照地区では蛋白尿および糖尿ともに陽性の者は極めて例外であつたことと大いに異なる。

この結果は合同研究班の昭和四〇年度精密検診および対照地区住民に対する集団検診の各成績と同様の傾向を示すものといえる。

(3) 昭和四一年五月七日金沢大学医学部において高瀬武平、重松逸造、石崎有信、平松博各教授、梶川欽一郎教授らが出席のうえ、本病について臨床的検討をなしたが、その際、従前の疫学的調査の結果として、(ア)、昭和三〇、同三一年の栄養摂取量調査によれば、本病発生地域の方が富山県の他地区よりカルシウムの摂取量が多いけれども、栄養学の常識からいえばいずれもその量は少いこと、(イ)、しかしながら、全国的にみてもカルシウムの摂取量は厚生省が定めている必要量に比し少く、したがつて(ア)のようにカルシウムの摂取量の少いことは富山県等北陸地方のみに特有の条件ではないこと、(ウ)、右の摂取量は一家の平均値であり、主婦たちが平均値だけ摂取していたかについては疑問のあること、(エ)、本病の多発当時は、昭和三〇年の調査当時に比し、少量のカルシウムしか摂取されなかつたであろうと推定されること、(オ)、恵まれた家庭で比較的よい食事をしていた人には本病患者がいないことが報告されている。

(4) 富山県が金沢大学医学部の協力のもとに行つた住民の健康診断の結果は次のとおりである。

ア 昭和四二年度の集団検診

(あ)、富山県は同年七月から一二月にかけて富山県婦負郡婦中町、同八尾町、同県上新川郡大沢野町、富山市の三〇才以上の男女六、七一四名を対象に検診を行つたが、その際の受診者は六、一一四名であつた。そして、(い)、集団検診は上図記載の方式に従つてなされた。(う)、検診の結果を、本病の典型的な骨レントゲン線所見を認めるものを本病患者(I群)、典型的ではないが骨レントゲン線所見を認めるものを濃厚容疑者(i群)、右所見の軽いものを容疑者((i)群)本病の血液・尿所見を認めるものを要観察者(O観群)、容疑のない者(O群)の五群に分類して示すと、左表記載のとおりである。

分類

総数

I

i

(i)

O観

O

町・性・年令別区分

総数

四一九

五〇

一七

三一

一三六

一八五

町別

婦中町

二二七

二八

一一

一四

七九

九五

富山市

一〇五

一六

三四

四四

大沢野町

五三

一六

二二

八尾町

三四

二四

性別

男性

一二二

三七

八〇

女性

二九七

四九

一六

二八

九九

一〇五

年令別

三〇~四四才

三九

三七

四五~五九才

八六

二八

五〇

六〇~七四才

二二五

四〇

一〇

二二

八六

六七

七五才~

六九

二〇

三一

平均年令

六六・六

七二・二

六八・三

六六・一

五八・〇

この結果を五〇才以上の女性人口を分母とする有病率として部落別に図示すると別紙第(七)図記載のとおりであり、患者発生地は神通川を中心として同河川に注ぐ東方の熊野川および西方の井田川の両支流に挾まれた扇状地内に限局され、ことに神通川左岸と「牛ケ首用水」に挾まれた三角地および川中島の上流の同川右岸地帯に多発し、かつ神通川から取水する各用水起始部に有病率が高いのである。(え)、尿所見と腎障害に関しては本病患者および同容疑者の尿中蛋白、糖濃度に相関関係がみられ、アミノ酸尿、特に低分子のアミノ酸が多量に排泄されること、尿中カルシウムとリンの比(Ca/p)が高いという結果がみられた。(お)、また検尿成績を患者発生地区、境界地区、対照地区の三地区(患者発生地区は別紙第(七)図中の患者が発生している地区、境界地区は同図中の神通川流域にあつて患者が発生していない地区、対照地区は同図中の神通川流域以外の地区に分け、年令別および性別に表示すると左の各表記載のとおりになる。

この各表に記載のとおり、患者発生地区の住民の尿中蛋白陽性率は異常に高く、年令とともにその率は急上昇しており、また尿糖陽性率(ベネディクト反応の陽性率)は患者発生地区において若年令では対照地区に比し低率であるが、高年令では対照地区に比し高率であつて、異常な状態にあることを示唆し、次に尿蛋白、尿糖ともに陽性である受診者の率も患者発生地区で高く、年令とともにその率は急上昇している。次に尿中カルシウムとリンの比率(Ca/p)をみるに、患者発生地区の受診者は三〇才台で既に尿中カルシウム量が他地区の受診者に比し多量であり、また患者発生地区の受診者中尿蛋白、尿糖ともに陰性のものにおいても尿中カルシウムとリンの比率は異常に高いという結果が得られた。以上の患者発生地区住民の尿検査にみられた傾向は程度の差はあるが境界地区住民の尿検査についてもみられたのである。これらの結果は合同研究班の昭和四〇年度精密検診および対照地区の住民に対する集団検診の各成績ならびに同年度厚生省公害調査研究費による日本公衆衛生協会公害対策委員会のなした疫学的調査の結果と同様の傾向を示し、患者発生地区および境界地区の各住民の中に腎臓の病変を有するものが存在していることを示唆している。

イ 同年度の集団検診の際、受診者に対して生活状況、既往症、農作業経験、妊娠回数、正常出産回数、家族の状況(家族中のくる病患者の有無等)、神通川水を飲食に利用の有無、自覚症(腰痛等)についてアンケート調査をなしたところ、過去の神通川水の飲食利用の点(この点については本病患者および同容疑者の八〇パーセント弱、要観察者および本病患者発生地区の住民の約六〇パーセントが利用経験を有していた)を除き現在の生活状況、過去の栄養障害、妊娠分娩回数は患者発生地区、境界地区、対照地区間および本病患者、要観察者等の分類による各群間にいずれも差異がなく、既往症、自覚症の一部は要観察者および本病患者発生地区の健康者が対照地区住民と異なる傾向を示した。

ウ 昭和四三年度の集団検診

(あ)、同年六月から一〇月にかけて前年度と同一の一市三町において前年度より地域的に拡大して三〇才以上の男女八、九二〇名を対象として検診が行われたが、その際の受診者は七、六一九名であつた。そして、

(い)、集団検診は左図記載の方式に従つてなされた。

(う)、右検診の結果を前年度同様の五群の分類で示すと、婦中町においてはI群およびi群各二名、O観群六名であり、富山市においてはI群およびi群各一名、(i)群二名、O観群七名であり、大沢野町においてはI群三名、i群一名、(i)群三名、O観群一四名であり、八尾町には以上に該当する者なしであつた。

(5) 昭和四三年一月富山県イタイイタイ病審査協議会が発足し、本病患者および要管理者の登録制度と治療費の公費負担が実施されるようになつたことは前記のとおりであるが、同年六月一五日当時富山県に登録された本病患者の数と患者の訴えによる発病時の年令発病時期を前記各群の分類によつて示すと左の各表に記載のとおりになる。

分類

総数

患者

要観察者

死亡者

性別年令別

(ⅰ)

患者

から

要観察者

から

総数

二一三

五一

四一

一二一

性別

男性

二八

二七

女性

一八五

五一

四〇

九四

年令別

~三九

四〇~四九

五〇~五九

二四

一六

六〇~六九

一〇一

三〇

一九

五二

七〇~七九

六五

一一

一一

四三

八〇~

一八

患者の訴えによる発病時の年令

分類

本病患者

年令

総数

および

(ⅰ)

総数

九二

五一

四一

発病時の年令

~三九才

四〇~

四九才

二五

一四

一一

五〇~

五九才

三四

二二

一二

六〇~

六九才

一三

七〇才

不明

患者の訴えによる発病時期

分類

本病患者

時期

総数

および

(ⅰ)

総数

九二

五一

四一

発病時期

昭和九年以前

同一〇~一九年

一〇

同二〇~二九年

二五

一六

同三〇~三九年

三三

一六

一七

同四〇年以後

一二

不明

(6) 富山県衛生研究所はかねて尿の検査による本病の早期発見や疫学的研究を行つていたが、その結果は次のとおりである。

ア 本病患者の尿のセフアディクスG二五のゲル濾過における溶出パターンは左の第(一)図に示すとおりP、Q、Rの三峰性を示した。Pは紫外線スペクトルで二七五ミリミクロン(mμ)に最大吸収を示し、三ないし四種のアミノ酸からなる比較的低分子の蛋白質様物質であり、これを、セファディクスG二〇〇で溶出すると左の第(二)図に示すようななだらかな山を呈し、慢性腎炎尿蛋白の高い山とは対照的である。またそのピークは慢性腎炎尿蛋白のピーク(第(三)図)よりわずかに遅れて出てくる。そして次にQは主としてアミノ酸、クレアチニンから成り、Rは主に尿酸、キサンチン、グアニンから成ることがわかつた。セファディクスG二〇〇によるクロマトグラフィー(色層分析)では前記の比較的低分子の蛋白質様物質からなるなだらかな高原状のPがはつきりした谷を形成しないで左の第(四)図に示すように次の高いQに移行する特徴のある椅子型パターンを示している。また健康者および各種腎疾患者尿のゲル濾過における溶出パターンは左記各図(各例とも図中上欄アがセファディクスG二五、下欄イがセファディクス二〇〇による各溶出パターンである)に示すとおりである。

セファディクスG二五の溶出パターンは、健康者の尿においてPはいずれもフォリン・ロウリー法による七五〇ミリミクロンの吸光度0.1以下であり、糖尿病および高血症ではやや高くなる傾向が認められた。本病および各種腎疾患ではいずれもPは右吸光度0.4以上を示し、健康者と明瞭に区別が可能であり、本病患者および同容疑者の合計一四名の尿ではRが明瞭に認められるが、七例の慢性腎炎患者尿ではRがほとんど認められず、セファディクスG二〇〇による健康者の尿のクロマトグラフィーではP1はほとんど認められない。本病患者の尿はすべて特徴のある椅子型パターンを示すが、他の腎疾患では二峰性の山を形成しP1とQ1の間の谷が明瞭であるから両者の区別は可能で、腎盂炎や膠原病ではP1の山が特に高いのが特徴的である。そしてセファディクスG二五の溶出パターンにおいて主として蛋白質から成ると思われるPと全フォリン反応値(P+Q+R)の比(P/P+Q+R、この比をG二五蛋白比という。以下この項ないしウ項において同じ)についてみるに、本病患者では二五ないし四〇パーセント、同容疑者では一五ないし四〇パーセントであり、健康者では常に5ないし7.5パーセントにとどまり、糖尿病や高血圧症では一〇ないし二〇パーセント、急性腎炎やネフローゼでは一五ないし四〇パーセント、慢性腎炎では二五ないし八〇パーセント、腎盂炎や膠原病では五〇ないし六〇パーセントであつた。それ故、セファディクスG二五蛋白比の値と前記セファディクスG二〇〇のゲル濾過による溶出パターンにおける本病の特有な椅子型パターンによつて本病と他の腎疾患との区別は可能である。

イ 本病患者中自然骨折を伴う重症者の群および骨軟化症のみ認められる中等症者の群のセファディクスG二五蛋白比は二四ないし四〇パーセントであり、本病発生地区の住民で尿蛋白、尿糖陽性者の群のそれは一〇ないし三〇パーセント、尿蛋白、尿糖陰性者の群のそれは九ないし一七パーセント、昭和二〇年以後に同地区に移住した者のそれは五ないし一〇パーセントの値を示すが、対照地区の住民ではほとんど六パーセント以下の値を示すに過ぎなかつた。男性の場合もほぼ同様の傾向を示し、昭和二〇年以前からカドミウム汚染地域に居住していた者は一六ないし二七パーセント、同年以後に移住したものは五ないし九パーセントであつたが、対照地区ではいずれも六パーセント以下であつた。この結果は臨床症状の発現と平行して次第に高い値になることを示し、このことから尿のセファディクスG二五蛋白比は慢性カドミウム中毒の腎障害の程度を知る一指標として利用できるものと考えられる。

そこで、G二五蛋白比を指標として本病の発生状況を把握するために、本病発生地域内の一地区である富山県婦負郡婦中町広田部落の住民中男女各一〇名を無作為に抽出し、各症例について尿のゲル濾過パターン、G二五蛋白比、および生活歴の調査をしたところ、昭和二四年以後に移住したもののG二五蛋白比は一〇パーセント以下であり、セファディクスG二〇〇によるゲル濾過パターンも正常である。これに対し、同二四年以前から居住していたものには明らかに慢性カドミウム中毒による腎障害のパターンおよびG二五蛋白比の上昇が認められ、ゲル濾過法において明確なパターンを示すものは同一四年以前に居住していた症例に見られ、G二五蛋白比二〇パーセント以上を示す症例は同四年から同一四年にこの地域で青壮年期を過したものに見られる。このことはこの期間に飲料水中のカドミウム汚染がきわめて濃厚であつたことを示唆するものである。

以上のうち、本病に認定されている四例はいずれも同四年から同一四年の間に数回妊娠しており、尿のG二五蛋白比も男性に比べてはるかに高い。このことは妊娠時の腎臓の負担とカドミウムの腎臓に対する毒性との相乗作用により腎臓が高度に障害をうけたことと関係があるものと考えられる。妊娠と本病の関係をさらに明らかにするために、さらに本病発生地域内の広田、萩の島、轡田の三部落の本病患者各一〇名について生活歴を検討したところ、出産歴の順に並べると、各地区とも高年層および若年層では本病の自覚症状が比較的遅く発現するのに対し、中年層ではかなり早期に発現している。このことはこの地区で自覚症状が最も早く発現した患者が妊娠期間中にきわめて高濃度のカドミウムに汚染された飲料水を大量に摂取したことによるものと解釈できる。萩の島および轡田部落ではその期間が大正八年から昭和一四年にわたり、広田地区では同四年から同一四年にかけてカドミウムの高濃度の汚染があつたと考えられる。各症例から推測すると神通川流域のカドミウムの汚染は明治三五年頃から始まり大正八年から昭和一四年にわたつて高濃度の汚染があり、その後同二四年頃まで汚染が続いたものであろう。自発骨折をともなう重症の本病患者は各地区ともに高濃度のカドミウム汚染があつたと推定される期間に数回妊娠している事実があり、骨軟化症が明らかに認められる中等症の患者も同様にこの期間数回妊娠している。このことは本病が主として妊娠期間中に高濃度のカドミウムを摂取することによつておこることを示唆するものである。したがつて、本病が高年の経産婦に多いことは当然であり、男性には比較的本症が少ないわけである。

ウ 本病の骨病変の程度を数量的にあらわすために大腿骨の幅に対する骨皮質の厚さの比(以下、この項において骨皮質比という)を相定し、疫学的に検討を重ねた結果、この比がカドミウム中毒の骨病変の程度をあらわす指標として十分利用できることが確認できたので、富山市新保地区の住民および本病患者ならびに対照地区住民の骨病変と腎障害の程度を前記G二五蛋白比および右骨皮質比の二つの指標を用いて検討したところ、骨病変では本病患者群が二〇ないし四五パーセントという低い骨皮質比を示し、要観察者群がそれに次ぐが、昭和一九年以前からの居住民でも五〇パーセント以下の骨皮質比を示す者が約半数を占めている。これに反し、同二〇年以後に移住した群では対照群と比べてわずかに低い値を示すに過ぎなかつた。また腎障害も同様の傾向がみられ、本病患者群および要観察者群ではいずれも一五パーセント以上のG二五蛋白比を示すものが約半数を占め、同二〇年以後に移住した群では対照的に比してわずかに高い値を示すに過ぎなかつた。これらのことは同一九年以前にはかなり高濃度のカドミウム汚染があり同二〇年を境として汚染は急激に減少したことを示唆している。次にこの地区住民の骨病変および腎障害を年令別に検討したところ、骨病変および腎障害は四五ないし四九才ではほぼ正常値を示すが、それ以上では高年令の者ほど病変度は強く、骨病変と腎障害の年令別分布の相違をみると、骨病変は年令に比例して徐々に強くなるのに対し、腎障害は五〇ないし五九才からかなり悪化しており六〇才以上ではほぼ一定の値を示している。このことは本病は腎病変が先ずおこり、その結果骨病変が進行するというファンコニー症候群であることを示している。また、この地区住民の骨皮質、G二五蛋白比および母集団の年令構成を各部落別に検討してみたところ、本病患者および要観察者はいずれの地区でも高年令層に発生しており、押上、新保、任海では特にその発生率が高い。骨皮質比の年令分布をみると、どの部落でも各年令層における最小の骨皮質比にはほとんど差異はみられないが、各年令層における個々の骨皮質比の分布には大きな差異がみられた。すなわち、各部落における骨皮質比と年令の相関関係を調べると、押上、吉倉、新保、友杉など新保用水の本流流域の住民では高い相関関係を示しているが、支流流域の栗山、任海、秋ケ島では本流流域に比べ低い相関関係を示した。G二五蛋白比を指標とする腎障害でも同様の関係がみられた。結局、用水の本流流域ではカドミウムが住民に対して一様な影響を及ぼしているのに反し、支流流域では、その影響を強く受けているもの、中等度に受けているものあるいはほとんど受けていないものなどが混在していることを示唆している。なお、用水の取入口近辺の部落の住民では骨病変も腎障害も強く、取入れ口から遠く離れている部落では弱い傾向にある。特にこの関係は腎障害において著しく、熊野川に接する友杉、栗山地区においてはG二五蛋白比が全般に低い。

以上の結果よりすると、この地区におけるカドミウムの人体に対する影響は用水の流れ方と密接な関係があり、その住民はカドミウムを含んだ川水あるいは地下水を飲んでいたためにこのような骨病変や腎障害が生ずるに至つたと考えられるとしている。

エ なお、セファディクスG二五およびG二〇〇を用いることについて、多量の尿蛋白を排出する疾患では蛋白分画比が高いのは当然であることおよび軽度の蛋白尿を二〇〇で分画すると蛋白分画は高い峰とはならないから椅子型となつてしまい、ゲル濾過パターンは蛋白量によつていかような型にもなる。したがつて本病の鑑別診断や早期診断のために尿蛋白をセファディクスG二五およびG二〇〇で分画しても何の意味ももたないとの意見(野見山一生、医学のあゆみ、昭和四五年八月八日)が存するけれども、右の意見の挙げるような理由だけで富山県衛生研究所の前記研究結果が全く無意味なものになるかどうかについてはなお今後の研究が必要と思われる。

(三) 以上(一)および(二)の調査、研究によつて得られた諸結果よりすると本病の疫学的特徴は、これを次のように要約することができる。

(1) 本病患者の発生地域は、神通川を中心として同河川に注ぐ東方の熊野川および西方の井田川の両支流に挾まれた扇状地内で、ことに神通川左岸と「牛ケ首用水」に挾まれた三角地および川中島上流の同河川右岸地帯に多発し、かつ神通川から取水する各用水起始部の部落に有病率が高く、熊野川以東および井田川以西の各地域はもちろん、神通川以外の富山県内の主たる河川水系である例えば、庄川流域の砺波市、黒部川流域の入善町、常願寺川流域の太田地区などいずれにおいても本病患者は発見されず、したがつて、本病患者は神通川を中心とし、その東方の熊野川と西方の井田川に囲まれた扇状形の局限された地域に限つて発生をみているのであつて、本病の発生についてはこのように地域的限局性があること看過し得ない。

(2) 本病発生の始期についてみるに、前記認定のとおり、河野稔医師らが本疾患の発生の始まりは審かではないが、明治末年頃から存在したもののようであるとしていることや萩野昇医師が本病の正確な発生時期は不明であるが、同人の祖父(大正一一年死亡)の時代には報告がなく、父の時代に既に経験されていることから大正年代の始め頃であろうとしていることに金沢医科大学精神医学教室の長沢太郎教授ほか五名の報告中に神通川流域の農村に多発するロイマチス性疾患が最も早期に発症したと思われる者は大正八年と同一〇年であつたとしていることを考え合せば、本病の正確な発生時期は明らかでないけれども、遅くとも大正年代の後期には既に本病が発生したとみてよいように思われる。

また、前記認定のとおり、長沢太郎教授ほか五名や中川昭忠医師の報告している症例がいずれも昭和二〇年前後に発生していること、萩野昇医師は同二一年以後毎年数十名ずつの症例が増加したとしていることおよび富山県に登録された本病患者の訴えによると同二〇年以降に発病したとする者が多いこと等の事実よりすれば、第二次世界戦争終結前後に特に急激に本病患者が増加したことが認められる。

(3) 尿中の重金属類の排泄量についてみるに、本病患者の尿中には対照群より明らかに多量のカドミウムの排泄がみられ、前記熊野、新保両地区の本病容疑者の尿中の鉛および亜鉛の排泄量は隣接の千里地区の住民のそれと差異は存しなかつたけれども、カドミウムの排泄量は千里地区の住民のそれに比し明らかに多かつた。また前記大沢野町の健康者の尿中カドミウム量も対照地区の太田地区の住民のそれに比し明らかに多かつたが、尿中鉛および亜鉛については両者に差異はなく、したがつて、結局、本病患者および同容疑者ならびに本病発生地域の住民の尿中には対照群に比し明らかに多量のカドミウムの排泄がみられたことになる。

(4) 本病患者および同容疑者は、その尿中に蛋白および糖が認められ、血清アルカリフォスファターゼが上昇し、血清無機リンが低下することが明らかになつたうえ、尿蛋白および尿糖が認められる割合についてみても、本病の疑いがないとされる本病発生地域の住民のほうが対照地区の住民に比して高率であり、また血清アルカリフォスファターゼが上昇し、血清無機リンが低下する人数の割合についても本病患者および同容疑者が本病発生地域および対照地区の各住民に比し高率であるばかりでなく本病発生地域の住民のほうが対照地区住民に比し高率であるのに対し、対照地区の前記入善町および砺波市の各住民間には有意差がないことが認められ、以上の事実は、本病の発生には腎機能の障害が関与していることを示唆するほか、本病発生地域の住民中には、本病の疑いがないにもかかわらず腎機能になんらかの異常を有する者および本病特有の血液所見を有する者が多数存在することを示している。なお、尿中カルシウムとリンの比率(Ca/P)は、本病発生地域の住民が対照地区住民に比し高い値を示し、尿中カルシウム量の多いことを示唆している。

(5) 本病患者はほとんど女性に限られ、骨症状を呈する男性患者は、非常に少なく、昭和四二年までに本病容疑者を含めて五例が発見されているに過ぎない。

また本病は、慢性に経過し、初発症状が比較的軽いだけでなく腰痛、下肢痛のような症状であることや病勢の進行が緩徐であること等のため、発病年令を正確に知ることは困難であるが、疼痛の発現をもつて一応発症とみなすと、最も早いものは三〇才過ぎに始まり、遅いものでは七〇才に発病するものもあり、大部分は更年期前後に発症している。

(6) 本病の発生について遺伝的要素は否定されている。

(7) 富山県地方特殊病対策委員会が前記熊野、新保両地区で行つた昭和三七年度の集団検診の際の調査では本病濃厚容疑者群、容疑者群、対照健康者群の各平均出産回数はそれぞれ6.4回、5.3回、5.6回であり、同三八年度の精密検診の際の調査では、本病患者群、本病の疑いの強い者の群、同軽い者の群の各平均出産回数はそれぞれ6.1回、6.0回、4.7回で、同四〇年度までの集団検診等の際の調査を総合すれば、本病患者群、本病容疑者群、健康者群の各平均出産回数はそれぞれ6.3回、5.7回、4.1回であつて、本病患者の出産回数は患者発生地域の健康者のそれより多いということができる。

(8) 昭和三七年度の前記集団検診の際の調査では本病濃厚容疑者群、容疑者群、対照健康者群の出産後の各平均休養日数はそれぞれ9.2日、9.4日、10.3日であり、また同三八年度の精密検診の際の調査では本病患者群、本病の疑いの強い者の群、同軽い者の群のそれが一五日以内の者はそれぞれ一八名中六名、一五名中五名、三一名中三名で、結局、本病患者および同濃厚容疑者のほうの出産後の平均休養日数が少ない傾向にある。

(9) 農作業従事者は本病患者および同容疑者において高率である。

(10) 栄養状態については、前記認定のとおり、富山県が昭和三〇および三一年の二回にわたつて行つた栄養調査成績、河野稔医師ら、中川昭忠医師および萩野昇医師の各報告、合同研究班の疫学調査成績、富山県が同四二年に行なつた健康診断の際のアンケート調査の成績等があるが、これを要するに、(ア)、昭和三〇年当時の栄養摂取状態において熊野地区は富山県の農村平均に比し劣つているとはいえないこと、(イ)、本病患者の家庭は富山県農村平均より総カロリー、蛋白質などの点でかなり劣つているものもあるが、カルシウム等については優つていること、(ウ)、本病発生地域には米の過食と副食物の少ないことなどの食習慣がみられるが、これらの点は農村一般にみられるところであつて、本病発生地域のみの特徴ではないこと、(エ)、戦時中から戦後にかけて脂肪、リン、カルシウム等の摂取が劣悪の状態にあつたことが推測できるということである。なお、本病発生地域の住民および本病患者の家庭の経済状況については、前記婦中町を例にとるならば、同町は富山県における農村としては比較的恵まれた地域であるが、本病患者の家庭の平均所得は同町の健康者の家庭に比し低い傾向がみられる。

2 本病の疫学的特徴からみた発生原因

本病の疫学的特徴は以上に認定したとおりであるが、右特徴をふまえながら本病の発生原因について考察を進めてみる。

既にみてきたとおり本病の発生地域は、神通川を中心として同河川に注く東方の熊野川および西方の井田川の両支流に挾まれた扇状地内に限局され、ことに神通川左岸と「牛ケ首用水」に挾まれた三角地および川中島の上流の同河川右岸地帯に多発し、かつ神通川から取水する各用水起始部の部落に有病率が高く、これに対し熊野川から取水する各用水起始部の部落に有病率が高く、これに対し熊野川以東および井田川以西の各地域はもちろん、神通川以外の富山県の主たる河川水系である庄川、黒部川、常願寺川流域のいずれにも本病患者の発生をみていないのである。それ故、本病の発生原因はこのような本病発生の地域的限局性を説明しうるものでなくてはならないのみならず、この点を看過した議論は全く無意味というべきである。そこで、以下先ず本病発生地域がいかなる環境的特性を有し、同地域の住民が他地域の住民に比して特異とされるべき点があるかを検討しなければならない。

(1) 神通川は前記のとおり高原川水系および宮川水系が富山県上新川郡大沢野町東猪谷付近で合流して流下し、長棟川水系を合せて富山平野に達し、富山市街地近傍において東側の熊野川および西側の井田川とを合して富山湾に注いでいる河川であり、別紙第(一)図記載のとおり、この神通川の東岸には上流から「大沢野用水」、「大久保用水」、「一二ケ村用水」、「神保用水」が、西岸には上流から「牛ケ首用水」、「神通川合口用水」(「新屋用水」、「八ケ用水」、「六ケ用水」、「本郷用水」、一二ケ用水」)があつて、いずれも神通川から取水し、これら各用水から分岐した大小多数の支流の用水路が四通八達して網状に本病発用地域一帯を潤していることもまた既にみてきたところである。

(2) 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認められる。

本病発生地域は既に述べたとおり水田耕作を主とする農村地帯であつて、右水田は神通川から取水している各用水の水をもつてかんがいされているが、このような水田化は次のような用水の完成にともなつて進められてきた。すなわち、用水の完成は「牛ケ首用水」が最も早く、一六三三年頃に下流の射水平野のかんがい用に造られたもので、当初は山田川から取水したが、後に井田川から引水し、さらに一六八八ないし一七〇三年頃から八尾町城生付近で神通川から取水するようになり、これに伴つてその流域の開田が進んだものである。また、神通川左岸の「一二ケ用水」、「本郷用水」、「六ケ用水」、「八ケ用水」、「新屋用水」などと同右岸の「神保用水」、「一二ケ村用水」などの開通の時期は明らかでないが、古く江戸時代に遡り、右開通に伴つて付近の開拓、水田化が進められたようであり、「大久保用水」は一七六六年から工事が始められて一七九九年頃にその流域の大沢野町大久保付近が、次いで一八一三年頃に同町塩がそれぞれ開田された。そして大沢野町大沢野付近の開田が最も遅れ、「大沢野用水」の完成したのは一九二四年五月である。同用水は、当初、寺津付近で神通川から引水していたが、現在は神通川第二発電所ダムから取水している。なお、井田川水系の「杉原野用水」(一六六七年着工)でかんがいされている八尾町杉原地区は神通川水系の新用水からも引用している。次に、地下水流であるが、これには神通川左岸の婦中町横野付近から流入して一五丁、地角、清水島、下井沢に至る強い地下水流、土渕から流入して蔵島へ向う地下水流と同右岸の大沢野町神通付近および富山市新保付近にそれぞれ神通川から流入する地下水流があるが、これらの地下水流は、神通川の水のほか、その直上の水田の水を水源としているけれども前記のとおり右水田が神通川から取水している各用水の水をもつてかんがいされているのであるから、結局、すべて神通川の水を水源としているものである。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はなく、そして、神通川およびこれから取水している前記各用水の水によつてかんがいされている地域の水田土壌中に広くカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類が、水源を異にする隣接河川の水でかんがいされる水田土壌中のものに比してかなりの高濃度をもつて分布していることおよび右重金属類は神通川および右各用水を介して右水田土壌中に運ばれたものであることは既に述べたところである。

(3) されば、先ず、ここで本病発生地域における農業被害の問題に言及しておかねばならない。

この点について、原告らは、本病発生地域では大正初期から米、大豆等の農作物の生育が阻害されてきたが、それは被告会社等の神岡鉱業所の廃水等に含まれる鉱毒によるものであつて、右地域の農民は古くから被告会社の前身である三井鉱山株式会社や国、富山県などに鉱毒防止対策をしばしば要求してきたけれども、戦後に至るまで右農業被害は減少することがなかつたように主張し、これに対し被告会社は、そもそも神通川流域の農地の収穫が他地方のそれに劣るとすれば、それは主として冷水と肥効劣性土砂の流入によるものである。そして冷水の原因は、神通川が源を日本アルプスに発して両岸の峻嶮な峡谷の間を流下する関係からその水温が著しく低いうえ、発電用のずい道が各所に設けられたことから河川水はこれらの長いずい道を通過する間太陽によつて暖められることがないのでその水温がさらに低下することにある。しかも、神通川流域の農地は、沖積土壌で、その表面から一五ないし二五センチメートルの下層は砂礫土壌であるため、かんがい水はたちまち下層に吸収されて水田に滞溜せず、したがつて常時かんがい水を掛け流す必要があるため冷水害を一層増大する結果となるのである。肥効劣性土砂の流入の原因は、高原川水系一帯は急峻な山岳地帯であるため、古来大雨による崩壊土砂の流入がはなはだしかつたが、右土砂は極めて肥効劣性であることにある。そして神通川は昔から荒れ川であつてしばしば氾濫を繰返し、上流からの崩壊土砂の流入がはなはだしく、そのため下流のかんがい水田にしばしば被害を与え、この地方の農民を肥効劣性土砂の流入の脅威にさらしてきたのである。この生活体験が農民をして水田水口に崩壊土砂流入防止のための砂溜めを設けさせたのであり、したがつてこの砂溜めは決して鉱毒流入防止のために設けられたものではない。このことは、砂溜めが神岡鉱山の操業以前から存在し、かつ神通川水系のみならず常願寺川水系にも存在する事実からしても明白である。なお、そのほか神通川下流の水田地域の農民はしばしば水害および早魃にも悩まされていたのであると主張する。

よつて調べてみるに、

ア 神通川沿岸の富山県上新川、婦負両郡の一〇か村から富山市にわたる水田の鉱毒問題が大正年間から始まり、右地域の農民がその頃以来しばしば国および富山県当局や神岡鉱山ないし神岡鉱業所に除害対策を要求してきたけれども、戦後に至るまで長らく右鉱毒問題の解消をみなかつたことは前記第二の三の2で認定した事実に徴して明白である。

イ 〈証拠〉を総合すると、神通川流域の農民は、明治の末頃までは、洪水時に神通川の上流から流下し各用水に沈積した土砂を最良の壌土とし競つてこれを水田に取り入れて客土したのに、前記のように鉱毒問題が発生した後は、これと反対に水田に流入した砂泥を有害なものとして排除するようになつたこと、この砂泥が多量にたい積する水田の水口で稲の生育が最も遅れるため、農民は水田から砂泥を取り除いたり、水口に砂溜め(砂泥の沈澱地)を設けて砂泥をこれに沈澱させるなどして稲作被害の減少をはかつてきたこと、前記吉岡金市博士は昭和三二年に神通川流域の水田の調査を行なつたが、その結果、水田の水口における稲の生育の具合や、その萎縮、根腐れの状況などからして右地域の稲作被害は冷水によるものではないとした(なお、右吉岡金市博士ほか二名がその後の調査で右地域の稲などにカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類が神通川以外の河川流域のものに比し多量に含まれていることを発見したことは前記第二の三の3の(五)で述べたとおりである。)こと、神通川流域では、前記のとおり水田の水口において稲の生育が特に阻害されたばかりでなく、かつて水口として用水を取り入れていた部分は、水口にしなくなつた後でも、稲作の減収がみられる水田が存する(これはかつての水口の部分にたい積した砂泥には、水口でなくなつた後においてもなお有害物質が残存して稲作に悪影響を及ぼしていることを示す)ことが認められる。

ウ また、〈証拠〉を総合すると、神通川は飛騨山系から富山平野を貫流して日本海に注ぐ河川の一つであるが、その流路の総延長約一三〇キロメートルの五〇パーセント以上が山間地であり、しかもその山地流域のほとんどが険しい山岳地帯であつて、流路は急勾配を呈し、水源の標高は約一、七〇〇メートルで融雪水の影響を受けて水温は低いうえ、ずい道部が約四五パーセントあつてその間は太陽に暖められることがないため水温がさらに低下すること、加うるに、神通川流域の農地は沖積土壌であり、地層に漏水性があるため、水田の使用水量が多いのみならず、この水が右のとおり冷水であるので、稲作はこの冷水の影響を受けざるを得ないこと、しかし、このように冷水の影響を受けることは富山県内の神通川以外の河川流域の水田も同様であつて、神通川流域の水田は、その他の河川流域のそれに比較するとむしろ冷水の被害は僅少であること、すなわち、神通川は、水源の標高、流路の延長、そのうちのずい道部分の割合、合流する河川の水温等の条件において、同県内の他の主要河川である黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、庄川、小矢部川に比し、劣悪ではないだけではなく、かえつて昭和二四年、同二五年、同二八年ないし三五年における六月および七月の平均水温は右各河川中最も高く、八月のそれは庄川に次ぐ高温であり、また地層についても右各河川流域の水田に比して植壌土が多く、したがつて、漏水性はあつても比較的低く、これらの好条件のため冷水の被害は他河川流域水田よりむしろ少ないわけであること、神通川上流の高原川水系一帯は険しい山岳地帯であるため、降雨や積雪により山岳の急傾斜面が崩壊し土砂が高原川に流入し、この土砂がかんがい水とともに右河川流域の水田に流れ込んで農作物に影響を与えること、この崩壊土砂の流入による水田の被害は神岡鉱業所からかなり上流の岐阜県吉城郡上宝村等においても発生し、農民は俗に「よけ」と称する砂溜めを水田に設けて崩壊土砂流入の防止対策としているが、下流の神通川流域におけるような鉱毒問題などとして論議されたことがないこと、神通川流域においては古くからしばしば洪水や旱魃に見舞われてきたけれども、これらは前記のような水田の水口付近を中心とする著しい稲作減収の原因であり得ないことが認められる。

エ 以上アないしウで認定した事実に照してみるときは、神通川流域の富山県上新川、婦負両郡の農村地帯が古くから冷水害や肥効劣性土砂(崩壊土砂)の流入による被害を受けてきたことを全く否定することはできないけれども、それは同県下の神通川以外の主要河川流域におけるのと大差ない程度のものと考えられ、神通川流域に特有の前記のような稲作減収は、むしろ被告会社等の神岡鉱業所から既にみたとおり特に大正時代から継続して排出し、高原川に放流された廃水等によるところがより大きいと認めざるを得ないのであつて、同年間以来神通川流域で農業被害―鉱毒問題が論議され続けてきいことはまた決して理由のないことではなく、そして〈証拠判断略〉。

(4) また前記第二の三の3の(六)で認定したとおり、本病発生地区(熊野および新保両地区)、軽度発生地区(大沢野町)、対照地区(千里地区、太田地区)の各五軒の農家に保有されていた米と大豆を集めてカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類の分析を行つたところ、カドミウム濃度は米、大豆ともに本病発生地区と対照地区との間に明らかな差がみられ、軽度発生地区はその中間であり、亜鉛濃度についても同様の傾向がみられるがその差は小さく、鉛濃度については本病発生地区は高いが他地区は差が明らかでないという結果が得られ、別に神通川、熊野川、井田川各流域の水田から採取された玄米中のカドミウムおよび亜鉛濃度の分析を行つたところ、神通川流域の水田から採取された玄米は他河川流域の水田から採取された玄米に比し高濃度のカドミウムを含有しているという結果が得られた。

結局、本病発生地域から採取される農作物には近隣地区の農作物に比し、カドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類を高濃度に含み、特にカドミウムについてその差異が顕著であつた。

(5) 本病発生地域における地下水流が神通川の河川水を水源にしていることは前記認定のとおりであるが、〈証拠〉によれば、石崎有信教授が本病発生地域および対照地区たる熊野地区の杉の木各二本の年輪および各年輪間に含まれているカドミウムおよび亜鉛の量を分析した結果、本病発生地域の杉の木にはいずれも昭和一〇年代の後半に発育障害がみられ、熊野地区における杉の木の年輪はほぼ一定の幅で発育障害がなく、また本病発生地域の杉の木には熊野地区のものに比し多量の亜鉛量およびカドミウム量が含まれていることを発見し前記の発育障害はこの亜鉛およびカドミウムの影響であるとしていることが認められ、右認定事実に右の分析が本病発生地域および対照地区を通じてわずか四本の杉の木に過ぎないことおよび〈証拠〉により認められる本吉和男が石崎有信教授とは別に本病発生地域および対照地区の各杉の木の年輪とそれに含まれている亜鉛およびカドミウム量を調べた結果によれば、杉の木の年輪幅の大小に右重金属類がなんらの影響も及ぼしていないことをあわせ考えると、杉の木の発育障害が亜鉛およびカドミウムの影響を受けているとの石崎有信教授の前記所説をただちに本病発生地域の樹木全体にまで一般化することは躊躇せざるを得ないけれども、そうでない限りにおいては、杉の木の発育に亜鉛およびカドミウムが悪影響を及ぼすことを認めることができ、したがつて本病発生地域中の地下水には杉の木の発育を阻害する程度の濃度の亜鉛およびカドミウムが含まれるものがあつたことを認めることができる。

(6) 本病発生地域の水田は神通川および同河川から取水する用水の水をもつてかんがいし、また神通川の河川水を水源とする地下水流が本病発生地域下にあることはまた前記認定のとおりであるが、さきに河野稔、萩野昇医師らは本病発生地域の住民が戦前までは右河川水を飲料水に使用していた旨の報告をし、合同研究班のなした昭和三七年から同三九年までの疫学的調査でも同河川水の飲用経験が本病患者、同容疑者、健康者にそれぞれ29.4パーセント、19.2パーセント、13.3パーセントあるということが判明し、また富山県が金沢大学医学部の協力のもとに行なつた昭和四二年度の集団検診の際のアンケート調査によれば同河川水飲用経験者は本病患者および同容疑者の八〇パーセント弱、要観察者および患者発生地区住民の約六〇パーセントを占めていることが明らかとなつたこともまた既に前記一の1の(一)、(二)でそれぞれ認定したところである。

加うるに、〈証拠〉によれば、富山大学教育学部地学教授深井三郎は本病発生地域内の一三九戸の戸別訪問を行い、飲料水を含む生活用水の使用状況を聞取り調査したところ、(ア)、本病発生地域においては大正年間から昭和初期までの間、多数の家庭で用水の水を生活用水として使用していたこと、(イ)、同一二年頃を中心にして打込みや手掘り式の井戸(深さ四ないし七メートル)が掘られ、井戸水が使用されるようになつたが、この井戸水は前記の神通川を水源とする地下水がくみあげられるものであり、一二月から二月頃までの渇水期に井戸がかれた場合にはやはり用水の水を使用し、また農作物の水洗い等には屋敷内やその前を流れる用水が使用されていたこと、(ウ)、農民は農作業に際し、用水の水を飲用していたこと、(エ)、同三〇年頃から自家水道が普及し始め、また井戸がかれないように追掘が行なわれて用水の水は使用されないようになつたが、それでも追掘をしなかつた浅い井戸はかれることもあり、その場合には用水の水が使用されていることが判明したことが認められ、そして、〈証拠〉を総合すると、原告等本病発生地域の住民は、生活用水の使用上、深井三郎の右調査結果とほぼ一致した生活経験を有していることが認められる。

以上の事実についてみれば、本病発生地域の住民の神通川の水の利用については、合同研究斑がさきに行つた疫学的調査のうちに神通川の川水を飲んだ経験のある者が本病患者一九名中二名、本病の疑いの強い者一五名中二名、本病の疑いの軽い者三一名中二名なる成績があることは前記1の(二)の(1)に述べたとおりであつて、本病患者や同容疑者中極めて一部の者のみが利用したに過ぎない感を抱かせないではないが、近年まで上水道施設がなかつた本病発生地域の住民としてはそれまで神通川およびこれから取水している用水の水か井戸水を利用する以外に生活用水をうる途がまずなかつたのであるから、右の調査成績を過大に評価することは適当でなく、むしろその余の前記調査結果その他右地域住民の生活体験等に徴し本病発生地域の住民は近年までもつぱら神通川およびこれから取水している用水の水や井戸水を、直接口にして飲んだかどうかは兎も角、飲料水その他の生活用水に利用してきたものと認めるのが相当であり、そして井戸水が神通川の水を水源とする地下水にほかならないことは既に述べたとおりであるから、本病発生地域の住民は結局その生活用水を直接または間接にすべて神通川の水に負うていたものといわねばならない。

(7) 尿中カドミウム排泄量については、前記認定のとおり昭和三八年に金沢大学付属病院および富山県立中央病院に収容された本病患者九名の平均値が一日あたり37.8ガンマー、対照とされた他の骨疾患患者八名および健康者四名の平均値がそれぞれ一日あたり5.4ガンマー、2.7ガンマーであり、その後金沢大学衛生学教室が測定した本病患者四名のそれは約61.0ガンマーであり、その際正常値は2.7ガンマーとされ、また、合同研究班によつて行なわれた昭和三八年一一月の検査成績によれば、熊野、新保両地区の本病容疑者の平均値は一日あたり9.3ガンマー、対照とされた千里地区の健康者の平均値は2.6ガンマーで、同三九年七月および一〇月の検査成績によれば、大沢野町の健康者の平均値は10.3ガンマー、対照とされた太田地区の健康者の平均値は5.7ガンマーであり、また同年一〇月の検査成績によれば、熊野、新保両地区の本病患者および同容疑者の平均値は13.6ガンマー、健康者のそれは12.2ガンマーであつた。

それで、本病の疫学的特徴の一つとして、本病患者および同容疑者が対照群に比し明らかに多量のカドミウムを尿中に排泄するばかりではなく、本病発生地域の健康者においても対照地区の住民に比し、尿中のカドミウム排泄量は多量であり、カドミウム以外の重金属類である鉛、亜鉛については特に差異がみられないということになるのであるが、このことを本病発生地域の特徴という側面からみると、同地域の住民は対照地区の住民に比し多量のカドミウムに暴露され、多量のカドミウムを体内に蓄積していることを示すものである。

ところで、この点に関し、〈証拠〉によれば、富田国男医師が昭和四一年に健康者一五〇名の尿一リットル中のカドミウム排泄量を測定したところ、第九五百分位(第九五パーセンタイル)の値は24.8ガンマーであり、これを一日の尿量である1.5リットルに換算すると約三七ガンマーになることが認められ、してみると本病患者の前記平均値37.8ガンマーは右健康者の第九五百分位の値とほとんど差異が認められないことになる(ただし、金沢大学衛生学教室が測定した本病患者四名の平均値は約61.0ガンマーであるから、右第九五百分位の値と比較しても多量の排泄量がみられたことになるが、この値についてはさて措く)けれども、(ア)、前記のとおり、対照となつた本病以外の骨疾患者および健康者の平均値はそれぞれ5.4ガンマー、2.7ガンマーであり、本病発生地域外である千里地区および太田地区の健康者の平値はそれぞれ2.6ガンマー、5.7ガンマーであり、また金沢大学衛生学教室の測定によれば正常値は2.7ガンマーであること、(イ)、〈証拠〉によれば、健康者二名の尿中カドミウム排泄量はそれぞれ一日あたり2.7ガンマー、4.0ガンマーであることが認められること、(ウ)、〈証拠〉によれば、日本人の尿中カドミウム排泄量は一リットル中一〇ガンマーといわれていること、(エ)、〈証拠〉によれば、健康者の尿中カドミウム量については、成人で平均一リットル中一〇ガンマーあるいは一リットル中一〇ガンマーを越える平均を報告したものもあり、また一リットル中1.56ガンマーであるとの報告もあること、(オ)、〈証拠〉によれば、前記富田国男医師のなした調査結果は、平均値一リットルあたり6.25ガンマー、中間値2.91ガンマー、また一五〇名中一三〇名が一〇ガンマー以下であり、一一六名が5.0ガンマー以下であることが認められること等の事実を総合すれば、本病患者の平均値が富田国男医師のなした調査結果中の第九五百分位の値とほぼ同様であるとの一事をもつてしては本病患者の尿中カドミウム排泄量が多量であることを否定することはできず、いわんや金沢大学衛生学教室が測定した前記四名の患者の平均値61.0ガンマーは明らかに多量の排泄量であり、また本病発生地域の住民についても対照地区住民に比し多量の排泄量であることを看過することはできないものといわねばならず、また、前記乙第一三二号証(日本公衆衛生協会「イタイイタイ病およびカドミウム中毒症の鑑別診断に関する研究」―昭和四五年三月三〇日)中に「データーの評価に関連して最も大きな論議となつたのは、尿中のカドミウムの評価である。本年度の研究では、スクリーニングレベルとして一リットル中三〇ガンマーをとつた。

この値は……職業病としてのカドミウム暴露の場合に出現する濃度と比較して極めて低いレベルと考えられるが、今年席の鑑別診断対照者はこの濃度以下であり、富山県のイ病患者の場合でもこれを超えるものは極めて少ない云々」との記載があつて、尿中カドミウム排泄量のスクリーニングレベルとして一リットル中三〇ガンマーが採用されているけれども、前記のとおり、従前の調査によれば健康者の尿中カドミウム排泄量は比較的少量で、一日あたり一〇ガンマーを越えたのはわずかに富田国男医師の調査のみであり、これに成立に争いのない乙第一四三号証によつて認められる、厚生省の委託研究機関である「イタイイタイ病およびカドミウムの中毒鑑別診断研究班」が黒部市所在の日本鉱業株式会社三日市製錬所周辺の住民を対象にして行なつた集団検診において尿中カドミウム排泄量のスクリーニングレベルとして一日あたり一〇ガンマーが採用されていることを考え合せると、尿中カドミウム排泄量のスクリーニングレベルとして前記のように一リットル中三〇ガンマーが採用された根拠については明らかでないが、たとえ合理的な理由が存するとしても、このことのみをもつて、本病患者らが対照群に比し、多量のカドミウムを尿中に排泄していることを否定することはできないというべきである。

(8) 本病患者および同容疑者の尿中に蛋白および糖が認められ、また血清アルカリフォスファターゼが上昇し、血清無機リンが低下することはさきに述べた疫学的調査で既に明らかになつたところであるが、単に本病患者および同容疑者のみではなく、レントゲン線上は本病の疑いがないとされる本病発生地域の住民にも、腎機能になんらかの異常を有する者および本病特有の血液所見を呈する者が多数いることが示唆されていることは前記認定のとおりで、このことはまた本病発生地域に特徴的な事柄である。

(9) さらに本病発生地域の住民の栄養や同地域の気候、労働条件等について被告会社の主張するような特記すべき事情があるかどうかを検討してみる。

先ず、本病発生地域の住民の栄養摂取の点であるが、前記認定のように昭和三〇年当時の栄養摂取状況について熊野地区は富山県農村平均に比し劣つているとはいえないこと、本病患者家庭については富山県の農村平均より総カロリー、蛋白質等かなり劣つているものもあるが、カルシウム等については優れていること、本病発生地域では米の過食と少ない副食物などの食習慣がみられるけれども、この点はいずれの農村にも多かれ少なかれ認められる事情であつて、必ずしも本病発生地域のみに特徴的な事情とは考えられないこと、戦中、戦後を通じて脂肪、リン、カルシウム等の摂取については一般に最悪の状態にあつたであろうこと、栄養の摂取と密接な関連のある経済状況上は、本病患者家庭の所得平均は婦中町の健康者の家庭のそれに比し低い傾向がみられたこともあるが、本病患者は往時の小作人と地主双方の家庭からそれぞれ発生し、労作の有無、軽重による区別もあまり存しないとの報告もあること等からしてみると、栄養摂取の点が本病と全く無関係ではあり得ないにしても、栄養摂取上、本病発生地域のみが指摘を受けるべきほどの問題点が必ずしも明確に存するわけではないから、右地域にみられる栄養摂取ないし経済状況にみられる若干の欠点をとらえて本病発生地域のみに特有の事情のように考えるのは妥当ではない。

次に、気候および労働条件の点であるが、なるほど、〈証拠〉によれば、被告会社の主張するように、富山県の気候は、表日本のそれと反対に、年間の晴天日数および日照時間が少なく、冬期には降雪も多く、そしてこれらの気象条件は全国平均の約二倍の耕作面積をもち、かつ単作地帯であるこの地方の農民をして短い農繁期に過重労働せざるを得ない状態に追い込んできたことを窺うに足り、本病の発生に関してこのような過重労働を無視すべきでないにしても、この気候ないし労働条件は北陸地方に多かれ少なかれ共通の現象であるから、これを本病発生地域のみに特有の事情のように解することはできない。

なお、本病患者に多産や産後の休養期間の短い傾向があることは既にみてきたとおりであり、妊娠、出産が本病の発生に大いに関係があるにしても、右の傾向はまた本病発生地域だけに存するもののように認めることはできない。

右の次第で、本病発生地域の住民の栄養摂取状況や同地域の気候、労働条件をもつて本病発生の地域的限局性を説明しうる理由となし難い。

(10) 以上(1)ないし(9)に述べたところによつて本病発生地域の特徴をみてみると、要するに、右地域は、水田耕作を主とする農村地帯で、同地域の水田はもつぱら神通川およびこれから取水する用水の水をもつてかんがいされてきたが、この水を介して上流から水田中に運び込まれたカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類によつて水田土壌が汚染され、そのため大正時代から神通川流域に農業被害が発生し、爾来いわゆる鉱毒問題として種々論議され、そして米、大豆等の農作物は右重金属類、特にカドミウムに汚染され、右地域の住民は、これら米、大豆等の農作物を食料としてきたばかりでなく、神通川の水を直接に右用水から、また間接に井戸水を汲み上げるなどして飲料その他の生活用水に使用し、その体内には、右地域以外の対照地区の住民に比し、多量のカドミウムが吸収し、蓄積されており、これらの事実のほかには本病発生地域に特有のものと考えるべき事情は存しないことにあるということができ、してみると、本病患者の発生が既に述べたとおりの一定の地域に限局している理由は、これを右地域の水田土壌、したがつて農作物と飲料水を汚染し、さらにこれから同地域の住民に経口的に摂取され、その体内に吸収され、蓄積された重金属類、就中農作物中の含有量や尿中排泄量が対照のそれに比し明らかに差異があり、しかもその差異が鉛や亜鉛より顕著なカドミウムにこれを求めるのが相当といわねばならない。

そして、既にみてきたように本病患者が第二次世界戦争終結前後に特に急激に増加していること、米の過食や副食物が少ない食習慣があつて本病患者の家庭の栄養摂取が総カロリーや蛋白質等の点で富山県の農村平均より劣つていること、同患者の家庭の平均所得が低い傾向にあること、本病患者の大部分が中年以降の婦人であり、かつ多産の傾向にあること、本病患者には農業従事者が比較的多くて出産後の休養期間が少ないことなどにかんがみれば、これらを本病発生地域に特有の特徴的な事柄とみなし難いことはもちろんであるけれども、栄養摂取、妊娠、出産、授乳、内分泌の変調、老化等の因子が本病の発生に関与していることを示すものと考えられる。

もつとも、本病発生の地域的限局性の根拠がカドミウムにあるとする右の結論に異論がないわけではない。すなわち、被告会社は、カドミウムが本件地域と同程度に土壌や飲食物中に存在する地域は日本でも他に宮城、群馬、長崎、大分等の各県にあるといわれているが、もしカドミウムが本病の原因であり、本病発生の地域的限局性がカドミウムで説明できるというのであれば、これらの地域にも本病が発生していなければならないはずである。しかるに、本病はこれらの地域に発生をみていないのであつて、このことはカドミウムをもつて本病の原因とする説の最も矛盾した点であり、カドミウム原因説が本病発生の地域的限局性を説明し得ないことを意味するものであるのみならず、カドミウムが本病の原因であることを最も強く否定する根拠となるものでもあると主張するのでこれであり、そして、〈証拠〉によれば、本病発生地域以外で鉱山の影響を受けている地域として長崎県対馬の対洲鉱山付近の住民について昭和四一年検診が行なわれ、樫根部落において対照の下原部落に比し、尿蛋白、尿糖の有所見者が多くみられたこと、萩野昇医師および小林純教授が同地区を調査して一例に骨レントゲン線上本病とは若干異なり骨軟化症よりも骨粗しよう症の傾向を強く示したが、本病と診断できるものを認めたとしたけれども、イタイイタイ病研究班に加わつた金沢大学の整形外科および放射線科の専門医は右レントゲン線像は本病と同じではないと診断したこと、厚生省は、昭和四四年三月および五月にカドミウム環境汚染に関する見解を発表し、宮城県鉛川および二迫川流域、群馬県碓氷川および柳瀬川流域、長崎県佐須川および椎根川流域、大分県奥岳川流域の四地域をカドミウム環境汚染要観察地域として継続的な対策を行なうこととし、その対策の一環として同四四年度において右要観察地域を対象に「イタイイタイ病およびカドミウム中毒症の鑑別診断に関する研究」および「要観察地域におけるカドミウム摂取と蓄積に関する研究」を財団法人日本公衆衛生協会に委託して実施し、また「群馬県安中地区環境大気調査」を群馬県の協力を得て実施したが、その結果、従前の住民検診によつて鑑別診断を要するとされた群馬県の九名、長崎県の五名についてカドミウム中毒を支持する所見に乏しいが、カドミウム環境汚染がみられることが判つたこと、また、厚生省の委託研究機関であるイタイイタイ病およびカドミウム中毒鑑別診断研究班は昭和四五年一一月一八日黒部市の日本鉱業株式会社三日市製錬所周辺の住民を対象にした集団検診の結果として、骨病変所見のある本病患者や腎障害を伴う慢性カドミウム中毒患者はいなかつたが、尿中カドミウム量が一〇ガンマーを越えた三三人についてはさらに観察が必要であるとの結論を出したことが看取でき、右認定の事実からすると、本病発生地域以外で鉱山の影響を受けている地区では、カドミウムに暴露した事実がないわけではないが、いまだ明確に本病患者または同容疑者と判定されたものの存しないことが認められる。

しかしながら、本病発生地域とその他の右諸地域とのカドミウムの量や暴露した時期、期間等の条件がほぼ同程度であつたかどうかについては、これを明らかにする資料がないのであるから、この点が明確でない以上、現段階において他の諸地域に本病の発生がみられないことのみをもつて本病の発生が地域的限局性を有し、かつその根拠をカドミウムに求めんとする前記の結論を被告会社主張のように軽々に否定し去ろうとするのは些か早計といわねばならない。

二臨床および病理学的側面からみた本病の発生原因について

1本病の臨床および病理所見

原告らは、本病の臨床所見について、本病は一般に腎性骨軟化症といわれ、臨床的には糖尿、蛋白尿等の尿所見、血清アルカリフォスファターゼ値の増加、血清無機リンの減少等がみられ、骨の脱灰現象がおこり、骨改変層が生ずることが特徴であり、当初、大腿部、腰部、肩、背部、膝などの諸関節部等に刺痛を覚え、やがて身体各部にリューマチに似た疼痛が起り、アヒルのような独特の歩き方をするようになり、このような状態が数年あるいは一〇数年間継続し、遂には挫傷、捻挫のような軽い外傷によつて突然歩行不能となつて臥床するに至るや、病状は悪化の一途をたどる。そして本病患者は歩行や起立のときのみならず、病床でのわずかな体動によつても激痛に襲われるため、日夜睡眠を妨げられ、果ては呼吸したり、笑うだけでも、局所に痛みを覚えるなど片時も苦痛から解放されることがなく、この苦痛のために食欲が極度に減退し、衰弱しきつて「イタイ、イタイ」と絶叫しながら死亡するのであり、症例中には脊椎の圧迫骨析のために身長が三〇センチメートルも短縮したものもあり、肋骨だけで、二八か所、全身で七二か所の骨折を起したものがいるという悲惨な記録が残つているほどである。また、本病の病理所見としては要するに腎尿細管に障害が生じて再吸収機能が著しく阻害され、カルシウムの体外流出が多くなつて遂には骨軟化症におちいるファンコニー症候群にみられる所見が存すると主張する。

よつて、以下、本病の臨床および病理所見について検討してみる。

(一) 本病について組織的研究が行われるまでに、各研究者が本病の臨床および病理所見についても種々の報告をなしてきたことは既にみたとおりであるが、そのほかに合同研究班によつても本病の臨床および病理に関する調査、研究が行われており、そして〈証拠〉によれば、合同研究班の右調査、研究の結果は次のとおりであることが認められる。

(1) 昭和三七年一〇月および一一月に行われた前記熊野、新保両地区の三〇才以上の女性を対照として行われたレントゲン線集団検診の結果得られた本病の軽症例の骨レントゲン線像は、金沢大学医学部平松博教授らの報告によると、(ア)、全般に石灰分に乏しく、骨の萎縮が著明であり、特に、上腕骨骨幹部の皮質の菲薄化、上腕骨骨頭部の海綿質骨梁のしよう粗化がみられ、(イ)、肋骨に骨改変層の発見されることが多く、まれに上腕骨、肩胛骨に発見されることもあり、(ウ)、肋骨の変形屈曲や胸廓の変形がみられ、変形の原因は、骨改変層の発生に求められる場合があり、骨改変層がなくとも(ア)とあわせ考えると骨が柔かくなつている証拠であり、(エ)、軽症骨改変層の治癒像ないし前期像として骨梁の限局的雲絮状陰影がみられ仔細にみると、ある例では骨改変層を疑わしめる透明帯を認めることがあり、(オ)、骨皮質辺縁の不整が存し、これは骨改変層の治癒に伴う贅骨の生成ないし骨軟化像によることがあり、(カ)、脊椎の側彎が多くのものにみられることである。なお、典型的な本病患者の診断は臨床的な特徴から比較的容易である。

(2) 臨床的に本病または本病の疑いがあると診断された四例の剖検例について、本病の病理解剖学的特徴を検討した果結は梶川欽一郎教授の報告によると次のとおりである(なお、第一および第二例は同教授の「富山県下に地方病的に多発した骨疾患――いわゆる『イタイイタイ病』について」と題する論文中の二剖検例と同一である。)。

(ア) 症例の主要な臨床的事項は左表に記載したとおりである。

症例

年令

性別

挙子

経過

住所

レントゲン線所見

血液

臨床診断

カルシウム

リン

アルカリフオ

スフアターゼ

1

六二才

女性

九人

一二年

富山県

婦負郡中町

骨萎縮(高度)

骨改造層(著明)

骨盤変型・魚椎

本病

2

六二才

女性

八人

五年

同右

同右

同右

3

四九才

女性

〇人

一〇年

富山市

骨萎縮

背椎・骨盤

大腿骨の変形

本病の疑い

4

四四才

女性

三人

五年

富山県

上新川郡入善町

骨萎縮

背椎変形

骨改造層

同右

(イ) 第一および第二例に共通した主要所見は、全身の骨が骨性の硬度を失つて軟かく、刀で容易に切断される程度に変化していることであり、組織学的には高度の骨多孔症のほか骨梁や拡大したハーベル氏管内壁に類骨が形成され、またレントゲン線でみられた骨改変層に一致して著明な類骨の増生が認められた。これらの変化は全身の骨系統に認められたが、頭蓋骨だけは著変を免れている点に注目すべきである。以上の所見は老人性骨軟化症の像に最も近い変化と解せられ、右骨変化に続発して二例ともかなり高度の石灰移転が腎臓に認められ、第二例には軽度の上皮小体の二次的肥大が認められた。第三および第四例に共通した主要所見は、上皮小体の腺腫であり、第三例においては左側に小指頭大の、第四例においては右側に弱鶏卵大の腫瘍が発見され、このため骨系統には骨多孔症とともに多数の破骨細胞を伴つた線維性骨髄の形成がみられ、汎発性線維性骨炎の像を呈している。第三および第四例では、第一および第二例と異なり、頭蓋骨もまたおかされている。第四例ではレントゲン線所見に一致して骨改造層が認められ、その像は第一および第二例における骨改造層と類似しているが、その他の部位には類骨縁の存在が認められない点において異つている。その他の病変として第三および第四例には出血性素因があり、大血管に血栓症が認められ、また第三例においては両腎に、第四例においては右腎に結石が存在し、第三例においては全身の諸臓器に著明な石灰沈着が認められた。これらの所見は骨の病変に基づく二次的な変化と解せられ、第三および第四例には別に間質性膵炎が認められる。(ウ)、第一および第二例と第三および第四例とは臨床所見および病理解剖学的所見においてかなり差異が認められ、両者は別個の疾患と考える方が適当である。その主な相異点を挙げると、第一および第二例においては多産婦であり、レントゲン線上骨の萎縮変形が著明であり、高カルシウム血症を欠き、剖検上は骨が軟かく頭蓋骨に変化がなく、組織学的には骨多孔症と類骨の形成によつて特徴づけられる。これに対し第三および第四例では出産回数と必ずしも関係なく、レントゲン線上は骨多孔症が主要所見で、高カルシウム血症を伴うものがあり、剖検上は上皮小体腺腫が存在し、骨はもろく頭蓋骨にも病変が認められ、組織学的には線維性骨炎の像を呈し、さらに間質性膵炎を合併している。要するに、第一および第二例は老人性骨軟化症に最も類似しており、第三および第四例は上皮小体腺腫による上皮小体機能亢進症と解せられ、結局、本病の定型的臨床像を呈するものは病理解剖的には老人性骨軟化症に酷似した所見を呈するものであり、第三および第四例とは別個の範疇に入れるべき病変である。

(3) 金沢大学整形外科に入院した本病患者四例について各種臨床検査が行わた結果は、同大学医学部武内重五郎教授らの報告によると、(ア)、先ず、右四例の病歴等は左表は記載のとおりである。

症例

年令

性別

家族歴

妊娠・

出産回数

主訴

発病

発病時症状

蛋白尿・

糖尿の発見

腎に関する愁訴

1

五八才

女性

母(胃ガン)

一一回

背痛・腰痛

四六才

腰痛

九年前

数年前より多尿

2

五八才

女性

母・兄二・妹一

いずれも脳卒中

三回

腰痛・両下肢痛

五一才

右膝関節痛

四年前

数年前より多尿

3

六〇才

女性

――

六回

腰痛・両肘関節痛

五二才

腰痛

四年前

ときに顔面に浮腫

4

六二才

女性

――

八回

両側大腿部痛

五八才

右大腿部痛

一年前

――

腎臓に関する症状として、四例中二例に数年来の多尿があり、一例に時々浮腫を認めている。いずれの症例においても蛋白尿、糖尿の発見は発病後数年して行われているが、検査の機会がなかつたためであり、必ずしも骨病変が先行したことを意味しない。(イ)、四例の入院時の検査成績をみるに、全例に蛋白尿および糖尿を認め、検血では四例中三例に軽度の低血素性貧血がみられたが、血圧は全例とも正常であつた。(ウ)、入院中の経過をみるに、第二例に明らかな多尿がみられ、他の症例でも入院時期が夏期であつたことにかんがみると多尿の傾向があるといえる。尿中蛋白量は一日一グラム以下が多く、尿糖は間歇的に一日二ないし三グラム程度みられた。血液の生化学的検査では血中残余窒素は全例で正常範囲内にあり、電解質では炭素ガス含量の低下とそれに伴うクロール値の上昇が二例にみられ、血清無機リンは低下または正常下界を示し、全例にアルカリ性および酸性フォスファターゼの上昇がみられた。糖尿の成因を明らかにするため糖同化能の検索が行われたが、飽食試験で空腹時血糖はいずれの例でも一デシリットル中一〇〇ミリグラム以下であり、二時間値および三時間値も一デシリットル中一一〇ミリグラム以下で正常の反応を示し、飽食試験施行時に採尿していないので腎性糖尿の存在を明らかに示すことはできなかつたが、糖尿病とは考えられない。(エ)、腎機能についてみるに、濃縮試験では軽度ないし中等度の濃縮力の低下がみられ、P・S・P排泄試験において一五分値は第一例6.0パーセント、第二例7.5パーセント、第三例9.5パーセント、第四例12.0パーセントと著明に低下しており、一回静注により施行した腎クリアランス試験ではPAHクリアランスおよびチオ硫酸ナトリウムクリアランスとも三例で著明な低下をみているが、濾過率の上昇が顕著でPAHクリアランスの相対的減少が著しく、他の一例では両クリアランスとも正常下界であつた。レノグラムでは全例に腎機能低下曲線がみられたが、左右差は認められなかつた。静脈性腎盂撮影では一例に腎機能低下がうかがわれたが、他の三例では著変はなく、尿細管の再吸収率は全例で低下し、尿中カルシウム排泄は正常の上界を示していた。(オ)、腎臓の組織学的所見をみるに、第一例において九個の糸球体がえられ、そのうち一個に虚血性変化によると思われる硝子化を認めたが、他の糸球体には著変は認められず、尿細管は全般にやや萎縮性で硝子様円柱を入れて上皮が扁平化したものが散在し、血管系では細動脈に軽度の内膜硝子化と小動脈の内弾力板の重複を認めたが、いずれも内腔の狭細化はみられなかつた。間質には軽度のびまん性の線維化は認められたが、数か所にみられた巣状の円形細胞以外には細胞浸潤は著明でなかつた。

第二例では八個、第四例では二〇個の糸球体がえられたが、それぞれ一個と二個の硝子化糸球体を認め、残りの糸球体には軽度の虚血性変化をみるものはあつたが、増殖性、浸出性病変などの糸球体炎を疑わせる所見はみられなかつた。その他尿細管、間質、血管系の病変も第一例と同様であり、尿細管では萎縮、変性が軽度にあり、間質では軽度のびまん性の線維化と巣状細胞浸潤、血管には極めて軽い小動脈および細動脈硬化症が認められた。(カ)、以上により、本病には少なくとも腎障害がみられることが明らかであり、その本態について考察するに、第一の手掛りとなるのは非高血糖性の糖尿により示唆される尿細管の機能異常である(なお、糖尿のほかに、尿中蛋白の出現も腎尿細管機能異常の一つのあらわれとして重要な意味を有している)が、本病において糸球体病変は他の腎機能異常にもかかわらず血中残余窒素の上昇がみられず、糸球体濾過が比較的よく保たれていることにより重要ではないと推測される。このような尿細管機能異常の見地から臨床検査成績をかえりみると、糖尿以外に尿細管における再吸収低下を伴う低リン血症がみられ、また金沢大学衛生学教室において行われた尿中アミノ酸定量にみられるように、尿中アミノ酸の排泄増加があり、これも尿細管での非特異的なアミノ酸再吸収障害によるものと考えられる。さらに、血中残余窒素が正常であるにもかかわらず腎クリアランスで顕著なPAHクリアランスの低下およびP・S・P排泄障害があり、レノグラムで機能廃絶曲線がみられるのは、主として近位尿細管の機能異常であり、他に血液性化学検査で炭酸ガス含量が低下し、高クロール性アシドーシスの傾向を認めるにもかかわらず、P・Hが6.0前後にとどまるものが多いことは尿細管における酸性化の障害が存することを示唆している。また尿の濃縮力の低下もみられ、このような遠位尿細管の機能異常も加わつたファンコニー症候群類似の広範な腎尿細管障害が本病の腎障害の本態である。

(二) 〈証拠〉によれば、富山県立中央病院の村田勇医師らは、本病患者の小腸にグルテン・エンテロパチーと機能的にも形態的にも極めて類似した所見を認め、これより二次的に貧血、尿細管機能障害、骨軟化症がおこつていると報告している(もつともこれに対しては腎尿細管上皮と小腸上皮は機能的に近縁関係にあることが知られているが、本病の本態が村田勇医師らの報告のとおり小腸機能の異常であるとすれば、腎、骨病変に先だつて先ず長期間腸管症状を伴うはずであるのにこれが認められないこと、経気道的なカドミウム吸収でも腎病変がおこること、さらにビタミンDの治療にかなりよく反応することが十分説明できないこと等、今後なお検討を要するとの批判がある。)。

(二) 〈証拠〉によれば、萩野昇医師は本病患者の発病から死亡までの経過により、本病を第一期(潜伏期)、第二期(警戒期)、第三期(疼痛期)、第四期(骨格変形期)および第五期(骨折期)の五段階に分け、本病の病理として腎機能障害は重要な因子であり、本病はファンコニー症候群によつて説明できる腎性骨軟化症であるとするが、本病患者のうちには、第四期の骨格変形期に属し、骨改変層の骨所見があつて骨軟化症と認められたにもかかわらず、尿蛋白が陰性であるなど尿所見が比較的軽度であり腎性骨軟化症のみでは十分説明できないデータもある。しかし、この点については、その後の尿の萎縮試験などの結果にかんがみ必ずしも腎臓に障害がみられないと確定することもできず、なお研究途上にあるとしている。

(四) 以上(一)ないし(三)に認定の各事実および本病についての組織的研究が行われるまでに各研究者が行つた本病の臨床および病理所見に関する前期各報告に〈証拠〉を総合すると、本病の臨床および病理所見は次のとおりであることが認められる。

(1) 本病の自覚症状および経過についてみるに、初発症状は大腿痛、腰痛であることが多く、疼痛は、次第に身体の各部位にひろがり体動に伴つて起るが、深呼吸時、咳嗽時等にも胸背痛を訴えるようになる。その経過は極めて緩慢なことが多く一〇年以上にわたることも少なくなく、捻挫、挫傷等の軽い外傷を契機として突然歩行障害を起こし、臥床状態になると症状は急激に進行する。わずかの外力で病的骨折を起こし、骨格変形が進み、正常な臥位はとれなくなつて坐位でうずくまつたままであつたり、下肢をつり上げたりしなければならなくなる。日夜の疼痛のため睡眠は妨げられ、呼吸運動も制限され、わずかな体動にも「痛い、痛い」と訴えるので、いつからか「イタイイタイ病」の名がつけられた。本病が直接死因となることは少なく、極度の運動不足から食欲は失われ、全身的な衰弱が進行し栄養失調状態となつて簡単な余病の併発で死亡した者が多い。ビタミンD大量療法が行われるようになつてからは重症者は少なくなり、死因としての重要性は著しく低下したが、死亡者の直接死因が何であつたかについての明確な調査が行われていないので詳細はわからないけれども、一般の老人性の疾患によるものであつて、特徴的な死因として取り上げられているものは今までのところ何もない。

(2) 一般的臨床所見をみるに、栄養状態は不良で体格が小さくなり、重症では身長が健康時より二〇ないし三〇センチメートルも短縮する。疼痛を全身に訴えるが、特に骨病変部に一致して骨圧痛があり、重症例では些細な接触でも激痛を訴える。肢位異常、開排制限、動揺性歩行(Watschelgang)は疼痛初期の頃からみられ、初期の診断にも役立つ症状である。その他の特徴として、重症で一定体位で長く臥床していても褥創がみられず、しかも一種特有の皮膚光沢のあるものが多い。

(3) 腎臓の臨床検査成績としては、(ア)、過血糖は伴わないが、糖尿があること、(イ)、腎尿細管における再吸収の低下を伴う低リン血症があること、(ウ)、尿中アミノ酸の排泄の増加があること、(エ)、腎尿細管における尿の酸性化の機能が障害されている(高クロール血性のアシドーシスの傾向があり、尿のP・Hが6.0以下にならない。)こと、(オ)、尿の濃縮力の低下がみられることがあげられ、以上のうち(ア)ないし(ウ)は近位尿細管の、(エ)および(オ)は遠位尿細管の各機能異常を示し、これらは本病について臨床的に認められる最も本質的な変化である。この臨床検査成績は腎臓の病理組織所見と矛盾せず、このような広範な腎尿細管障害を中心とする病態は従来いわゆるファンコニー症候群とよばれているものである。

(4) 右臨床検査成績のほかの一般的臨床検査所見としては、(ア)、糖尿のほか蛋白尿がみられること、(イ)、血清アルカリフォスファターゼ値が上昇すること、(ウ)、血清無機リンが減少すること、(エ)、尿中のリンとカルシウムの比(P/Ca)が低下すること、(オ)、軽度の貧血がみられること、(カ)、血圧は正常であるが、尿沈渣では若干の赤血球・硝子様・顆粒円柱がみられること、(キ)、血清カリウムが減少すること、(ク)、尿量が比較的多量であること、(ケ)、副腎皮質機能の低下がみられること、(コ)、腸管の障害がみられること、(サ)、以上のほか血清カルシウムは正常範囲内にあり、肝機能について特別の障害はみられないことがあげられ、特に(ア)ないし(エ)の所見は本病において顕著にみられるものである。

(5) 骨のレントゲン線所見についてみるに、典型的な本病の診断は比較的容易であるが、その骨のレントゲン線像としては、(ア)、骨萎縮・脱灰像が生じ、頭蓋骨を除く全身骨で著明である。すなわち、骨緻密質は菲薄線維状に萎縮し、海綿質も菲薄透明となり、脱灰像は骨幹端部および末梢近位の別なく生ずる。(イ)、骨折像がある。すなわち、四肢骨に多発性病的骨折像がみられるが、骨折像というよりはむしろ屈折像を示し、骨折部の仮骨形成、造骨性変化が極めて乏しい。(ウ)、骨盤骨、肋骨、胸椎(楔状椎体)、腰椎(魚椎状)等に骨格変形が顕著である。(エ)、骨彎曲、ハート型骨盤――骨盤の扁平化がみられる。すなわち、大腿骨頸部角において内反股が形成され、また肋骨、胸骨、鎖骨、前腕骨の彎曲がみられる。(オ)、骨改変層がみられ、本病の骨病変のうちでも最も特徴的なものの一つである。それは肋骨、大腿骨、骨盤骨、肩胛骨、前腕骨、指骨などに発生し、特有な骨透明層として見出される。骨改変層の初発部位は大腿骨、骨盤骨であり、これが初発症状の腰痛、大腿痛に関連するとともに特有な跛行はこの疼痛に対する一種の防御作用であり、また歩行やはう等の運動と骨改変層の発生とが関連している。次に本病の軽症例の骨のレントゲん線像は次のとおりである。すなわち、(ア)、全般に石灰分に乏しく、骨の萎縮が著明であり、特に上腕骨骨幹部の皮質の菲薄化、上腕骨の骨頭部の海綿質骨梁のしよう粗化がみられる。(イ)、骨改変層が肋骨に発見されることが多く、まれに上腕骨、肩胛骨に発見されることもある。(ウ)、肋骨の変形屈曲、胸廓の変形がみられる。右変形の原因は骨改変層の発生に求められる場合があり、改変層がなくても(ア)とあわせ考えると骨が柔かくなつている証拠である。(エ)、軽症骨改変層の治癒像ないし前期像として骨梁の限局的雲絮状陰影がみられ、仔細にみると、ある例では骨改変層を疑わしめる透明帯を認めうることがある。(オ)、骨皮質辺縁の不整が存し、これは骨改変層の治癒に伴う贅骨の生成ないし骨軟化像によることがある。(カ)、脊椎の側彎が多くのものにみられる。

(6) 本病の病理学的所見としては、(ア)、腎病変 剖検例では高度の老人性動脈硬化性萎縮腎の像および著明な石灰移転、腎盂腎炎の合併がみられ、腎生検所見では糸球体には本質的変化はみられず、尿細管は全般的にやや萎縮状で上皮の扁平化、内腔の拡大、一部上皮の基底膜からの剥離、硝子様円柱を入れるなどの変化がみられ、間質には軽度の線維化および円形細胞浸潤巣が散在し、以上は本病の腎障害の本態がファンコニー症候群といわれる広範な腎尿細管障害であることを形態的な面から裏づけている。(イ)、骨病変骨は一般に脆弱で、ことに肋骨等は刀で容易に切断され、また肋骨その他の骨においてレントゲン線上改変層のみられた部位に一致して表面に結節状の隆起を触れ、一方頭蓋骨のみは比較的硬度が保持され、刀では切断できない。組織学的には骨質は一般に菲薄で、ハーベル氏管は拡大し、しばしば内・外骨膜より毛細血管を伴つた線維性組織が増生して骨質内に穿孔し、骨質は多孔症となつている。しかし、本病は単なる骨多孔症と異なり、多孔症となつた骨の辺縁、拡大したハーベル氏管の周辺に類骨組織の形成がみられる点が特異な所見である。つまり、骨皮質、骨海綿質の骨梁の中央部に石灰化骨が残存してその周辺は石灰沈着のない類骨によつて囲まれ、いわゆる類骨縁を形成しているのであり、類骨縁の広がりは部位により様々であり、著しい場合は骨梁がほとんど全部類骨で置換されているものもある。石灰化骨と類骨との境界は多くの場合明瞭な接合線で画され、一方類骨の遊離端に沿つて数層の骨芽細胞の配列があり、まれに破骨細胞がみられる。改変層においては類骨の形成が著しく、樹枝状に増生した類骨が骨髄腔を埋めており、ときに増生した類骨は骨外側に結節状に突出して骨葉をみることもあり、結局本病の骨変化は病理学的に骨軟化症および骨多孔症であり、なかでも骨軟化症が病変の主体をなすものである。このことはレントゲン線上で認められていた所見と一致する。(なお、河野稔医師らは本病の骨変化は病理組織学的に骨軟化症と異なつているとし、その根拠の一つとして本病では骨芽細胞がほとんど認められないことをあげていることは前記一の1の(一)の(4)のとおりであるが、既にこの項で述べたとおり本病においては類骨組織の形成がみられ、また血清アルカリフォスファターゼが上昇しており、これらのことは骨芽細胞の活動の反映であるばかりでなく、梶川欽一郎教授らは骨に対する機械的刺激の強弱と骨芽細胞の活動性は比例しており、その極端な事例として本病の骨折部で旺盛な骨芽細胞の増殖と類骨新生がみられたと報告していることは前記一の1の(一)の(6)のとおりであり、結局本病は骨芽細胞の活動性が低下しているとはいえず、したがつて河野稔医師らの本病の骨変化が骨軟化症とは異なるとする所説の根拠についてはなお吟味を要する。)。

(7) 以上の臨床および病理所見によれば、本病の本態は次に述べるファンコニー症候群といわれる広範な腎尿細管障害で、これが骨軟化症まで発展したものということができる。

2臨床および病理的所見からみた本病の発生原因について

(一) 前記認定のとおり、臨床および病理所見から本病の本態はファンコニー症候群といわれる広範な腎尿細管障害であるが、この所見から本病の発生原因を考察してみるに、〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

(1) 先ず、本病のように広範な腎尿細管の機能障害をきたすものとしてはリグナック・ファンコニー症候群、アダルト・ファンコニー症候群のような先天的尿細管機能異常のほかにウイルソン病、多発性骨髄腫、ネフローゼ症候群等の内因性毒物によるもの、重金属や変性テトラサイクリン、リゾール、マレイン酸等の外因性毒物によるもの、ビタミンDの欠乏によるものがあるが、(ア)、リグナック・ファンコニー症候群は遺伝性を有し、小児に発生して全身臓器にシスチンの沈着をみるもので、前記認定のとおり遺伝的発生は否定されている本病とは明らかに異なる疾患であり、(イ)、アダルト・ファンコニー症候群の臨床像は本病のそれと極めて類似しているが、前者は三〇才代を中心として発病し、劣性遺伝形式をとる極めてまれな疾患であり、前記認定のとおり本病がほぼ四〇才以降に発病し、一定地域に限局して集団発生したことにかんがみれば、両者は異なる疾患というべきであり、(ウ)、ウイルソン病は銅を原因とする疾患で若年期に多発し、典型的な症例としては知能障害を生じるのであり、本病とは臨床病理像も異なつており、(エ)、多発生骨髄腫も本病の臨床理像とは異なり、両者の鑑別は困難ではなく、(オ)、ネフローゼ症候群についても病気の発生状況等が異なるので、本病との鑑別は可能であり、(カ)、本病発生地域の住民がテトサイクリン、リゾール、マレイン酸等を摂取した事実は全くないうえ、変性テトラサイクリンによる障害は急性の疾患であり、リゾールによる疾患は本病と発病の状況が異なるだけでなく尿が緑色または暗緑色を呈するのであり、マレイン酸による疾患も本病とは異なるので、両者の鑑別は可能であり、(キ)、ビタミンDの欠乏についてみるに、日本人の場合はビタミンDは食物というよりは、むしろ皮膚が太陽に照射されてビタミンDが自然にできる点に供給源があるのであつて、本病患者の多くが農業従事者で、日出とともに野良へ出て日没に帰宅するという生活を繰り返しているところからみると、ビタミンDの欠乏は本病の腎障害の原因であると考えることができず、また本病患者にビタミンDを投与すると症状が好転することが知られているが、この場合投与されるビタミンDの量は栄養学的に必要とされる量に比してはるかに多量であつて、普通のビタミンDの生理的な作用と異なる薬物的な効果が作用しているのであり、この点からも本病の原因としてビタミンDの欠乏をあげるのは適当ではない。したがつて、結局重金属類による疾患の可能性が浮びあがらざるを得ないのである。そして本病発生地域は近隣地域に比しカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類によつて汚染されていることは既にみてきたとおりであるが、右重金属類中、先ず、亜鉛は人体に必要な金属であり、人体内での貯溜性が低く、また毒性も極めて弱く、急性の中毒症状は存するが慢性中毒について観察されたものは存しないから、亜鉛を本病の原因とは到底みなし難く、次に、鉛はその中毒によつて骨軟化症といえる症状が起つたとの報告は存するが、本病発生地域住民の尿中排泄量は正常値の範囲であるだけでなく、本病発生地域住民の検診によつても鉛中毒特有の症状は発見されなかつたのであり、そうすると、最後に、本病の本態とされる腎病変の原因としてはカドミウムが残るだけであるが、このことは前記認定のとおり、本病発生地域が特にカドミウムによつて著しく汚染されていることは完全に一致する。

(2) オートリアのクイースランドにおいて一、八七〇ないし一、八八〇年頃に鉛を含んだ塗料から鉛を経口摂取したため、小児らが高血圧を伴う慢性腎障害に罹患したこと、セルビアの一村落において鉛で汚染された小麦粉を摂取して慢性腎障害が発生したこと等の報告があり、以上の各例は地質または水質汚染の事例でないけれども、重金属類によつて経口的に腎障害が地域的に限局して多発する可能性のあることを示している。

(3) 右認定の事実からしても、本病患者にみられる腎尿細管の機能障害の原因はカドミウムであるものとみるほかないことになる。

もつとも、右の結論に関連して、被告会社は、一般に有機金属化合物以外の重金属塩は経口摂取による吸収が極めて悪いこと、動植物性の食品に重金属類が多量に含まれていることや流水中に高濃度の重金属類が絶えず流下することはありえないこと等を理由に、慢性カドミウム中毒が食品あるいは飲料水を介して経口的に発生するということはほとんどなく、したがつて水質または地質汚染の結果として腎障害が地域的に限局して多発することはありえないと主張し、〈証拠〉によれば、被告会社の右主張に副うような神戸大学喜田村正次教授の研究発表のあることが認められるけれども、同教授も右研究発表において本病に関してはその結論を留保しているうえ、無機カドミウム塩が経口的に生体内に全く吸収されないとしているのではなく、経口吸収が非常に悪いというに過ぎず、また生体側のなんらかの異常な状態で経口吸収率が上昇することがあるように考えていることが右研究発表自体より明らかであるのみならず、前記のとおり重金属類によつて経口的腎障害が地域的に限局して多発する可能性がないわけではないのであるから、喜田村教授の所説をもつて被告会社の右主張を肯定し、本病患者にみられる腎障害の原因としてカドミウムをあげる前記の結論を否定する資料とすることはできない。

(二) 本病の主要の病変の一つは骨病変で、その症状が骨軟化症であることは既にみてきたとおりであるが、この所見から本病の発生原因を考察してみる。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 先ず、本病における腎障害と骨病変との関連については、本病腎尿細管機能異常を骨病変の原因とする考え方と、反対に、特に剖検例で腎臓に著名なカルシウム転移を認めたことから、腎障害を骨病変に続発する二次的なものとする考え方(これは前記のとおり中川昭忠医師の報告したものである)があつたが、カルシウムによる腎障害は遠位尿細管機能の障害を主としており、尿崩症様の低張、多尿をみるのが普通で、腎性糖尿をきたしたという報告は極めて例外的であることおよび本病発生地域でははつきりした骨の病変をもたないものに糖尿、蛋白尿、低リン血症など尿細管機能異常を示唆する例が多数みられる(この点も既に認定したとおりである)ことなどからすれば、腎障害が一次的であつて、骨病変がこれに続発したものと考えるのが妥当である。

なお、右の点に関し、萩野昇医師は、当初、骨軟化症と認められる患者の中にも尿所見が比較的軽微であり腎性骨軟化症というのみでは説明のできないデータもあるとしていたがその後尿所見の点に関し、異なる結果を得たため同医師は右患者の腎臓に障害がみられないと確定することもできないとしていることは前記1の(三)のとおりであり、他に骨病変が腎障害に先行している可能性を示す報告は存しない。

(二) 本病の主要な病変の一つは骨病変で、その症状が骨軟化症であることは既にみてきたとおりであるが、この所見から本病の発生原因を考察してみる。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 先ず、本病における腎障害と骨病変との関連については、本病の腎尿細管機能異常を骨病変の原因とする考え方と、反対に、特に剖検例で腎臓に著名なカルシウム転移を認めたことから、腎障害を骨病変に続発する二次的なものとする考え方(これは前記のとおり中川昭忠医師の報告したものである)があつたが、カルシウムによる腎障害は遠位尿細管機能の障害を主としており、尿崩症様の低張、多尿をみるのが普通で、腎性糖尿をきたしたという報告は極めて例外的であることおよび本病発生地域でははつきりした骨の病変をもたないものに糖尿、蛋白尿、低リン血症など尿細管機能異常を示唆する例が多数みられる(この点も既に認定したとおりである)ことなどからすれば、腎障害が一次的であつて、骨病変がこれに続発したものと考えるのが妥当である。

なお、右の点に関し、萩野昇医師は、当初、骨軟化症と認められる患者の中にも尿所見が比較的軽微であり腎性骨軟化症というのみでは説明のできないデータもあるとしていたがその後尿所見の点に関し、異なる結果を得たため同医師は右患者の腎臓に障害がみられないと確定することもできないとしていることは前記1の(三)のとおりであり、他に骨病変が腎障害に先行している可能性を示す報告は存しない。

(2) このように本病は腎障害が一次的であり、そしてこの腎障害は前記のとおりファンコニー症候群と規定されるものであるがファンコニー症候群なる概念について、先ず、古川俊之博士はその特徴として、(ア)、低リン酸血症とそれに伴う骨変化(幼児ではくる病、成人では骨軟化症)、(イ)、腎性汎アミノ酸尿、(ウ)、腎性糖尿をあげ、藤田拓男博士らもこれと同様の説明をし、また武内重五郎教授はファンコニー症候群の本質的なものは腎尿細管の機能異常であつて、アミノ酸尿、蛋白尿、糖尿、リンの再吸収の低下等のうちの一または複数の症状がみられる場合等種々あるが、ファンコニー症候群であるからといつて必ずしも骨の変化があるとは限らず、リンの再吸収の障害ひいてはカルシウムの骨からの流出という形で腎尿細管の機能異常があらわれた場合に骨病変が生ずるといい、石崎有信教授はファンコニー症候群とは腎尿細管が侵されブドウ糖、アミノ酸、リン、カルシウムなどの再吸収が低下し、カルシウムの体外流出が多くなり、遂には骨軟化症に陥る症状であり、ビタミンDの大量投与が有効であることが知られているとしている。このようにファンコニー症候群であつても、骨変化が生じない場合が存するが、骨軟化症はファンコニー症候群の一症状として承認されており、本病においては骨病変にまで進行する場合があるリン、カルシウムの再吸収の低下という症状がみられるのであるから、本病の骨病変はファンコニー症候群の一症状としてよく、そして、ファンコニー症候群の原因としては前記(一)の(1)で述べたとおり種々のものが存するけれども、本病にみられる腎尿細管の機能障害はカドミウムが主因であることは前記認定のとおりであり、右腎障害が進行して本病の骨病変に至るのであるから、結局、本病の骨病変はまたカドミウムがその原因であるということになるが、カドミウムのみが原因で本病の骨病変が生ずるかについて、(ア)、外国における慢性カドミウム中毒(この点の各文献の内容については後に詳論する)の例として、職業歴八ないし二〇数年を有する労働者が粉塵あるいは蒸気から経気道的にカドミウムを吸入して発病したものがあるが、かなり高率に腎臓の変化が起こつているにもかかわらず、骨の病変を呈することが極めて稀であることおよび(イ)、一週間に二グラムを約二年間にわたつて飲むに等しいカドミウムが含まれている薬を服用した四九歳の女性の腎生検の結果が本病の腎障害と極めて類似しているにもかかわらず、骨病変や骨の疼痛は全然みられなかつたとの報告があること等にかんがみると、前記のように腎障害がさらに骨病変に発展するには、腎尿細管の再吸収機能障害によるカルシウムの体外流出のほかに、補助的に妊娠、出産、出産、授乳などによるカルシウムの需要増大、栄養不足などによるカルシウムの供給不足等の因子の関与が必要のように考えられる。

(3) そうすると、本病の主要な症状である腎障害および骨病変はいわゆるファンコニー症候群であつて、その主たる要因をカドミウムとし、その補助的要因として妊娠、出産、授乳、カルシウムの摂取不足などをあげるべきである。しかして、これらの臨床および病理所見からみた本病の発生原因は、さきに疫学的な観点からなした本病の発生原因追及の結果とも一致するものである。

されば、本病患者には更年期を過ぎた女性が多く、多産の傾向がみられ、したがつて一方では多産のため母体から大いにカルシウムが喪失すること、それに栄養、就中カルシウムの摂取不足が加わつてカルシウムの不足がはなはだしくなること、他方更年期を過ぎた女性や老令者などは一般に骨粗しよう症になり易いこと、本症はこのような骨粗しよう症にカルシウム不足が加わつて起るものであること、右骨粗しよう症の患者が臥床期間中の日照不足や食欲減退ないし不振から来る栄養失調状態から骨軟化症状を呈するに至ることを理由として、被告会社は本病の発生要因としてカドミウムの役割りを全く否定するが、本病患者に更年期を過ぎた女性が多く、多産の傾向がみられ、栄養、就中カルシウム摂取不足がないわけでないことはさきに疫学的な調査、研究の結果について述べた際に繰り返し指摘したところであり、したがつて右の結果にかんがみて疫学的な見地からも既に述べたように栄養摂取、妊娠、出産、授乳、内分泌の変調、老化等の因子が本病の発生に関与していることは否定できないけれども、だからといつて、これまでそのほかにみてきた本病の疫学的特徴や臨床および病理的所見を無視してカドミウムを本病の発生原因の埓外におこうとすることは許されないものといわねばならない。

(三) ちなみに、ここで外国におけるカドミウム中毒に関する研究について調べてみておこう。

〈証拠〉を続合すると、次の事実を認めることができる。

(1) カドミウムの急性中毒については、レッグの一九二三年のもののほかに種々の報告がある。これによれば、先ず、経口的急性中毒では悪心、嘔吐、下痢、腹痛等の消化器系症状が主要症状であるが、カドミウムの催吐作用のため吐き出してしまうので強い中毒は起きないとされており、次に経気道による場合は呼吸器系の刺激による激しい咳、血痰等肺水腫の症状を呈し、さらに気管支肺炎、肝、腎障害が起り、予後は悪く死亡率は約一五パーセントでカドミウムに暴露後五ないし七日のうちに死するとしている。

(2) カドミウムの慢性中毒の報告は、トラシンスキーが一、八八八年、ステファンスが一、九二〇年にそれぞれ行つているが、多数の報告が現われたのは一、九四〇年以後主に欧州においてである。その主要なものをあげると、ラフィットおよびグロス(Laffite & Gros―ニコー(Nicaud)教室―一九四二年、仏)、ルバーグ(Lebourg、一九四二年)、バートレニーおよびモリン(Barthelenuy & Moline、一九四六年)、プリンシ(一九四七年、米)、ハーディおよびスキナー(一九四七年、米)、フライベルグ(Fri-berg、一九四八、五〇年、瑞)、バーデル(Baader、一九四二年、独)、ボンネル(Bonnell、一九五五年、英)、カザンティス(Kazantis)ら(一九六三年)、ゲルベイおよびドルベチ(Gervais & De-pech、一九六三年、仏)のほか、ピスカーター(Piscator)、ブルラー、クリース、クラークソン、ケンチらがあり、これらはいずれもカドミウム鉱金・蓄電池製作工場、銅・カドミウム合金製造またはこの合金による溶接作業場あるいはカドミウム色素製造工場における報告であり、したがつてカドミウムは主にその熱処理に際して発生する酸化カドミウム、時に硫化カドミウムやセレニウム硫化カドミウムの粉塵または蒸気の形で経気道的に体内に摂取されるものである。右各報告にみられる症候についてみると、自覚的には、全身倦怠、易疲労性、口内乾燥、鼻出血、咳嗽、呼吸困難、嗅覚減退などがあり、他覚的には、慢性鼻炎や咽頭炎、時に鼻軟骨部、鼻咽頭部の潰瘍、無臭症および歯の黄色輪がある。ことに歯頸部の黄色輪はエナメル質底部が強黄または金黄色に着色されるもので、カドミウムリングとも呼ばれる。検査成績からは、先ず、軽・中等度の貧血、血沈の促進、肺気腫、蛋白尿・腎機能障害、骨病変、まれに肝機能障害があげられる。以上のうち上気道症状や肺気腫はカドミウムの侵入経路上の局所症状と解され、ことに慢性カドミウム中毒による肺気腫は機能的にも組織学的にも慢性気管支炎に続発したものと異つた様相を呈することが知られている。次に蛋白尿は最もよくみられる所見の一つで、一般的には就労期間が長いほど陽性率が高くなる傾向があり、フライベルグは蓄電池工場の五八例中、就労期間が四年以下の一五例では全例ともに蛋白尿が陰性であつたが、九年以上の四三例ではなんらかの愁訴があり、うち三五例(81.4パーセント)が蛋白尿陽性であり、四三例中一五例に濃縮力低下を認めている。さらにフライベルグはこの蛋白尿が硝酸、トリクロル酢酸、ズルホサリチル酸でよく沈澱するのに反して、ピクリン酸(エスバッチ法)と煮沸法ではほとんど陰性かまたは軽度に白濁するに過ぎないという奇妙な特性をもつことを発見し、検尿に際して留意すべきことであるとしている。さらに尿蛋白の電気泳動では三ないし四成分に分かれ主成分はアルファ=グロブリン(α―Glo-bulin)分画に相応して超遠心で2.30〜2.45Sの沈降係数を示し計算上二万ないし三万の低分子量の蛋白であることを明らかにした。ピスカーターは多数例についてフライベルグの所見を確認し、さらにこの尿蛋白は化学的に含水炭素に富み、酸性ムコ多糖類に類似していたと報告し、またブルラー、クリースらはアダルト・ファンコニー症候群等の尿細管性の尿蛋白と慢性カドミウム中毒の尿蛋白は区別がなく、慢性カドミウム中毒の腎障害の本態は尿細管性のものであると報告している。さらに尿中アミノ酸の排泄増加は尿細管性の障害の可能性を示すものであるが、クラークソンおよびケンチらは慢性カドミウム中毒で多量のグリシン、アラニン、グルタミン、セリン、スレオニン、チロジン、リジン、ヒスチジン、メチルヒスチジンが尿中に排泄され、ことに水酸化アミノ酸であるセリンとスレオニンの増加が顕著であつたと報告し、またカザンティスはカドミウム色素工場の一二例中、就労期間二五年以上の六例はすべて尿細管性蛋白尿を呈し、そのほかにもなんらかの尿細管機能障害を示唆する異常を示し、ことにうち二例には腎性糖尿、アミノ酸尿、濃縮力低下、高カルシウムおよびリン尿、酸排泄障害および高クロール血症性アシドーシス、低リン血症など広範な非特異的尿細管機能障害の存在を示す所見があり、しかも尿中アミノ酸排泄のパターンはアダルト・ファンコニー症候群のそれと異なるところがなかつたとし、さらに、尿中カルシウム排泄量の増加および腎結石の出現により慢性カドミウム中毒においてカルシウム代謝障害をきたす可能性があるとしている。慢性カドミウム中毒による腎障害の組織像については、慢性間質性腎炎とするもの、中毒性ネフローゼの所見ありとするもの、糸球体は本質的には正常で、尿細管、特に近位尿細管の変性、萎縮ときに間質の線維増生と細胞浸潤がみられたとするものがあるが、他方、五剖検例で糸球体および尿細管ともに正常であつたとの報告(もつとも、右五例の死因はいずれも肺不全で、臨床的な腎障害の程度は比較的軽度であつたようである。)も存する。

ところで、慢性カドミウム中毒で骨病変を呈したものについては現在までにフランスの二報告がある。一つはラフィットおよびグロスの報告であつて、カドミウム工場での二〇名中六名中六名(男二名、女四名)にミルクマン症候群を見出したが、いずれも下肢、骨盤、腰部その他の激しい疼痛のための歩行障害をきたし、レントゲン線上多発性、かつほぼ対称性に大腿骨、脛腓骨、骨盤骨、肩甲骨に仮性骨折線を認め、ビタミンDとカルシウムの投与により骨変化の改善をみたと報告している。しかし、尿蛋白に関する報告はない。またもう一つはゲルベイおよびドルベチの報告であつて、鉛・カドミウム合金溶接八例に肋骨の多発性骨折または胼胝形成がみられ、そのほか就労期間の長いものにはルーサー=ミルクマン骨線条や病的骨折が認められたとし、うち二例に施行したP・S・Pは正常であつたとしているが、右症例は鉛中毒が合併したものとされている(なお、フライベルグおよびバーデルもその報告中に右の各骨障害例を紹介しているが、彼等自身は骨変化の確認はしていない)。

これに対し、多年カドミウム工場に勤務する労働者を観察したが、せいぜい尿細管性蛋白尿や時に糖尿あるいは無臭症、軽度の貧血、歯の黄色輪などの軽度の症状しかみられなかつたという報告もある。すなわち、プリンシはカドミウム製錬工について調査した結果、歯に黄色輪状の変化がみられたほかにはなんらの症状もなかつたと報告し、また、ハーディーおよびスキーナーはカドミウム被覆ベアリング製造工について疲労、胃腸障害、時折りの呼吸器の異常、軽度の貧血などがあることを報告し、またエペらはカドミウムダストに暴露された工員二二名中、四〇パーセントの工員に胸やけ様の胃痛が観察され、若干の血液症状―軽度の貧血症―と軽い腎障害のあるもの二名を認めただけで、慢性カドミウム中毒による骨障害を否定する報告をし、ポッツは慢性カドミウム中毒患者を長期間観察した結果、カドミウム中毒患者の蛋白尿は健康に明らかな影響を及ぼすことなく長年月排出されうるとしている。

以上のとおり、欧州ではカドミウムによる慢性中毒の存在が確認されたが、米国の研究者は依然としてその存在を否定している。この重大な食い違いを解明するため、一、九五六年に米国とスウェーデンの学者によつて協同研究が行われたが、両国のカドミウムの水溶性に違いのあることが認められただけで、結論が得られなかつた。このように欧州と米国との間に相違がみられ、また、同じ欧州でもフランスにおいては腰および下肢の疼痛と骨改変層の見られた症例が報告されているのに対し、スウェーデンおよびドイツにおいては右の各症状がみられていないが、これらの相違の原因は暴露条件、ことに就労年数の違いのほか、栄養条件にも差異のあることがあげられている。

序でながら、我国におけるものの数は、本病自体に関するものを除けば、極めて少なく、慢性カドミウム中毒については精々尿細管性尿蛋白や時に無臭症、軽度の貧血、歯の黄色輪などの軽度の症状がみられたに過ぎないとの富田国男医師その他の報告があり、特に富田国男らは慢性カドミウム中毒においては重篤な症候は発現しないという見解を明らかにしている程度である。

以上の事実が認められ、右認定の外国における研究の結果よりすると、カドミウム中毒の研究は我国よりかなり早く、特に慢性カドミウム中毒の症状は一応明らかになつているようであり、右中毒から骨病変に発展するかどうかについても、これを肯定した報告がある(右報告は経気道的にカドミウムを吸収した場合のもので経口的にカドミウムを摂取した症例に関するものではないが経気道による場合の肺気腫、鼻炎など呼吸器系の症状を除けば、経気道であれ、経口であれ、摂取経路のいかんにかかわらず、慢性カドミウム中毒による症状にまず差異がないように考えられる)。もつとも、慢性カドミウム中毒から骨病変に発展するかどうかについては、これを否定する報告もあるけれども、少くとも以上のような外国文献にあらわれた研究成績からすれば本病におけるような腎臓や骨の病変がカドミウムの慢性中毒によつて発現すると考える余地がないわけではないのであつて、一部に慢性カドミウム中毒による骨障害を否定する報告のあることのみを根拠に右の病変が発生しないもののように速断するのは当を得ないものと考える。

三動物実験の結果からみた本病の発生原因について

取告らは、カドミウムの投与による動物実験の結果本病類似の骨疾患の生ずることが認められたと主張するので、以下に内外の動物実験の結果を調べ、その結果を調べ、その成果を検討してみる。

〈証拠〉

1外国における動物実験

少量のカドミウムによる慢性カドミウム中毒実験はジョーンズ(Johns)ら(一九二三年)、プロードン(Prodan、一九三二年)に始まるとされているが、慢性カドミウム中毒実験に本格的に取り組むようになつたのは、人の慢性カドミウム中毒の経験が出発点となつたもので、既にフライベルグら、ボンネルら、アクセルソン(Axellson)ら、シュワルツおよびアルスベルグ(Schwarz & Alsberg)、ウイルソン(Wilson)ら、ミシガン大学、プリンシおよびゲーバー(Princi & Gee-ver)、アンワー(Anwar)ら、シュレーダー(Schrceder)ポウエル(Powell)らその他の報告がある。すなわち、

ブロードンは、小葉中心に細胞浸潤があり、細胞が粒状を呈しているなど慢性カドミウム中毒における肝臓の変化を報告している。

フライベルグら、ボンネルら、アクセルソンらは、兎にカドミウムを投与して人の慢性カドミウム中毒にみられる蛋白尿、ことに尿細管性蛋白尿の再現に成功し、組織学的にも経気道的にカドミウムが投与された場合の肺病変および腎尿細管曲部または近位尿細管に変性病変、時に巣状の円形細胞浸潤など人の慢性カドミウム中毒に類似した病変像を再現することができたことを報告し、ことにアクセルソンらはカドミウムに暴露される期間が長いほど傷害される腎尿細管の範囲が広いとしているが、以上いずれの報告においても人の慢性カドミウム中毒にみられる広範囲の腎尿細管機能障害や骨病変の再現には成功していない。

シュワルツおよびアルスベルグは、カドミウムの経口摂取による慢性中毒の実験で一七匹の猫を六四週間以上飼育し、二〇〇p・p・m以下では体重に変化がないかあるいは増加し、時に嘔吐または採食拒否がみられる以外は全身異常がみられなかつたと報告している。

ウイルソンらの実験では、0.0031、0.0062、0.0125、0.025、0.05各パーセントのカドミウムを含む食餌をそれぞれラットに与えたところ、生長は0.0062パーセントで阻害され、0.0031パーセントでは軽い生長の阻害はあるが不確実であり、血液については0.0031パーセント以下でも貧血をきたすが、対照食餌を与えると貧血のみならず体重減少も回復し、ラットのカドミウム中毒の最も特有なものは歯の変化で切歯の脱色がみられ、カドミウム0.0016パーセントの濃度では生長は全く正常であるが歯のみに右と同様の所見がみられ、また、心臓、副腎、腎臓、ときには脾臓の拡大を認め、組織学的検索によつて軽度の肝臓の変化と膵臓の明瞭な萎縮、炎症が明らかになつたとしている。

米国のミシガン大学において一、九五八年に0.1p・p・mから最高五〇p・p・mまでのカドミウムを含有する水を生後三四日のラットに経口投与し、一年間観察を行つた結果、五〇p・p・m投与群において三か月で発育阻害、水の摂取量減少、血中ヘモグロビン量の減少、門歯のカドミウム輪形成がみられたが、0.1ないし10p・p・m投与群では対照群との間に水および食物の摂取量、体重および他の病的変化においてなんらの差異を認めなかつたとし、骨障害については報告されていない。

プリンシおよびゲーバーは、蛋白尿や腎病変の発現に一応成功した従前の各実験においてはいずれもカドミウムの投与量が実験動物にとつてかなり多量であるとして、プリンシの調査にかかるカドミウム工場の平均カドミウム濃度に近い条件を設け、一立方メートル中三ないし七ミリグラム(平均四ミリグラム)のカドミウム濃度で犬に対して吸入実験を行つたが肺臓、肝臓、腎臓にはなんらの形態学的変化もみられなかつたとしている。

アンワーらは、犬を使つた四年間の実験で、飲料水中のカドミウム含有量が五p・p・m以上では腎尿細管に変化を認め、2.5p・p・m以下では四年間経過しても変化をきたさなかつたと報告している。

シュレーダーは、離乳したラットに少量のカドミウムを投与することにより雌では六ないし七か月後に収縮期性の高血圧を生じたとし、その後の実験によればカドミウムは生長と生存に必須の金属ではなく、若いマウスに五p・p・mのカドミウムを水に溶かして与えると一八か月までは変化がみられないが、その後は人間より組織中の量が少ないにもかかわらず死亡率が高くなつたと報告している。

ポウエルは、子牛の実験で症状が亜鉛欠乏に似ていると報告している。

なお、ウイルソンらは、蛋白質と灰分の少ない餌を与えた動物のほうが良質の餌を与えた群よりもカドミウムの中毒症状が早く、かつ強く現われ、同時に比較した数種の毒物と比較するとカドミウムにみられた差が特に大きかつたとしている。

2我国における動物実験

我国における動物実験は主として本病に関する組織的研究の開始後に行われたものである。すなわち、

(一) 金沢大学医学部衛生学教室石崎有信らの動物実験

石崎有信らは、ラットを用い、先ず、あらかじめカルシウムの体内蓄積を減少させる目的で特にカルシウムの少ない餌で一か月飼育した後、実験食として低カルシウム、低蛋白の餌を与えたうえ、カドミウム投与群には塩化カドミウムをカドミウム量にして三〇〇p・p・mの割合で水道水にとかして与え、対照群には単に水道水のみを与え、約五か月半経過後に観察した。実験動物は、結局、カドミウム投与群の雌五匹、雄三匹、去勢された雄二匹、対照群の雌三匹、雄二匹(内一匹は途中で死亡)、去勢された雄三匹(内二匹は途中で死亡)であつた。

実験結果についてみると、カドミウム投与群の骨は、骨層が薄くなるかあるいは不規則な波状を呈し、骨細胞は大小不同で配列の不規則なところがあり、また、骨梁が少なくなつており、どの例も骨粗しよう症といえる像がみられ、ハーベル氏管は拡張して周囲に退行性変化があり、類骨組織のふちどりが明らかにみられて骨軟化症も起つているといえる例が雌に二例あり、雌の一例に骨梁が外側の異常に薄くなつた骨層と並行して走るという正常でない配列をみせているものがあつた。対照群には骨層の染色性低下、非薄化など脱石灰の傾向は見られるが、病的といえる所見はない。カドミウム投与群の腎臓は、糸球体に萎縮その他の硬化性変化のあるものもあるが、著しくはなく、尿細管に上皮の変性、脱落の像が、また、血管周囲、糸球体周囲に細胞浸潤がそれぞれみられてネフローゼというべき像であり、雌のほうに変化が強いようであつたが、雄と去勢した雄との差は明らかではなく、しかして対照群の腎臓には特記すべき所見はみられなかつた。次に、肝臓についてみるにカドミウム投与群のいずれの例にも肝細胞の萎縮変性がみられ、ところどころが壊死した例、肝細胞の配列の著しく不規則な例などがあり、細胆管周囲に細胞浸潤がみられた。対照群についても肝細胞に変化がみられ、核の崩壊消失、原形質の消失あるいは膨化、顆粒状変性などの退行性変化があり、カドミウム投与群とあまり差がなかつたが、はつきりした壊死および配列不規則の所見がなかつたことがカドミウム投与群と相違する点である。骨中のカルシポムおよびリンの含有量をみるために、右大腿骨を湿式灰化して定量分析したところ、対照群のカルシウムは九八ミリグラム、リンは四七ミリグラム付近を中心に極めて狭い範囲に分布しているが、カドミウム投与群はそれよりはるかに離れた低い値まで分布していて明らかに相違があることを示し、一部は対照群と同じ水準を保つているが、大部分は強く脱灰をおこしているものとみられる。カドミウムの体内貯溜についてみるに、対照群の生の臓器一グラム当りの値が肝臓では0.08ないし1.56ガンマー(平均0.57ガンマー)、腎臓では0.58ないし3.47ガンマー(平均1.99ガンマー)であつたが、カドミウム投与群の肝臓および腎臓中の平均カドミウム貯溜量は次表のとおりであつた。

雌雄の別

臓器別

肝臓

腎臓

一グラム当り

のカドミウム

(ガンマー)

重量

(グラム)

カドミウム総量

(ガンマー)

一グラム当り

のカドミウム

(ガンマー)

重量

(グラム)

カドミウム総量

(ガンマー)

二七

八・六

二三二

六三

〇・九五

五九

去勢された雄

三七

七・七

二八二

一〇〇

〇・八三

八二

五三

五・六

二八六

九八

〇・七三

七三

これによると、雌および去勢雄は、臓器が小さいにもかかわらずカドミウム総量が多く、カドミウム貯溜傾向は雄に少ないことになる。カドミウム投与群の骨中カルシウム量と肝臓および腎臓のカドミウム量の関係をみるに、カルシウムの少ないもの、すなわち脱灰が強いものほどカドミウムの貯溜が多い傾向にある。

(二) 金沢大学大学院医学部研究科衛生学講座松田悟の動物実験

松田悟は、非水溶性のカドミウムを餌に混入した場合の結果をみること、高カルシウムと低カルシウムの条件の差を確かめること、鉛の投与がカドミウムの作用にどのように関与するかをみること、ビタミンDの関係を考慮し明るい室において飼養したものと暗室で飼養したものを比較すること等を目的として、ラットによる動物実験を行つた。投与したカドミウムは酸化カドミウムで、カドミウム量にして一〇〇グラム中一〇ミリグラムおよび二〇ミリグラムの割合の二段階にしたものを飼料に混ぜ、鉛は鉛量で一〇〇グラム中一〇ミリグラムの割合でこれも飼料に混ぜて投与し、そして実験に用いたラット数は合計四〇匹であつたが、途中で死亡したラットを除き、三六匹についてカドミウムの投与開始以来約一〇か月後に観察した結果、次のとおりの実験成績を得た。

(1) 先ず、骨についてみると、(ア)、固型飼料のみを投与した群(A群)においては病的とみられる所見はなかつた。(イ)、固型飼料および一〇〇グラム中一〇ミリグラムの割合でカドミウムを投与した群(B群)においては、一例のみに軽度のハーベル氏管の拡張、内骨膜の鋸歯状、骨質罪薄なものがあつたが、他の三例は軽度のハーベル氏管拡張はみられるが病的といえる所見はなかつた。(ウ)、固型飼料および一〇〇グラム中二〇ミリグラムの割合でカドミウムを投与した群(C群)においては、八例中四例に病的所見がみられ、内一例は骨質菲薄で類骨組織を形成し、ハーベル氏管の拡張があり骨軟化症と骨粗しよう症とが共存し、また他の一例は骨質菲薄で、内骨膜が鋸歯状を呈して不規則になり、骨梁が少なくなつた骨軟化症がみられ、その他の二例は骨粗しよう症の像で、一部内骨膜下ハウシップ窩形成(発達中に吸収されつつある骨にみられる凹窩で破骨細胞の存在がみられる)、ハーベル氏管の拡張、類骨組織形成がみられた。(エ)、低カルシウム食のみ投与した群(D群)においては、四例中三例が骨粗しよう症の像を呈し、骨層波状で菲薄化し、ハーベル氏管周囲の石灰脱失し、他の他の一例は類骨組織形成、石灰脱失、ハウシップ窩形成があり、骨軟化症を呈していた。(オ)、低カルシウム食および一〇〇グラム中一〇ミリグラムの割合でカドミウムを投与した群(E群)においては、七例のすべてが骨質菲薄となり、骨粗しよう症を呈し、うち四例は類骨組織形成がみられ、ハーベル氏管周囲の石灰脱失しているものもあり、骨軟化症と共存している。(カ)、低カルシウム食および一〇〇グラム中二〇ミリグラムの割合でカドミウムを投与した群(F群)においては八例のすべてが骨粗しよう症の像を示し、一例のみ類骨組織の形成がみられ軽度の骨軟化症がみられた。

(2) 次に腎臓に関する所見をみると、(ア)、A群においては、一例のみ尿細管上皮に軽度の変化のみられるものがあつたが、他には所見がなかつた。(イ)、B群においては、四例中二例に尿細管上皮に変性と壊死の所見があつたが、他にはなんらの所見もみられなかつた。(ウ)、C群においては、七例中三例に所見なく、二例に尿細管の変性がかなり強くみられた(この二例は鉛も併せて投与されている)が、他の二例の所見は軽度であつた。(エ)、D群においては、四例中二例に所見がありその一例には尿細管上皮の腫張、混濁、うつ血がみられ、他の一例には小円形細胞の浸潤がみられた。その他の二例には変化がみられなかつた。(オ)、E群においては、六例中一例はネフローゼ様変化が強く、三例にもかなり変化がみられ、一例は軽症であつた。(カ)、F群においては、二例において尿細管上皮の拡張、壊死、変性が強く現われ、二例は中等度、他の三例は軽度の所見であつた。

以上が腎臓の所見であるが、肝臓についてはA群以外にすべて肝細胞の萎縮、核の崩壊消失、原形質の消失あるいは膨化、顆粒状変性等の退行性変化があり、巣状壊死のみられるもの、その他肝細胞の配列の不規則なものや細胆管周囲に細胞浸潤のみられるものもあつたが、以上はあまり強いものではなく似た程度の所見で、カドミウムの多寡には関係がなかつた。また、腎臓および肝臓の病理所見において室の明暗とはなんらの関係も見出しえなかつた。

(3) 次に骨中のカルシウムおよびリンの含有量をみるために右大腿骨を湿式灰化して定量分析したところ、固型飼料群と低カルシウム食群との間に著しい差異がみられ、いずれも生骨一グラム中の値で、前者はほぼカルシウム一〇五ミリグラム、リン四五ミリグラムであるのに比し、後者はほぼカルシウム七〇ミリグラム、リン三三ミリグラムである。カドミウム投与の影響も明らかで、固型飼料群ではB群よりもC群の方が脱石灰の傾向が強く、また低カルシウム食群ではカドミウムを投与したものはいずれも著しくカルシウムおよびリンが低下している。

以上の点について鉛投与の有無、室の明暗による差異はみられなかつたが、雌のほうに脱灰傾向が強くみられた。骨中のカルシウムおよびリンの量と病理学的所見の関係は脱石灰の病理像の激しいものほどカドミウムおよびリンの含有量が低く、明らかに並行関係があらわれている。

(4) カドミウムの体内貯溜についてみるに、カドミウムを投与しなかつた群の生の臓器一グラム当り肝臓では0.08ないし2.16ガンマー(平均0.74ガンマー)、腎臓では0.17ないし2.84ガンマー(平均1.12ガンマー)であつた。カドミウム投与群の肝臓および腎臓中の平均カドミウム貯溜量は次表のとおりであつた。

臓器別

肝臓

腎臓

群別

雌雄別

一グラム当りの

カドミウム

(ガンマー)

重量(グラム)

カドミウム総量

(ガンマー)

一グラム当りの

カドミウム

(ガンマー)

重量(グラム)

カドミウム総量

(ガンマー)

B群

二六・九

一〇・七四

二八九・〇

五六・九

一・二二

六九・四

三二・二

八・〇

二五七・六

七五・四

一・〇〇

七五・四

C群

五四・一

八・一六

四一一・五

八二・〇

一・〇七

八七・七

五五・四

九・五三

五二八・〇

九〇・八

一・〇八

九八・一

E群

三七・三

九・四六

三五二・九

六〇・一

〇・九四

五七・七

八九・〇

四四・八

三九八・七

九〇・三

〇・七四

六六・八

F群

五四・八

五・一三

二八一・一

七九・七

〇・六七

五三・四

八四・五

四・五五

三八四・五

九七・五

〇・六四

六二・四

これによると、肝臓、腎臓ともに雌の方が雄より大きい値を示しているが、暗室と明室との差、鉛投与の有無の差は存しない。

なお、骨中のカルシウム量と肝臓および腎臓中のカドミウム量との関係はカドミウム貯溜の多いほどカルシウムが少ない、すなわち脱灰が強い傾向がみられる。

(三) 岐阜大学医学部公衆衛生学教室館正和の動物実験

(1) 館正和は、体重三キログラム前後の家兎を四匹ずつ三群に分け、一群には対照群として蒸溜水を、他の二群には塩化カドミウム五〇p・p・mと二〇〇p・p・mをそれぞれ含む水を一日一〇〇ミリリットルずつ与え(カドミウム約2.5ミリグラムと一〇ミリグラムに該当)、それらの水を飲み終つて後は蒸溜水を自由に与えるようにして約一年間飼育したところ、次のとおりの結果を得た。すなわち、(ア)、カドミウム投与群には、対照群に比し血清カルシウムの増加、血清リンの僅かな減少、アルカリフォスファターゼの上昇、尿中カルシウムの増加、尿中リンの初期の減少、後期の増加を認め、そしてこれらの変化はカドミウム投与後三〇日目頃から著明になる。(イ)、カドミウム投与群の一部に尿蛋白陽性のものがあつたが、尿糖は全て陰性であつた。(ウ)、一か月に一回の大腿骨のレントゲン線拡大撮影で骨皮質の菲薄化、骨の変形、脱灰、改変層等の異常所見は認められなかつたが、一か年後には一匹の大腿骨に破骨細胞の機能が高まつて起つたと思われるその周囲の栄養血管陰影の増強が一部認められ、骨粗しよう症の始まりと解された。(エ)、カドミウム投与一年後の組織検査において、心臓、肺臓、脾臓にはなんらの変化も認められなかつたが、腎臓に下部ネフロンネフローゼの所見が認められるものがあつた。以上の成績からカドミウムの大量、かつ長期間の経口投与は骨代謝異常を起すものと考えられる。

(2) 次に、館正和は、普通食、低カルシウム食、低蛋白食に蒸溜水をそれぞれ与えた三群、それらに加えてカドミウム一日量一〇ミリグラムを与えた三群、計六群について調査したところ、(ア)、低カルシウム食、低蛋白食によつてもカドミウム単独でみられる骨代謝異常とほぼ同じ傾向の所見が認められた。ただし、低蛋白食では対照の普通食群と著しい差異はない。(イ)、カドミウムによる骨代謝異常は低カルシウム食、低蛋白食で強調され、その程度は低カルシウム食の場合に著明であるという結果を得た。

また、カドミウムの大量長期投与による骨代謝異常を鉛の大量投与、亜鉛の大量投与による骨代謝と比較する動物実験では、鉛の大量経口投与によつても骨代謝異常を起すと考えられるが、カドミウムによるそれとは所見が異なることおよび亜鉛の大量投与では骨代謝に著しい影響を与えないことが判明した。

(四) 小林純の動物実験

小林純はラットを用いてカルシウム代謝出納実験を行ない、次の結果を得たが、この実験でカルシウム代謝出納が負であるということは経口摂取されたカルシウムに比し屎尿中に排出されたカルシウムが多量であることを示し、ラットの体内に存したカルシウムの一部が流出し、骨の脱灰が生じていることを意味するのである。すなわち、

先ず、一万分の一の割合でカドミウムを混入した餌をラット一〇匹に与え、カドミウムを含まない餌を投与した対照群のラット一〇匹と比較したところ、前者のうち一匹を除きその余の全例のカルシウム出納が負となつたのに対し、後者は全例が正であつた。次に二万分の一ないし三万分の一の割合のカドミウム、二、〇〇〇分の一ないし三、〇〇〇分の一の割合の亜鉛、七、〇〇〇分の一の各割合の鉛および銅を併せ混入した餌を用いて同様の実験をなしたところ、さきのカドミウムのみを混入した餌を投与してなした実験の場合に比し、カルシウムの損失量は多量であつた。右いずれの場合においても重金属類を含んだ餌を投与したラットは死亡前の約三〇週間連続的にカルシウムの出納が負となるが、対照群にはこのような傾向はみられなかつた。また、重金属類を含んだ餌を投与したラットは、対照群に比し、大腿骨、上膊骨の水分が増力し、乾燥した骨を焼いて得られた灰分の量は少なく、そして骨の一部分が欠けるようになつた(これらの骨の変化が骨軟化症状とみられるかどうかについては後に述べる。)。

(五) 富山県衛生研究所久保田憲太郎らの動物実験

久保田憲太郎らは、ハツカネズミを硝酸カドミウム(1.3×10-3M)の経口投与群および腹腔内注射群ならびに対照群の三つに分けて実験を行ない、観察した結果、次のとおりの成績を得た。すなわち、従前の研究報告によれば、正常ハツカネズミにおいては生理的蛋白尿が証明されるところであるが、カドミウムを投与すると、投与経路の如何にかかわらず生理的蛋白尿は減少、消滅し、投与後四〇日目頃よりファンコニー症候群に特徴的な低分子蛋白が尿中に現われはじめ、五四日目頃よりG二五蛋白比二〇パーセントの典型的な本病患者と同様な尿ゲル濾過パターンを示し、セファデイクスG二〇〇のパターンも明瞭なイス型パターンを示した。また、低分子蛋白尿の出現時期と腎臓の病変との関連性を追求するために慢性カドミウム中毒の尿所見が現われ始めた時期(四三日目)および典型的カドミウム中毒尿パターンがみられるようになつた時期(八八日目)に屠殺したハツカネズミの腎臓を病理組織学的に検索したところ、カドミウム投与四三日目のハツカネズミの腎臓においては系球体および上位尿細管の病変は比較的軽度であるが、下位尿細管の病変はかなり顕著であつた。すなわち、尿細管上皮は水腫変性を呈して泡状となり、排列は乱れて脱落するものもあり、核濃縮や核破砕も認められ、間質における小円形細胞の浸潤が各所にみられた。八八日目のハツカネズミの腎臓では尿細管はもちろん、糸球体にもかなり病変がみられ、糸球体は膨大したものが多くボーマン嚢上皮細胞も膨大と増殖がみられ、ボーマン嚢内にはエオジン好染性物質の貯溜が認められ、糸球体血管係蹄は肥厚しエオジンに均等に染まり、毛細管腔も狭窄閉塞性となり、硝子化して硬化性変化を示唆するものも混在した。尿細管主部では上皮細胞の膨化と核の濃縮硝子滴変性などが著明であり、髄質内の下部尿細管では各所に内容のうつ滞、硝子様円柱の形成とこれに伴なう上皮細胞の圧平萎縮などがみられ、さらに管腔構築の崩壊像も認められ、間質には極度の円形細胞の浸潤がみられた。

(六) 富山県立中央病院村田勇らの動物実験

村田勇らは、一〇〇p・p・mの無機塩化カドミウムをアイソトープに溶かしてマウスに投与する実験を行つた結果、カドミウムは肝臓、腎臓、腸管に蓄積することおよび体内に入つたカドミウムのうち三分の一ないし二分の一が蓄積されることを認め、さらに、これとは別に一〇〇ないし二〇〇p・p・mのカドミウムを半年ないし一年間マウスに飲用させる実験によつて、カドミウム・エンテロパチー(腸管萎縮)などの腸管の障害をきたしただけでなく、骨にも変化が生じたことを認めた。

(七) 東京大学医科学研究所朴応秀らの動物実験

朴応秀らは、ラットに五〇p・p・mのカドミウムを飼料に混入して投与する実験を行ない、八か月後に摂取カルシウム量より多量のカルシウムがラットの屎尿中に排泄され、一〇か月ないし一年後には大腿骨の異常が顕著になつたことを確認した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はなく、外国における実験結果は兎も角、右認定の我国でのそれよりすれば、要するに、前記(一)の石崎有信らは、ラットを低カルシウム低蛋白の餌で飼養し、飲料水に塩化カドミウムをカドミウム量にして三〇〇p・p・mの割合に溶かし与え、約半年後に腎臓に尿細管を主とする病変と大部分のラットの骨に著しい脱石灰の像を認め、雄より雌のほうに変化が強く、類骨組織のふちどりが明らかに認められて骨軟化症といえる症状のものもあるという成績を得、同(二)の松田悟は、ラットに高カルシウムと低カルシウムの二種類の餌に酸化カドミウムを飼料一〇〇グラム当りカドミウム量として一〇ミリグラムと二〇ミリグラムの二段階に分けて混入して与え、約一〇か月後の観察の結果、骨に骨粗しよう症と骨軟化症の共存しているものがあり、この症状は低カルシウム餌の投与群に強度に現われ、高カルシウム餌の投与群でも軽度ではあるが骨の変化を生じたものがあり、また腎臓には尿細細管を主とした病変があつて、その程度は低カルシウム餌の投与群により強くみられ、なお、非水溶性のカドミウム化合物によつても骨軟化症を発現し、前記(三)の館正和は、家兎に塩化カドミウム五〇p・p・mと二〇〇p・p・mをそれぞれ含む水を一日一〇〇ミリリットルずつ与えて約一年間飼育した結果などから、カドミウムの大量、かつ長期間の経口投与により骨代謝異常を惹起すること、この骨代謝異常は低カルシウム食、低蛋白食で強調されること等を知り、前記(四)の小林純は、ラットを用いたカルシウムの代謝出納実験によりカドミウムを含んだ餌やカドミウム、鉛、亜鉛、銅等の重金属類を含んだ餌で飼養したラットのカルシウム出納はいずれも負で、後者の餌を投与したラットは、対照群に比し、大腿骨、上膊骨の水分が増加し、乾燥した骨を焼いて得られる灰分が少なく、また骨の一部が欠損したことを観察し、前記(五)の久保田憲太郎らは、ハツカネズミに硝酸カドミウムを経口または腹腔内注射の方法で投与する実験の結果、投与後約一ないし二カ月では腎臓髄質内の下位尿細管の退行性変性が強く、同じく約三か月以後には腎病変は皮質にも及び、特に糸球体病変が顕著になることを認め、前記(六)の村田勇らは、マウスに一〇〇ないし二〇〇p・p・mのカドミウムを半年ないし一年間飲用させる実験によつて腸管の障害だけでなく、骨にも変化を生じたことを認め、前記(七)の朴応秀らは、ラットに五〇p・p・mのカドミウムを飼料に混入して投与する実験で、一〇か月ないし一年後に大腿骨に顕著な異常を確かめるなどの結果を得たことが明らかで、ラットやマウスなどの小動物にカドミウムを数か月ないしほぼ一年の期間経口投与して行われたこれら動物実験によつて総じて右実験動物にカルシウムの代謝異常や腎臓の変化だけでなく、骨病変をも発症させる結果を得たのであるから、これは、既にみてきたような疫学および臨床、病理所見から得られた本病における腎機障害はもちろん、骨病変が慢性カドミウム中毒に基づくものであるとする前記結論に誤りのないことを実験病理面から証明したものと解するのが相当である。

ところで、これら動物実験について、被告会社は、動物実験によつて重金属類による慢性中毒症の判定をするには、現実に摂取された飲食物に含有されたと推定される量に見合う程度の重金属類を実験動物に投与して実験が行われなければならないのに、原告ら援用の動物実験では明らかに現地の実情を無視した高濃度のカドミウムが投与されていること、骨の代謝性疾患は栄養状態が非常に関係するから、カドミウムの投与によつて骨障害が発症するかどうかというような動物実験においては、発生した結果が果してカドミウムによるものか、あるいは栄養の低下によるものかの判別のために、実験群と対象群の栄養状態を同一の状態にするいわゆるペァード・フイーデングの方法が採られなければならない。しかるに原告ら援用の動物実験においてはこのペァード・フィーデングの考慮が払われていないことおよび海外の動物実験の報告例に骨軟化症の発生について記載したものがないことを指摘し、かつ神岡鉱業所の廃水または低濃度のカドミウムを投与した動物実験の成績をあげて、原告ら援用の動物実験の成績をもつてしてはカドミウムが本病の原因であることの根拠になし得ないと主張し、原告ら援用の動物実験を含めて我国で行われた前記(一)ないし(七)の動物実験に用いられたカドミウムが最高で三〇〇p・p・mから最低で餌の三万分の一の割合、すなわち33.3p・p・mまでの比較的高濃度のものであること、被告会社のいわゆるペァード・フィーデングなる方法が右動物実験に採用された形跡がないことおよび前記1の外国における動物実験で骨軟化症の発生についてなんらの報告もないことは前記認定事実から明らかなところである。

しかしながら、高濃度のカドミウムが投与された点について、先ず、考えてみるに、なるほど〈証拠〉によれば、例えば石崎有信らの行つた前記(一)の動物実験でラットに投与された三〇〇p・p・mの濃度のカドミウムは人間が経口的に摂取できる限度を越え、もしこれを人間が飲めば激しい嘔吐反応を起す程度のものであるが、なぜこのように高濃度のものが投与されたかというと、それは比較的短期間に実験結果をうるためやむを得ず採られたものであり、そして右実験結果をただちに人間に対する低濃度長期間の侵襲に当てはめるには考え方として飛躍があり、さらに次の段階の研究に俟たねばならないこと、有毒元素といえども無為に蓄積することがあるため、単に有毒金属の体内蓄積を証明しただけでは該金属中毒と断定することはできず、したがつて、経口による金属中毒であることを科学的に究明するには現実に経口摂取したと思われるのとほぼ同量の有毒金属を経口投与して症状を発現させることが必要であるとの考え方も存すること、生物学的半減期および生体内蓄積限界理論によれば、有毒物には生物学的な半減期であり、そのため長期間有毒物を摂取しても体内での蓄積には一定の限界があつて、この限界以上に蓄積することはなく、そこで平衡状態に達し、そして限界量に達するまでの日数は生物学的半減期の約一〇倍で、限界量は一回の摂取量および右半減期によつて定まる。したがつて、例えば、一日一〇〇ミリグラムずつ一〇日間摂取する場合と一日一〇ミリグラムずつ一〇〇日間摂取する場合とでは摂取総量に変りはないけれども、体内蓄積量は同一ではないという結果になるので、高濃度のカドミウムを短期間投与する実験の結果と低濃度のカドミウムを長期間投与する実験の結果とは必ずしも同一であるとはいえないとされていることが認められ、右認定の事実を彼此考え合せると、人間が現に経口摂取したと思われるものにほぼ見合う程度のカドミウムを投与して動物実験を行なうことは、実験動物になにを選び、またどれほどの期間継続するかの問題があろうことは兎も角として、意義のあることで、このような比較的低濃度、かつ長期間カドミウムを投与して行なう慢性中毒実験が行なわれるならば、それはカドミウムの人体に及ぼす影響を精密に知るうえで役立つに相違ないから、そのような実験が種々繰り返され、その結果が積み重ねられることを期待すべきものと考えられる。

しかしながら、そうだからといつて、前記(一)ないし(七)の動物実験で用いられたような濃度のカドミウム投与による動物実験のもつ前記のとおりの意義を否定することはできない。なんとなれば、右(一)ないし(七)の動物実験は、いずれも比較的に高濃度のカドミウムを投与して行われたものであつて、その実験成績からは人間がどの程度の濃度のカドミウムをいかほどの期間摂取し続けた場合に腎障害や骨病変を生ずるかどうかのいわば量の問題を推知することができないことはもちろんであるけれども、カドミウムを数か月ないしほぼ一年にわたつて投与してラットやマウス等の実験動物にカルシウムの代謝異常や腎臓の変化だけでなく、骨病変をも発症させ得たのであるから、その点で本病における腎機能障害のみならず骨病変が慢性カドミウム中毒に基づくものであるとする説の当否、すなわち質の問題に解答を与え、実験的にこれを証明したものであつて、この動物実験がカドミウムの微量もしくは超微量投与による慢性中毒実験でないことによつて少しもその価値が減殺されることなく、またそのような慢性中毒実験とその結果の点で互に矛盾し、排斥し合う筋合のものでないからである。

そうだとすると、〈証拠〉によれば、冨田国男、広田昌利らは神岡鉱山から高原川に流出する廃水を各排出口の流量に比例して混合調整し、いわゆる綜合廃水としてラット一六〇匹、家兎一〇羽に昭和三七年一月から九ないし一〇か月間経口投与してその生体に及ぼす影響を観察した結果、(あ)、ラットの原水投与群において他群に比し体重曲線の低下が見られるが、家兎では廃水投与群が非投与群よりも体重増加率曲線において上廻る状態であり、(い)、カドミウムの中毒症状に特有といわれる低分子量蛋白定性検査を家兎について行つたが、陰性であり、(う)、ラット、家兎について血色素量、白血球数、赤血球数、血液像、血清アルカリフォスファターゼ、血清カルシウムを測定したが、いずれも異常な数値を示さず、廃水投与群との間に差異は認められず、(え)、ラット、家兎についてレントゲン線的検索を行つたが、異常所見がなく、(お)、ラットについて心臓、肺臓、肝臓、腎臓の病理組織学的検索を行つたが、異常所見は認められなかつた。その後富田国男らは引き続き連日廃水を家兎に投与し続け、満三年の時点で家兎の骨のレントゲン線的検索を行つたが、なんらの病変も認めず、さらに同様の実験を継続し四か年経過しても骨の変化、尿中蛋白の出現、臓器中のカドミウム等重金属類の多量蓄積等本病においてみられるような変化はなんらみられず、全般的に廃水の生体への有害性は証明されず、さらに、富田国男らは家兎五羽を一群とし、A群には普通固型食と蒸留水を、B群には普通固型食とカドミウム一〇p・p・mの割合で溶かした水を一日につき一〇〇cc(これで不足の場合には蒸溜水を与える)を、C群にはカドミウム一p・p・mの割合で混ぜた固型食と蒸溜水をそれぞれ与えて一年間飼育して観察したが、いずれの群の体重、ヘモグロビン、血清カルシウム、血清リン、血清アルカリフォスファターゼ、尿中カルシウム、尿中リンにも有意差は認められず、骨軟化症の状態に達するものもなかつたという結果であつたことが認められるけれども、富田国男、広田昌利らがラット一六〇匹、家兎一〇羽を用いて行つた前者の動物実験において投与された神岡鉱業所の工場廃水が、前記第二の三で認定したとおり和佐保および増谷第二たい積場が開設され、高度の技術的設備をもつて同鉱業所の鉱さいのたい積と廃水の処理にあたるようになつた昭和三一、二年頃以降のものであることは右実験の実施時期に照し明らかなところであつて、右廃水中のカドミウムの濃度が果して被告会社の主張するような現実に摂取された飲食物に含まれたと思われる量に見合う程度のものかどうかの詮索や富田国男が家兎を用い、カドミウム一p・p・mの固型食およびカドミウム一〇p・p・mの水一〇〇ミリリットルを投与して一年間飼育して行つた後者の実験における実験動物の選定および実験期間の長短の吟味はさて措くとして、これらの動物実験の結果なんらの異常所見がみられない(比較的低濃度のカドミウムを用いて異常所見をみなかつたことが外国における動物実験で数例あることは前記1のとおりである。)ことは前記(一)ないし(七)の動物実験の結果と牴触するものでないことはさきに述べたところから明らかといわなければならない。

なお、前記乙第九号証によれば、岡山大学医学部整形外科教室前原毅は成熟ラットを低カルシウム飼料で飼育し、それに卵巣摘除をなし、無機および有機カドミウムを投与して対照群とともにカルシウム代謝および骨組織像の比較検討を行ない、(イ)、低カルシウム飼料のみによる影響はさほど著明ではなく、(イ)、すべてのカドミウム投与群の組織学的検索では、程度の差はあるが骨皮質の非薄化と骨梁の減少がみとめられ、骨粗しよう症の像であり、骨軟化症にみられる類骨組織の形成はみとめられず、(ウ)、卵巣機能の脱落はカルシウム代謝に著明な影響をおよぼさなかつたが、カドミウムを投与したものの骨組織像では卵巣を摘除したものに著明な骨の粗しよう化が認められ、(エ)、カドミウム投与群、特に有機カドミウム群に著明な脱カルシウムがみられ、(オ)、カドミウムの作用機序は消化管におけるカルシウムの吸収、排泄の機構を乱してカルシウムの排泄をおこすと推定され、(カ)、老化が骨変化に一役を演じていると考えられ、(キ)、カルシウムの欠乏が骨粗しよう症の主因であるように考えられるとの結果を得たことが認められ、右認定の実験成績よりすると、カドミウム投与群には著明な脱カルシウムがみられたけれども、骨の組織学的検索上は骨粗しよう症の像に過ぎず、骨軟化症にみられる類骨組織の形成は認められなかつたわけで、これを小林純の行つた前記(四)の動物実験の結果と対比して考えれば、小林純が果して骨軟化症の現出に成功したものかどうかは疑問といわねばならないけれども、そのことの故右動物実験が本病の原因の追究に意味のないものとすることはできない。

次に、被告会社のいわゆるペアード・フィーデングなる方法が実験に採られていない点についてみるに、〈証拠〉によれば、ペァード・フィーデング・テスト(Paired feeding test)は、動物の長期飼育実験中に検体を含む食餌摂取量が漸減し体重の減少をきたして死亡する例がしばしばみられるので、その際この死亡が飢餓によるかどうかを確認するなどのために、対照群の食餌摂取量を死亡例と同様に減少して飼育する実験方法であつて、例えば、実験群が第一日目にAという質量の食餌を摂取したとすると、これを計量しておき、これと同等の食餌を第二日目に対照群に摂取させ、第二日目に実験群がBという質量の食餌を摂取したとすると、前同様にして第三日目にこれを同等の食餌を対照群に与え、これを繰り返して第n日目に実験群の実験が終了した場合には、対照群は対照群は第nプラス一日目に終了する結果、両群は終始、同一の栄養摂取状態を保持することになり、両群の比較をするうえで栄養の差異を考慮の外におくことができ、したがつて実験中の死亡が飢餓によるかどうかを確める場合だけでなく、栄養状態が問題となる場合にも望ましい実験方法であることが窺い得られるけれども、前記(一)ないし(七)の動物実験によつて得られた結果がカドミウムなどの投与によるものか、それともまた栄養の低下に基づくものかの判別は決して困難ではないのであるから、被告会社主張のようにただペアード・フィーデング・テストの方法が採られていないことだけを理由として右実験の結果を疑問視するのは当らないというべきである。

さて、最後に、海外における動物実験の報告中に骨軟化症の発生を記載したものがない点であるが、右報告のうちにカドミウムの投与により腎尿細管の障害について記載したものはみられるのであつて、我国と諸事情が必ずしも同一と思われない諸外国の実験報告にそれ以上の記載がみられないことを異とするに足りない。

その他に前記認定の妨げとなるような証拠資料はない。

四本病の病理機序(メカニズム)について

原告らは、本病の病理機序について、カドミウムは、摂取されると排泄されないまま次第に体内、ことに腎臓に蓄積し、そのことによつて腎尿細管に障害が生じてその再吸収機能が著しく阻害される結果、カルシウム等が尿とともに体外に排泄され、遂に骨の脱灰現象を生じて骨軟化症を惹起するに至ると主張し、これに対し、被告会社は、一般に、重金属類は、特殊のものを除いて、経口摂取の場合には吸収されにくく、また生体内に蓄積しにくいものであり、この事情はカドミウムについても同様であつて経口摂取の場合のカドミウムの体内吸収率は約一ないし二パーセントに過ぎず、摂取されたカドミウムの大部分は屎尿中に排泄されるものであるから、原告ら主張のように、摂取されたカドミウムが排泄されないまましだいに体内、ことに腎臓に蓄積することはなく、また、本病患者に腎尿細管の機能異常が認められるとしても、それが慢性カドミウム中毒によるものであるかは不明であるのみならず、腎尿細管の再吸収機能の障害があるといかなる機序で骨病変が起るかという点については、なお医学上明らかにされていないと反論する。

よつて、さらに本病の病理機序について考えてみることとする。

金沢大学医学部衛生学校教室石崎有信らの行つた前記三の2の(一)の動物実験によると、カドミウム投与群のラットの腎臓は、糸球体に萎縮その他の硬化性変化のあるものもあるが、著しくはなく、尿細胞浸潤がそれぞれみられてネフローゼというべき像であり、雌のほうに変化が強いようであつたが、雄と去勢した雄との差は明らかでなかつたこと、同大学大学院医学研究科の松田悟の行つた同(二)の動物実験においてもカドミウム投与群に腎尿細管上皮に多く変化がみられたこと、富山県衛生研究所久保田憲太郎らの行つた同(五)の動物実験によると、カドミウム投与群の尿細管の病変が最も顕著であつたこと、慢性カドミウム中毒の最も主要な変化は、経気道による場合の肺気腫などを除けば、どの経路で入つてきた場合でも腎臓の病変であると考えてよく、しかもその変化は尿細管が主であつて糸球体が侵されないのが特徴であること、本病の腎障害の本態はフアンコニーー症候群といわれる広範な腎尿細管障害であること、本病患者の一般的臨床検査所見として、血清無機リンが減少し、また尿中のリンとカルシウムの比(P/Ca)が低下していることはいずれも前記認定のとおりであり、また前記甲第五七号証の一ないし三によれば、金沢大学医学部衛生講座の田辺釧がカドミウムの生体内への吸収、蓄積、排泄の関係を明らかにするため、成熟ラットに五〇p・p・mのカドミウム水を六か月間投与し、その後投与を中止のうえ、期間をおいて爾後の貯溜量の変化を観察する実験を行つた結果、最も多く貯溜した臓器は腎臓で、その次が肝臓であり、そして、カドミウム投与中止後一か月目には腎臓中のカドミウム量が多くなり、肝臓にもわずかながらこれと同様の傾向がみられ、これらは他の器管にあつたカドミウムが移動してきたものと推察され、また、投与中止後六か月目には減少がみられ、特に腎臓における減少の著しいことから、わずかずつではあろうが、カドミウムは腎臓を通じて尿中にも排泄され、次に、右の実験でみられた腎臓等へのカドミウムの蓄積がどの程度の濃度であれば起るかを明らかにするために、五、一〇、一五p・p・mの三段階のカドミウム水をラットに与えて体内の蓄積状況を観察した結果、一〇p・p・m以下では蓄積傾向は著しく小さく、ことに肝臓中の量は上昇傾向が認められないが、腎臓にはごくわずかずつのカドミウムが与えられたときでも蓄積され、五p・p・m投与群においても肝臓中の量は低い値に一定していたが、腎臓中の量はしだいに上昇し、投与中止後も他の臓器に含まれていたものが移動して腎臓に集つたもののようで、その量が上昇する。また、三〇〇p・p・mのカドミウム水をラットに投与したところ、カドミウムの貯溜量は右の各実験より多量であるが、腎臓に最も多く蓄積され、肝臓がこれに次ぐという同様の傾向がみられ、ただし、カドミウム投与中止後一か月目に腎臓中の貯溜量が最高になるという現象は初めから貯溜量が高いためか、みられず、肝臓、腎臓ともにカドミウム投与中止後も排泄されにくいことが判つたことが認められ、以上の各事実に、〈証拠〉を総合すれば、本病の病理機序については次のように考えるのが相当と認められる。すなわち、

1経口摂取されたカドミウムは腸管から吸収されて始めは各臓器に蓄積されるが、その後このカドミウムは肝臓および腎臓、特に腎臓に移行して蓄積され、腎臓からはわずかずつ尿中に排泄されるけれども、蓄積量が一定の限界を超えると腎尿細管を生ぜしめる。ところで、血液中の水溶性の成分は一度腎臓の糸球体に流出し、その流出した成分のうち有用なものが尿細管によつて再吸収されるのであるが、尿細管に障害が生ずるとこの再吸収機能が阻害され、ブドウ糖、アミノ酸、カルシウム、リン、カリウムなどが再吸収されずに尿とともに排泄されることになる。

カドミウムのこのような作用によつて本病の腎障害が生ずるものと考えられるが、本病の骨障害は要するに骨中のカルシウムが流出するために生ずるのであつて、その経緯は次のとおりである。

(一) 先ず、石崎有信の考え方によると、体内のカルシウムは骨中にその九九パーセントがあり、残りの大部分は血液中に存するが、血液中のカルシウムは血液一〇〇立方センチメートルにつき約一〇ミリグラム程度の量に一定しており、この量に変化が生ずると種々の症状を起して死亡に至る場合さえある。ところで、腎尿細管の再吸収機能が阻害されると、血液中のカルシウムの量が減少することになり、減少したカルシウムは第一次的には腸管からの吸収によつて補われるが、それによつても補われない場合には骨中のカルシウムが流出して血液中のカルシウムを補うことになり、それだけ骨中のカルシウムの量が減少し、骨障害を起すようになる。

(二) 次に、武内重五郎の考え方によれば、腎尿細管におけるリンの再吸収が低下すると血清リンが低下し、このことは骨中にリン酸カルシウムとしてあるリン酸が血液の方に移動してくるから、骨中のカルシウムは余つてきて骨から血液のほうへ移動することとなる。そうすると、カルシウムの動きの方向は骨から血液のほうに向き易い状態になり、この場合、もしカルシウムの吸収が増加したりあるいはその供給が増加したりするならば、カルシウムの骨から血液への動きが大きくなり易いさきの状態に対し、バランスを保つて骨に変化が起りにくくなるのであるが、これとは反対に、もし血清のカルシウムを増そうとする力が弱まる状態、すなわちカルシウムの供給が少いか、吸収が悪いか、あるいは需要が亢進するような状態が発生するならば、骨からカルシウムが血液のほうへ流れ出てしまうようになり、骨障害を生ぜしめる。

2以上が本病の病理機序について最も広く承認された考え方であるが、これと異なる考え方がないわけではない。すなわち、

(一) 前記二の1の(二)で認定したとおり、村田勇らは、本病患者の小腸にグルテン・エンテロパチーに機能的にも形態的にも極めて類似した所見を認め(なお、同人の行つた動物実験の結果については前記三の2の(六)で述べたとおりである。)、これより二次的に貧血、腎尿細管の機能障害、骨軟化症が起つていると報告している。この立場は小腸の機能異常に注目し、消化吸収不全を重視するものであるが、本病における腎障害を否定するものではない。

(二) 次に、荻野昇は、本病の初期(同人のいわゆる第一、二期)における患者の疼痛は腎性骨軟化症のみでは説明が十分でないこと、すなわちカドミウムは腎臓のみならず、体の各部、各臓器に検出され、疼痛もこれと同様に全身のいたるところに訴えられていること等の理由から、カドミウム自体が毒性(カドミン)を有し、それが直接骨に作用するとしている。しかし、この立場もまた本病における腎障害およびそれに基づく骨軟化の発症の経緯を否定するものではない。

3しかし、本病の病理機序については以上1、2のとおり一応の説明が可能であるが、次のとおり不明確な点も少くない。すなわち、

(一) 先ず、経口摂取されたカドミウムの腸管における吸収率については、前記喜田村正次、富田国男らの報告によると約二パーセントとされているが、村田勇らの行つた動物実験の結果報告によれば摂取されたカドミウムの三分の一ないし二分の一が体内に蓄積されるともされているので、結局カドミウムの腸管における吸収率いかんの点については、特に本病の予防のために一層の研究が必要と考えられる。

(二) 次に、腎障害についても、そもそも、カドミウムが腎臓に障害を生ぜしめるのは、腎臓にカドミウムが蓄積するためかあるいは蓄積そのものではなく腎臓に蓄積され排泄されるカドミウムの影響が重要であるのかという点およびカドミウムが腎臓に病変を生ぜしめる量いかんの点が明らかではなく、これらは本病の予防および治療のために今後の研究に期待しなければならないところである。

(三) また腎障害から骨症状へ発展する病理機序についても、例えば、腎尿細管における再吸収機能が低下し、カルシウムが失われるということのみでは説明のつかない点があり、動物実験において骨の脱灰のはげしい例に尿中のカルシウムがあまり増加せず、屎中のカルシウムのみ増加して吸収力の低下が大きいとみられるものあり、本病発生地域の住民の検尿の結果でも、カルシウム濃度およびカルシウムとリンの比(Ca/P)の比をみても症状との並行性が必ずしも明らかではなく、腎尿細管と骨病変との間のつながりの点には、腎尿細管の機能障害とそれによる再吸収機能の低下が骨病変を生ぜしめる基礎に存在していることは否定し難いけれども、なお今後の究明に俟たねばならない問題が残されている。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる適当な証拠はなく、そうだとすると、本病の病理機序については前記認定のようにその大筋において説明が可能であるけれども、細部については必ずしも明瞭でない点があり、したがつてなお将来の研究に期待すべきであることを否定できないといわねばならない。

なお、被告会社は、本病の病理機序にいまだ明確でないもののある点を捉えて、経口的に摂取されたカドミウムによつて果して骨軟化症が惹起されるかどうかの問題は本病の病理機序いかんの問題と密接不可分の関係にあるから、その病理機序が明確にならない以上、本件における因果関係の存否は明らかになつたとはいえないというが、その然らざる所以は後記で述べる。

五本病の鑑別基準および治療方法について以上のほか、本病に関し残された点として、本病の鑑別基準および治療方法の問題があるけれども、それらは本件の因果関係の問題と直接には関係がなく、その判断上考察を必要としないものであるが、両者が混同されかねない点もあるので、これを避ける意味で簡単に触れておくこととする。

1本病の鑑別基準について

合同研究班は、本病の疫学的調査を実施する際、診断基準を定めたが、本病患者、同容疑者の発見や分類が主として骨のレントゲン線検査の成績に基づいて行われたことはさきに認定したとおりである。

しかしながら、既に述べたように本病の本態は腎障害および骨病変で、そのうち第一次的なものは腎障害であるから、従前のように骨病変の有無を基準としていたのでは早期発見に役立たず、本病の鑑別基準として十分でないことはいうまでもない。よつて、調べてみるに、〈証拠〉によれば本病の鑑別基準については次の諸説が存することが認められる。すなわち、

(一) 石崎有信らは、本病に特有の尿所見を有するものをすべて本病患者とすることは、その大部分が日常生活になんら支障がなく、また骨病変にまで進展するものはその一部に過ぎず、特に男性にあつては極めて少数であるから非現実的であり、結局、骨病変の発現をもつて本病の発病とする立場を採るより仕方ないが、最初に現われる症状は自覚的な疼痛であつて客観性がなく、また特異性が少ないために判定がはなはだ困難である。また、レントゲン線上に所見が明らかになるのはかなり症状が進んでからであるから早期発見には役立たないうえ、現在の診断基準は、一般の閉経後あるいは老人性の骨粗しよう症と区別するため、骨改変層の存在に重点がおかれており、典型的な場合は骨改変層が数多くみられるけれども、これがなければ本病でないという保証は何もないのであるから、レントゲン線像のいかんにかかわらず、血清アルカリフォスファターゼの上昇、血清無機リンの低下等骨軟化症の生化学的な症状が現われればそれを重視すべきであるとも考えられる。そして本病が慢性カドミウム中毒であることが明らかになつた現在、その立場からの診断法が導入されねばならないが、現在可能な検査方法は尿中のカドミウム排泄量のみであるとしている。

(二) 武内重五郎は、本病のような広範な腎尿細管障害を中心とする病態は、従来いわゆるファンコニー症候群とよばれている病態であるから、本病の鑑別基準は、結局、ファンコニー症候群を呈しうる他の病変との鑑別に帰着する。そして、鑑別診断の順序としては、本病発生地域で蛋白尿、糖尿、低リン血症を呈する患者をみたときは、一応、本病の可能性を念頭に置いたうえ、腎尿細管の機能異常を示す他の検査所見をさらに確認すべきものとする。

(三) 萩野昇は、本病を第一期ないし第五期に分類したうえ、富山県でみられたものは、第四および第五期の骨病変が顕著なものであり、第三期でも骨に異常があるので鑑別診断は容易であるが、第一期の潜伏期および第二期の警戒期においては特有な症状がなく、他の疾患でも同一の症状が出るので、この時期の鑑別診断は困難であり、尿蛋白の分子量が少ないことや尿中カドミウムの排泄量等を基礎にして鑑別をすることが可能であるように思われるとする。

(四) 村田勇は、本病の早期診断と鑑別診断は区別して考えるべきであつて、富山県においては既に本病が発生しているのであるから、尿の所見等により早期の診断が可能な場合が多いのに対し、群馬県その他の地区では本病が発生したかどうかをはじめて決定することになるから、この鑑別診断には極めて慎重でなければならない。また、本病患者に対して長期、かつ無計画、無思慮にビタミンD高単位療法が行われてきた現時点では本病の鑑別診断が困難になつている。すなわち、例えば本病でない関節リューマチなどに右のような治療を行なうと骨の造骨性変化が起こり、最後には骨の萎縮像が生ずるので、この骨萎縮像と本病とをいかに鑑別するかは困難な問題であるとしている。

(五) 富田国男は、カドミウム暴露の機会があり、蛋白尿が証明されたことを以て直ちに本病の初期であると診断すべきではない。本病の診断には骨病変の確認が必要であるとする。

以上みてきたとおり本病の鑑別基準については諸説が存在するけれども、これらは主として本病の初期と他の疾患との鑑別が問題であり、予防ないし治療上極めて重要な意味をもつものであるに相違ないが、それと本病の発生が何に起因するかの問題とを混同しないようにすることが必要と思われる。

2本病の治療方法について

〈証拠〉を総合すると、本病の治療方法に関して次の事実を認めることができる。すなわち、

本病の腎尿細管の機能障害が、蛋白尿、糖尿、アミノ酸尿の排泄程度に留まつている場合は、特に治療は必要でなく、定期的な経過の観察のみでよく、リン再吸収率の低下やカルシウム代謝障害を伴つている場合はリン、カルシウム、ビタミンDの不足をきたさないような食餌その他の配慮が必要になり、また、出産等急速なカルシウム需要の増大時も同様であること、典型的な本病に対しては、河野稔らが食餌中のカルシウム、リンの量を調和よく増量し、ビタミンD一〇万単位、グルコン酸カルシウムを一日四グラム、クエン酸ナトリウムの投与により本病患者の一般的自他症状および骨病変の改善が得られたと報告して以来、本病の治療はビタミンDの高単位投与、カルシウムの補給が主体とされてきたこと、萩野昇は、(一)、ビタミンDの大量投与、(二)、ビタミンB1、B2の大量投与、(三)、蛋白同化ホルモンの内服、(四)、男、女性混合ホルモンの注射、(五)、カルシウムの補給、(六)その他局所の鎮痛、理学療法などの多角的な併用によつてビタミンDの副作用による治療の中断をさけ、治療期間を二年から四か月近くに短縮しえたとするが、これらの対症療法は、これを中止すると再び症状が悪化し、また本病の本態の一つである腎障害に対する積極的な対策ではないこと、ところで、東京大学医科学研究所外科新研究室(主任・石橋幸雄)の朴応秀らは五〇P・P・Mの割合でカドミウムを含む餌を投与して慢性カドミウム中毒症状を起させたラットにプロトポルフイリン・クロミウム(クロム化合物の一種)を一日三ミリグラム投与したところ、三、四日目からラットの体外へのカルシウムの流出が停止し、体内に蓄積されていたカドミウムが排泄され、一週間後には餌も普通に食べるようになり、二週間後には体重が増加し、一か月後には全く健康状態に戻ることが確認されたこと。

以上のとおり認められ、したがつて本病の根本的な治療方法は未だ十分に解明されるに至つていないように考えられる。

(以上の要約および因果関係についての結論)

当裁判所は、これまで本件全証拠から可能な限り自然的(事実的)因果関係を追及してきたが、いまこれまでみてきたところを簡単に振り返つてみると、神通川を中心として、これに注ぐ東方の熊野川と同じく西方の井田川に挾まれた扇状地すなわち、本病発生地域に、しかも右地域に限つてかねてから本病の集団的な多発をみてきたのであるが、その原因の究明のために、先ず、第一に疫学的調査、研究の成果を調べ、その観点から考察を進めた結果、要するに、右地域は、水田耕作を主とする農村地帯で、該地域の水田はもつぱら神通川およびこれから取水する東岸の「大沢野用水」、「大久保用水」、「一二ケ村用水」、「神保用水」や同じく西岸の「牛ケ首用水」、「通通川合口用水」(「新屋用水」、「八ケ用水」、「本郷用水」、「一二ケ用水」)などと、これら各用水から分岐し、本病発生地域一帯に四通八達し網状に拡がつている支流の用水路の水をもつてかんがいされてきたこと、ところがこの水を介して上流からカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類が右水田中に運び込まれ、そのために水田土壌が汚染されたことから、大正時代から神通川流域に農業被害が発生し、爾来いわゆる鉱毒問題として種々論議が重ねられてきたこと、そして右地域の住民は、水田土壌の汚染により右重金属類、就中カドミウムを含んだ米、大豆等の農作物を食料として自家で消費してきただけでなく、近年に至つて上水道施設ができるまで、他に水を得る方法がないため、カドミウム等に汚染された神通川の水を直接に右用水から、また究極的に神通川の水を給源とする地下水を間接に井戸から汲み上げるなどして飲料その他の生活用水に使用し、右重金属類を経口摂取するほかなかつた(カドミウムの摂取経路として米、大豆等の食物を重視すべきか、はたまた飲料水を重視すべきかは本件全証拠によつても一概に断定し難いが、そうだからといつてそのことを本病発生地域の住民がカドミウムを経口的に摂取したことを否定する理由とすることはできない。)こと、そのため右地域の住民の体内には、該地域以外の対照地区の住民に比し、多量のカドミウムが吸収され、蓄積されたこと、以上の事実のほかには本病発生地域以外にはみられない特有の事情は存しないこと、本病患者はもとより、本病発生地域の住民が農作物や飲料水などから経口的に摂取し、その体内に吸収し、蓄積された重金属類のうち、カドミウムは、その農作物中の含有量や尿中排泄量が対照のそれに比し多量で、明らかに差異があるばかりでなく、その差異は鉛や亜鉛より顕著であること、したがつて本病患者が前記のように神通川を中心とし東方の熊野川と西方の井田川に挾まれた扇状地に限局して多発する理由を疫学的見地からみれば、カドミウムに求めるほかないこと、しかしながら、本病患者が第二次世界戦争終結の前後頃に特に急激に増加した点、米の過食や副食物の少い食習慣があつて、本病患者の家庭の栄養摂取が総カロリーや蛋白質等の点で富山県の農村平均よりも劣り、また該家庭の平均所得が低い傾向にある点および本病患者は、その大部分が中年以降の婦人で、しかも多産の傾向がみられ、また農業従事者が比較的多くて出産後の休養期間が短いことなどに徴してみれば、栄養摂取、妊娠、出産、授乳、内分泌の変調、老化等の因子がまた本病の発生に関与しているとみられることが明らかになつた。

そして、次に、本病の臨床および病理所見に検討を加え、その所見から、先ず本病の本態がファンコニー症候群と呼ばれる広範な腎尿細管障害であることが判つたが、このように広範な腎尿細管の機能障害をもたらすものとしては、リグナック・ファンコニー症候群、アダルト・ファンコニー症候群のような先天的尿細管機能異常のほか、ウイルソン病、多発生骨髄腫、ネフローゼ症候群等の内因性毒物によるもの、重金属や変性テトラサイクリン、リゾール、マレイン酸等の外因性毒物によるもの、ビタミンDの欠乏によるものなどを挙げうること、そのうち、遺伝性があつたり(リグナック・ファンコニー症候群、アダルト・ファンコニー症候群)、本病とは臨床病理像を異にしたり(ウイルソン病、多発性骨髄腫)、疾病の発生状況等が相違したり(ネフローゼ症候群)、本病発生地城の住民多数が摂取したことがなかつたり(テトラサイクリン、リゾール、マレイン酸等)、ビタミンDの欠乏ということが考えられないなどのために否定されるものを除けば、結局重金属による疾患の可能性が浮びあがらざるを得ないこと、本病発生地域を汚染しているカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属類中、亜鉛は人体に必要な金属で、体内での貯溜性が低く、また毒性も極めて弱く、急性の中毒症状はあるが、慢性中毒の観察された例がなく、鉛はその中毒によつて骨軟化症といいうる症状の発生をみたとの報告例があるけども、本病発生地域の住民の尿中排泄量は正常値の範囲内にあるだけでなく、住民検診でも鉛中毒特有の症状が発見されなかつたこと、したがつて、本病の本態である腎病変の原因としては差しあたりカドミウムが残るだけであるが、このことは本病発生地域が特にカドミウムによつて汚染されているとの疫学的調査の結果とも符合することおよび海外においても重金属類によつて経口的に腎障害が地域的に限局して多発した事例が絶無ではないことなどからすると、本病患者にみられる腎尿細管の機能障害の原因はカドミウムをおいてほかないものと考えられ、次に、臨床および病理所見から本病のもう一つの主要な病変が骨病変で、その症状は骨軟化症であることを認めることができたが、この骨病変とさきの腎障害との関連については後者が第一次的で、前者はこれに続発したものとみるべきであること、後者の腎障害は前記のとおりファンコニー症候群であつても、骨の変化を生じない場合がないではないが、骨軟化症はファンコニー症候群の一症状としても承認されていること、したがつて本病の骨病変もまた腎障害とともにファンコニー症候群の一つの症状としてよく、本病の腎障害の原因がカドミウムをおいて他にない以上、この腎障害から発展し、続発する本病の骨病変の原因はまたカドミウムにこれを求めざるを得ないこと、ただし、このように腎障害から骨病変に発展するには、腎尿細管の再吸収機能障害によるカルシウムの体外流出のほかに、補助的に妊娠、出産、授乳などによるカルシウムの需要増大、栄養不足などによるカルシウムの供給不足等の因子の関与が必要であることがまた明らかになつた。

それゆえ、本病の主要な症状である腎障害と骨病変はファンコニー症候群と呼ばれているものであつて、その主因としてはカドミウムを、その補助的因子として妊娠、出産、授乳、栄養ないしカルシウムの摂取不足を挙げるべきであるがこれら臨床および病理所見から見本病の発生原因は、さきの疫学的見地からみたそれと一致するものであつた。

さらに、ちなみに、外国におけるカドミウム中毒に関する研究について調べてみた結果、国外におけるカドミウム中毒の研究は我国よりかなり早く、特に慢性カドミウム中毒の症状は一応明らかになつているようであり、該中毒から骨病変にまで発展するかどうかについても、これを肯定する報告がある。もつとも右報告は経気道的にカドミウムを吸収した場合のもので、(経気道と経口とでどの点に違いがあるかは別として、)経口摂取の症例に関するものではなく、かつ慢性カドミウム中毒から骨病変にまで発展するかどうかの点については、これを否定する報告もあるけれども、少くとも以上のような外国文献中にあらわれた研究成績からすれば、本病におけるような腎臓や骨の病変がカドミウムの慢性中毒によつて発現すると考える余地がないわけではないのであつて、一部に慢性カドミウム中毒による骨障害を否定する報告があることのみを根拠に右の病変が発生しないもののように速断することは失当であるものと解された。

そして、最後に、海外の動物実験の報告中に骨軟化症の発症を記載したものがなかつたが、ラットやマウスなどの小動物にカドミウムをそれぞれ数カ月からほぼ一年にわたつて経口投与して行われた我国における幾らかの研究者の各動物実験によつて、総じて右実験動物にカルシウムの代謝異常や腎臓の変化のみならず、骨病変をも発症される結果を得、これによつて疫学および臨床、病理所見などから得た本病における腎障害はもちろん、骨病変が慢性カドミウム中毒に基づくものとする結論が誤謬でないことを実験病理的に証明する意義をもつものであつた。

そうだとすれば、人間がカドミウムを経口的に摂取する場合にカドミウムは体内に吸収されるかどうか、人間がカドミウムを経口的に摂取した場合、腎尿細管の機能障害が生ずるかおよび人間がカドミウムを経口的に摂取したことにより腎尿細管の機能障害が生じた場合、他の要因がなくとも、これのみで骨軟化症が惹起されるものかどうかについては、これまでにみてきたところから既に自ら明らかであり、また、人間がカドミウムを経口的に摂取する場合の体内カドミウムの吸収率はどうか、人間がカドミウムを経口的に摂取し、どの程度の量、どの程度の期間、体内に蓄積された場合に腎尿細管の機能障害を生ずるかなどとカドミウムの人体に対する作用を数量的な厳密さをもつて確定することや経口的に摂取されたカドミウムが人間の骨中に蓄積されるものかどうかの問題はいずれもカドミウムと本病との間の因果関係の存否の判断に必要でないことはまた疑う余地がないものといわねばならない。

そして、本病の病理機序についても、その大筋において一応の説明が可能であることは前記認定のとおりであつて、なお究明を必要とし、今後の研究課題として残された点のあることを否定できないけれども、病理機序が細部にわたつてくまなく明確になれば疾患の原因が一層明白になるとしても、反対に、病理機序が不明であるからといつて疾患の原因を確定し得ないわけのものではないから、カドミウムと本病の関係が前叙のとおり疫学的調査や臨床、病理所見などからの考察はもとより、動物実験の結果のうえでも明白となつた以上、現段階においては、本病の病理機序が前叙のとおり大筋において一応説明の可能な程度で満足すべきであり、したがつて、被告の指摘するような若干の点がさらに明確にならない限り本病の発生原因を確定しえないとすることは到底できないのである。

以上の次第で、本病の発生原因は、鉛、亜鉛等の重金属類は兎も角、これを主としてカドミウムに求めざるを得ないが、このカドミウムは、自然界に由来すると考えられる極めて微量のもののほか、被告会社等の神岡鉱業所から排出されたものが主体となつているものと解され、そして、右カドミウムの排出は、被告会社等の神岡鉱業所における選鉱および製錬等操業の状況にかんがみて、同鉱業所から右操業の過程において生ずるカドミウムその他の重金属類を含有する廃水等(選鉱過程で生ずる泥状廃液を含む)および同過程において発生し、たい積された鉱さいから浸出する前同様の廃水等が神通川上流の高原川に、特に大正時代から昭和二〇年代に至るまでの相当長期間継続して放流され神通川を流下したことによるものと認めるのを相当とすることはまた既に前記第二で明らかにしたところである。

そうすると、被告会社等の神岡鉱業所の選鉱および製錬等操業の過程において生ずるカドミウムその他の重金属類を含有する廃水等および同過程において発生し、たい積された鉱さいから浸出する前同様の廃水等が神通川上流の高原川に相当の長期間継続して放流された結果、右廃水等は、河川水とともに高原川を経て下流の神通川を流下し、その神通川およびこれから取水する各用水やその分流を介して同河川流域の本病発生地域の水田中に右重金属類を運び込んで土壌を汚染し、同地域の住民をして右水田で収穫した米、大豆等農作物を食料とし、あるいは神通川の水を直接または間接に飲料などの生活用水に使用して右重金属類、就中カドミウムを長年にわたり経口摂取するの余儀なからしめ、そのため右重金属類が住民の体内に移行、蓄積し、その結果、住民をカドミウムを主因とする本病に罹患させたものといわねばならない。

もつとも、本病の本態はファンコニー症候群と呼ばれる広範な腎尿細管障害であつて、それから本病の一症状である骨病変に発展するには、腎尿細管の再吸収機能障害のほかに、妊娠、出産、授乳、栄養摂取不足、内分泌の変調、老化等の因子の関与を必要とするけれども、これらの因子は、カドミウムによつて生じた腎尿細管障害を補助して骨病変にまで発展させるもので、それのみでは本病においてみられるような骨障害を惹起させるものでないことにかんがみれば、本病の発生のうえで、カドミウムを主役というならば、これらの因子は結局、従たる役割りのものであるに過ぎない。

しかのみならず、これらの因子のうち、妊娠、出産、授乳は女性一般にとつて大役であり、指摘されるような多産の傾向は往時、特に農村一般にみられたところであり、また栄養摂取不足も多かれ少かれ農村に共通してみられたところで、特に本病発生地域のみに限られたことではなく、ましてさきの戦争中や戦後かなりの間のそれは国民全般が経験したところであり、中年以後の内分泌の変調や老化等はなんびとも避けるを得ない事柄であることを念頭におけば、被告会社等の叙上の廃水等を放流した行為と本件被害発生との間には相当因果関係が存するものというべきである。

第四  被告の責任

鉱業法(昭和二五年法律第二八九号)一〇九条一項は、鉱物の掘採のための土地の掘さく、坑水もしくは廃水の放流、捨石もしくは鉱さいのたい積または鉱煙の排出によつて他人に損害を与えたときは、損害の発生の時における当該鉱区の鉱業権者が、その損害を賠償する責に任ずるものと規定し、また同条三項には、前二項の場合において、損害の発生の後に鉱業権の譲渡があつたときは、損害の発生の時の鉱業権者およびその後の鉱業権者が、連帯して損害を賠償する義務を負うべきものと規定して被害者の保護を図つている。そして右にいわゆる廃水とは鉱物の選鉱また製錬の際に生じ不用として廃棄される水を主とする液体をいい、雨天などの際に、たい積した捨石や鉱さいの間から浸出する水はもちろん、浮遊選鉱の過程で生ずる軟泥状の鉱さいで、特にえん堤を築き池中に貯溜するなどの処理方法をとらないで、廃水と混和し不可分的に流出させるものも、右にいわゆる坑水もしくは廃水に含まれるものと解され、また放流は故意に流出させるもののみならず、たい積した捨石や鉱さいの間から浸出する場合もまた放流にあたると解するのが相当である。

そして、被告が別紙鉱業権目録記載の鉱業権を有し、これに基づいてその神岡鉱業所で鉛鉱、亜鉛鉱等の掘採に併せてその選鉱、製錬を行つているものであることは当事者間に争いがないから、被告は、その神岡鉱業所のなした前記第二に認定の原因事実の結果、前記第三に認定したような本病を発生させて他人に損害を与えたものであるから、右鉱業法一〇九条一項の規定により本件損害発生時の鉱業権者として右損害を賠償すべき責任があるのみならず、右鉱業権を前記鉱業権目録記載の従前の鉱業権者から同目録記載の日に、同目録記載の各取得の経路および原因をもつて譲り受けたことはまた当事者間に争いがないので、被告は右譲受けの日の昭和二五年五月一日以前に発生した損害についても、同条三項の規定により従前の鉱業権者と連帯してその損害を賠償する義務を負うべきものといわねばならない。

第五  損害

一先ず、既に認定したところから、次に述べる事情が本病患者のすべてに多かれ少なかれ共通するものであることは明らかである。すなわち、

1前記第三の二の1の(四)の(1)で認定したとおり、本病の自覚症状は、先ず、初発症状として大腿痛、腰痛などがあり、疼痛は、次第に身体の各部位に拡がり体動に伴つて起るが、深呼吸時、咳嗽時等にも胸背痛を訴えるようになり、その経過は極めて緩慢で、一〇年以上にわたることも少なくなく、捻性、挫傷等の軽い外傷を契機として突然歩行障害を起こし、臥床状態になるや症状は急激に進行し、わずかの外力で病的骨折を起こし、骨格変形が進み、正常な臥位がとれなくなつて坐位でうずくまつたままであつたり、下肢をつり上げたりしなければならなくなる。そして昼夜を分かたぬ激痛のため睡眠は妨げられ、呼吸運動も制限され、わずかな体動にも「痛い、痛い」と訴える。極度の運動不足から食欲は失われ、全身的な衰弱が進行し、栄養失調状態となつて簡単な余病の併発で死亡した者もある。

2前記第三の一の1の(一)の(4)で認定したとおり、河野稔らの報告によれば、本病について、その本態が不明のため特別の治療方法もなく、鎮痛等の対症療法がとられたにすぎず、患者もまた本疾患に冒されるとあきらめて死を待つか、恐怖と絶望のうちに死んでいくか、いずれにせよ悲惨な状況にある。

3前記第三の一の1の(9)で認定したとおり、本病患者の多くは農家の主婦として農作業に従事していたものであるが、前記の症状および経過を伴う本病にかかつたが故に農作業等農家の主婦の務めを十分に果たすことができず、またそうだとすると妻や母としての役割りを果たすことができなかつたであろうことはたやすく推認することができる。

4前記第三の五の2で認定したとおり、本病患者の腎障害は現在もなお根治療法が確立しておらず、また骨病変もビタミンDの高単位投下、カルシウムの補給により改善が得られるが、これらを中止すると再び症状が悪化するので、本病患者らは不安につつまれながら暮している。

したがつて、本件被害者らはいずれもまた程度の差はあつても、右1ないし4の諸事情外にあり得なかつたもので、そのために同人らが被つた肉体的、精神的苦痛には計り知れないもののあることを推測するに難くない。

二次に、本件被害者ら個々の被つた損害について判断する。

1  原告小松みよ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告小松みよは、大正七年一一月二三日本病発生地域内である富山県婦負郡婦中町萩島に出生した五二才の女性で、昭和一四年三月日産化学株式会社の工員訴外小松俊一と結婚以来今日まで同地域内の肩書住所地に居住してきたが、出生地および肩書住所地付近には神通川から取水している「神通川合口用水」(肩書住所地付近は「八ケ用水」)があり、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に利用してきた。

同人は、生家が神通川の付近に水田約二町を有する農家で、小学校六年生の頃以来結婚するまで生家の農業を手伝い、また婚家も約五反の水田を有する農家で、神通川の付近に約三反、肩書住所地付近に約二反あり、したがつて同人は結婚後も婚家での農作業に従事し、その間、二回出産(一人は死産)したが、本病に罹患して同二七年四、五月頃胸部に疼痛を覚え、その後疼痛は腰部、大腿部、手から次第に全身に拡がり、話しても、息をしても、くしやみをしても針で刺すように痛み、同二九年末には遂に歩行不能となり、独りでは用便その他日常茶飯の事柄にも不自由するようになつた。

そして昭和三八年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後同四五年二月一日施行の公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下、単に特別措置法という)三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受けた。

同人は昭和二七年に発病以来、富山県婦負郡婦中町中町所在の萩野病院、東京都品川区北品川所在の河野臨床医学研究所第二北品川病院等で治療を受け、また漢方医にみてもらつたり湯治等に出かけたりなどしたが、はかばかしくなく、現在も萩野病院に通院中であり、結局既に約二〇年にわたる長年月の闘病生活を余儀なくされているが、肋骨、大腿骨、両膝下部等に骨折の後遺症があり、現在なお腰部、胸部等に疼痛があつて階段の昇降、寝具のあげおろし等も自由にできず、そのうえ、右骨折等のため身長が約二七、八センチメートル短縮し、現在はわずか1.15メートルに過ぎない。

しかのみならず、原告小松みよは、右のように本病に冒され、そのための直接的な苦痛にただ耐えること以外になす術のない生活を長らく余儀なくされる間、家庭で家事、農作業の他に主婦としての務めを果し得ないのはもちろん、夫俊一に対して少からぬ経済的負担をかけ、また妻として、息子一郎の母としてなに一つ満足なことをしてやれないため、夫俊一からやり場のない憤まんを買い、厄介者視される苦しい羽目に陥り、そのことはまた同原告に一層の痛苦を与えいまや同人の被告に対する怨悪の情にはなにをもつてしても癒し難いほどのものがある。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

2  原告宮口コト

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告宮口コトは明治三六年一月一五日本病発生地域内である富山県婦負郡宮川村(現同県同郡婦中町)広田の農家に出生した六七才の女性で、一〇才頃同地域内の同郡婦中町萩島川田に転居し、他家に育児の手伝いに出たりなどして長ずるや、大正一一年一一月に同町萩島野田で水田二町四反(後に一町八反に減少)を有して農業を営む訴外宮口勝次郎と結婚以来、同地域内の同所および肩書住所地に居住してきたが、出生地付近には「牛ケ首用水」下流の「四万石用水」、同町萩島川田、同所野田および肩書住所付近には「神通川合口用水(六ケ用水)」といずれも神通川から取水する用水が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水および水田のかんがい水に利用してきた。

同人は、結婚後夫勝次郎とともに農作業に従事し、その間、七子をもうけたが、本病に罹患して同二七、八年頃腰部、大腿部に疼痛を覚え、その後疼痛はさらに激しくなり、ちよつとのことでも身を切り取られるか、骨が折れたかのような痛みを感じ、遂に歩行はもちろん、用便、結髪等にも事欠く有様になり、前記萩野病院や富山市西長江所在の富山県立中央病院へ通院して治療を受け、また湯治、あんま、祈とうなどと種々試みたけれども、思わしくないままに同三八年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後前記特別措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受け、昭和四四年七月二二日以降前記富山県立中央病院に入院して治療中で、結局発病以来二〇年近い長期間の闘病生活を余儀なくされ現在に至つているが、いまなお、腰痛、下肢痛が消えず、身長も約一五センチメートル短縮した。

原告宮口コトは、右のように本病に罹つたため、耐え難いほどの肉体的、精神的苦痛を味つたが、それ故に被告に対し無念の情を抱いていることを隠そうとしない。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

3  原告大上ヨシ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告大上ヨシは明治四〇年五月九日富山市長柄町に出生した六三才の女性で、生後間もない頃から本病発生地域内の富山県婦負郡婦中町宮川横野の親戚方で育てられ、爾来、大正一三、四年頃農業を営む訴外大上甚三郎と結婚するまで、その間に愛知県で工員として稼働した四年間を除き、右横野に結婚後は今日まで同地域内の肩書住所地にそれぞれ居住してきたが、前記横野付近には神通川水系の用水が、肩書住所地付近には神通川から取水している「新屋用水」がそれぞれ流れ、同人ら一家は右用水等の水を生活用水等に利用していた。

婚家には「新屋用水」の水によつてかんがいされている一町数反の水田があつて、原告大上ヨシは右水田の耕作に従事していたが、その間、昭和二年から同一六年までに夫甚三郎との間に五子を挙げた。ところが、その後本病に冒され同二三、四年頃から足指、手のひら、胸部等にちくちくと疼痛を覚えるようになり、そのうち息を吸つても、くしやみや咳をしても痛くてたまらないほどになり、遂に独りで歩行や用便等をすることが覚束なくなつた。

同人はこのように疼痛を覚えて以来前記萩野病院、河野臨床医学研究所第二品川病院、富山県立中央病院、富山県婦中町広田所在の宮川診療所、同所速星所在の山本病院等で治療を受け、また湯治等に出かけたりなどしてみたが、回復せず現在再び富山県立中央病院に通院し、治療中であり、そしてこの間、昭和三九年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後前記特別措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受けた。

原告大上ヨシは、このように本病に罹患して以来既に二〇有余年の長きにわたつて闘病生活を余儀なくされ、そのため自殺をしようと思つたことが何度かあるほどに耐え難い肉体的、精神的苦痛を被つてきたほかに、農作業その他農家の主婦の仕事を満足に果し得ないのみならず、本病に罹つたため、夫甚三郎にもつてゆきどころのない不満を与えたり、息子たちに嫁のきてが仲々なかつたりなどして一層の苦痛を味い、被告に対し憎悪の念で一杯のようである。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

4  原告清水あや

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告清水あやは明治三三年三月二〇日富山県婦負郡八尾町三田に出生した七一才の女性で大正三年訴外清水隆男と結婚以来、今日まで本病発生地域内の肩書住所地に居住してきた。同人の婚家は神通川の河川水でかんがいする水田約三町歩を有する農家であつたことから、同人は結婚後農作業に従事し、この間、数子をもうけたが、その後本病に冒されるところとなり、同三〇年頃身体に疼痛を覚え、その後痛みは激しさを増し、遂に歩行はもちろん、家人の手を借りなければ入浴等もできない始末になり、前記萩野病院に入、通院して治療を受けたり、湯治やあんまを試みたりなどしたけれども、好転せず、そして昭和三九年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後前記特別措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を事け、現在は依然腰痛が消失しないため、肩書住所地の自宅まで前記萩野昇医師の来診を受けて、治療してもらつている。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実よりすれば、原告清水あやが本病に罹患しそのため、発病以来約一五年の長きにわたり闘病生活を余儀なくされ、多大の肉体的、精神的苦痛を被つてきたことを疑う余地はない。

5  原告数見かすえ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告数見かすえは明三九年八月九日本病発生地域内である富山県婦負郡宮川村(現同県同郡八尾町)広田の農家に出生した六四才の女性で、出生以来大正一三年頃訴外数見久義と結婚するまでの間、静岡県で工員として働いた二年間を除き、同所に、また結婚後は今日まで右地域内の肩書住所地にそれぞれ居住してきたが、生家付近には「広田用水」、肩書住所地付近には「神通川合口用水(新屋用水)」といずれも神通川から取水している用水が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に利用してきた。

同人の婚家も農業を営むもので、同人は結婚後農作業に従事し、その間二男八女を出産したのであるが、やがて本病に冒されるところとなり、同三三年頃最初腰部に疼痛を覚え、その後疼痛は次第に全身に拡がつて、ちくちくと刺すように痛んでたまらなくなり、また関節を動かすとボキボキと音がし、遂に歩行、寝起き、用便等も満足にできない状態になつた。

それで、同人は疼痛が始まつて以来、前記萩野病院等で治療を受けたり、あんまに行くなどしたけれども、一向に治らないままに、昭和四二年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後前記措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受けた。そしていまだに手足に疼痛があつて、階段の昇降等も困難で、仕事はもちろんできず、目下萩野病院に通院して治療を受けつつある。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実に徴するときは、原告数見かすえが本病に冒され、そのため発病以来一〇数年の長きにわたり闘病生活を余儀なくされ、多大の肉体的、精神的苦痛を受けてきたことを認めるに十分である。

6  原告泉きよ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告泉きよは明治三二年三月二一日本病発生地域内である富山県婦負郡婦中町下井沢に出生した七一才の女性で、大正九年頃(同人が二〇才)訴外泉保則と結婚以来今日まで同地域内の肩書住所地に居住してきたが、肩書住所地付近には神通川から取水している「本郷用水」が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に利用してきた。

同人の婚家は神通川から取水している「神通川合口用水」の水でかんがいする水田約二町歩を有する農家で同人は結婚後農作業に従事し、この間、六子をもうけたのであるが、三〇才代に本病に冒されるところとなり、始め下肢痛を覚え、その後疼痛は次第に全身に拡がり、寝返りしても痛く、抑向きになつたり、横になつたりして寝てみてもやはり痛くて眠れない日が続き、遂に歩行はもちろん、用便や着衣等日常の起居動作も困難な状態に陥つた。

同人は右のように疼痛を覚え始めて以来、前記婦中町所在の中田医院、富山市内所在の正谷医院、吉田外科医院、稲土外科医院、前記萩野病院等を訪ね廻つて治療を受けたが、思わしくなく、昭和四二年一二月には富山地方特殊病対策委員会により、またその後前記特別措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受け、そして現在は右萩野病院に入院して治療を受けている。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実に徴するときは、原告泉きよが本病に冒されたため、発病以来数一〇年の長きにわたり闘病生活を余儀なくされ、多大の肉体的、精神的苦痛を受けてきたことを容易に推認することができる。

7  原告谷井ナホエ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告谷井ナホエは大正四年一一月一〇日富山県婦負郡八尾町上新田に出生した五五才の女性で、昭和九年一二月訴外谷井重信と結婚以来今日まで本病発生地域内である肩書住所地に居住してきたが、同所付近には神通川から取水している「大久保用水」が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に利用していた。

同人の婚家は神通川から取水する「大久保用水」の水でかんがいする水田約二町(後に一町七反に減少)を有する農家で、同人は結婚後農作業に従事し、この間昭和一〇年から二〇年までの間一男三女を出産したのであるが、本病に冒されるところとなつて同二七、八年頃最初足首に疼痛を覚え、その後疼痛は次第に下肢、大腿部、腰部等に拡がり、そのため杖二本にすがらなければ手洗いへ行くことも、寝床に横になることもできず、そして最後には歩行はもちろん、用便、着衣等日常の起居動作も独りでできない状態になつた。

同人は右のように疼痛を覚え始めて以来、富山県上新川郡大沢野町所在の稲本医院、前記富山県立中央病院、富山市五福所在の西能整形外科医院、前記萩野病院等を訪ね廻つて治療を受けたが、はかばかしくなく、昭和四一年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後前記特別措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受け、そして現在は右萩野病院へ通院して治療を受けているものの同人の身長は既に九センチメートル短縮したほどである。

原告谷井ナホエは、このように本病に罹患して以来、既に二〇年近くの長きにわたつて闘病生活を余儀なくされ、多大の肉体的、精神的苦痛を味わつてきたのみならず、その三女ミツ子に同原告の身の廻りの世話などのため高等学校への進学を断念させざるを得なかつたほか、家人になにかと厄介をかけていることから一層痛苦を増し、被告に対し被害者の心情を是非とも理解されるよう訴えている。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

8  原告江添チヨ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告江添チヨは明治三七年一月五日本病発生地域内である富山県婦負郡新保村(現富山市新保)経田に出生した六七才の女性で、その後同地域内の同県同郡婦中町荒屋に転居し、大正一〇年頃訴外江添栄作と結婚して以来、今日まで同地域内の肩書住所地に居住してきたが、同所付近は神通川から取水している「九ケ村用水」と熊野川合流点にあたる。そして、同人の生家および婚家はいずれも農家で、婚家は神通川から取水している「九ケ村用水」および「大久保用水」の水でかんがいする水田約二町歩を有し、同人は結婚後農作業に従事し、この間八子を出産したのであるが本病に冒されるところとなつて昭和二二、三年頃、足部、大腿部等に疼痛を覚え始め、次第に針で突かれるように痛みが激しくなつて、遂に歩行等はもちろん、日常の起居動作に不自由をするようになつた。

同人は右のように疼痛を覚えて以来、前記富山県立中央病院その他で治療を受け、特に同病院には昭和三二年九月一七日の初診以来昭和三二年一一月一五日から同三三年五月六日まで、同三四年一二月一二日から同三五年四月一日まで、同三六年一一月二四日から同三八年五月三一日まで、同四〇年五月四日から同四二年六月二八日まで、同四三年二月一五日から同四四年五月一日まで各入院し、このように頻りと入、退院を繰返してきたけれども、一進一退で、最後に同四五年一月二〇日同病院に入院し、この間、同人は、二度左大腿骨を骨折し、身長は一〇ないし二五センチメートル短縮し、そして昭和四二年一二月には富山県地方特殊病対策委員会により、またその後前記措置法三条に基づきそれぞれ本病患者の認定を受けた。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、そうすると原告江添チヨは本病に冒されたため、発病以来二〇有余年、入、退院を繰り返し始めてからでも一〇数年の長年月にわたる闘病生活を余儀なくされ、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

9  亡宮田コト

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 亡宮田コトは、明治二二年一二月九日本病発生地域内である富山県婦負郡婦中町宮ケ島の農家の四女に生れ、同三九年六月二五日頃同地域内の同所上轡田二一番地で農業を営む亡青山源治(原告青山源吾の父、昭和二〇年に死亡)と結婚し、同四〇年源治との間に一子源吾を挙げたが、結婚後わずかに四年で同四三年四月二二日離婚のうえ、生家に戻り、爾来ほとんど同所で過していたところ、昭和二四年に至つて右上轡田二一番地の原告青山源吾方に引き取られ、後記のとおり同二八年一月三日に死亡するまで同人方に同居していた。

亡宮田コトの生家付近には神通川から取水している「神通川合口用水(本郷用水)」が、右青山方付近には同じく「神通川合口用水(六ケ用水)」がそれぞれ流れ、生家でも青山方でもそれぞれ右各用水の水を生活用水に使用してきたほか、コトの生家の水田約二町五反は右「本郷用水」の水で、また青山方の水田約二町六、七反は右「六ケ用水」の水でそれぞれかんがいされてきた。

ところで、亡宮田コトは、昭和の始め頃既に身体の痛みで独りでは用便等もできないようになり、前記のとおり同二四年に原告青山源吾方に引き取られた頃には、もはや食事、用便はもちろん、歩くことも這うこともできず、寝起きも独りではできないため、家人の手で動かせると痛がつて悲鳴をあげる始末であるだけでなく、両手は胸の辺りに曲つたままで伸ばすことができず、そのうえ指は親指から小指まで外側に折れてねぢ曲り、膝は曲つた切りで伸びず、足首も内側へ折れてねぢ曲り、食欲不振で身体の肉は落ち、手足は骨ばかりで、結髪ができないため丸坊主のまま頭部だけが大きくみえる異様な状態で、当時コトを往診にあたつた萩野昇医師は、同人が疼痛を訴え、身体をかがめて臥床していること、寝込んでいることが長いのに蓐瘡がみられず、その皮膚は黒ずみ、かつ光沢があることおよび骨折や貧血がみられること等典型的な本病の重症患者にみられるものに一致する所見を得た。

そして、亡宮田コトは同二八年一月三日大葉性肺炎により死亡した。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、そうすると、亡宮田コトはレントゲン線検査その他の今日的な意味での精密検診を経ていないけれども、右に認定した事実に前記第三の二の1で述べたとおり典型的な本病患者の診断は臨床的な特徴から比較的容易であることを考え合せると、同人は遅くとも昭和の始め頃から死亡するに至るまで本病に罹患していたものと認めざるを得ず、そして、〈証拠〉によれば、本病が直接死因となることは少ないが、皆無ではなく、例えば、本病の症状が悪化したため栄養状態が不良となり最終的には栄養失調で死亡した場合には本病を死因と考えることができ、また本病に罹患したため生じやすい合併症としては尿毒症、肺炎、胃腸障害等があり、これらの疾患により死亡した場合はまた本病も死因と考えることができることが認められ、そうだとすれば、亡宮田コトは前記認定のとおり、本病に罹患し、肺炎で死亡したのであるから、結局同人は本病により死亡したものと認めるのを相当とする。そうすると、亡宮田コトは、本病に冒されたため発病以来少くとも二〇有余年の長きにわたり痛い痛いと悲鳴をあげてただ耐え忍ぶほかない闘病生活を余儀なくされたうえ、遂に同病が原因で死亡するに至つたことを肯認するに足り、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

(二) ところで、〈証拠〉によれば、亡宮田コトの相続人は原告青山源吾のみであることが認められるので、同原告は亡宮田コトの被告に対する本件慰藉料請求権を相続によつて取得したことになる。

10  亡高木ミ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 亡高木ミは、明治二七年四月三日富山県婦負郡八尾町黒田四、五五五番地に出生し、同四三年秋原告高木常太郎と結婚(正式届出は同四四年二月二七日)以来、後記のとおり昭和三〇年一〇月一三日死亡するまで本病発生地域内である同県同郡婦中町堀二九六番地に居住していたもので、同所付近には神通川から取水している「神通川合口用水(八ケ用水)」が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に使用してきた。

同人の婚家は右「八ケ用水」の水でかんがいする水田約一町四反を有する農家で、同人は結婚後農作業に従事し、この間明治四四年から昭和七年までに常太郎との間で五男四女を挙げたが、本病に冒されるところとなつて、最初、昭和六年頃手、足に神経痛様の疼痛を覚え、その後疼痛は、同一八年頃肩から上肢、下肢に拡がつて運動が不自由になり、さらに腰部に及んで全く歩行不能に陥り、用便その他日常の起居動作も家人の手を借りずにはできず、寝込むようになつたが、その後は「痛い、痛い」といつてうずくまり、そして次第に痩せ衰え、皮膚は黒光りし、貧血が著明で手と足に各一か所の骨折を生ずるという状態で、同三〇年一〇月一〇日前記富山県立中央病院に入院し、同月一三日本病に基づく全身衰弱による心臓衰弱のため遂に死亡し、その遺体は金沢大学医学部で解剖に付され、本病の典型的な症例として報告されている。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実に徴するときは、亡高木ミは、本病に冒されたため、発病以来二十有余年の長きにわたり痛い痛いと悲鳴をあげて耐え忍ぶほかない闘病生活を余儀なくされた末、同病が原因で死亡するに至つたものと認めるに十分であつて、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

(二) ところで、〈証拠〉によれば、原告高木常太郎は亡高木ミの夫、同高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斉藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男、同松本みつえはいずれも亡高木ミ与の子であることが認められ、したがつて原告高木常太郎は亡高木ミの被告に対する本件慰藉料請求権の三分の一、原告高木長信、同高木三治、同高木永良、同斉藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男、同松本みつえはいずれも同じく各一二分の一をそれぞれ相続によつて取得したことになる。

11  亡高木よし

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 亡高木よしは明治二六年出生し、同四三年五月頃訴外亡高木元石と結婚後死亡するまで本病発生地域内である富山県婦負郡婦中町荻島四七〇番地に居住していたもので、同所付近には神通川から取水している「神通川合口用水」が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に利用していた。

同人の婚家は右「神通川合口用水」および神通川から取水している「青島用水」の水でかんがいする水田約一町八反を有する農家で、同人は結婚後農作業に従事し、この間、明治四四年から昭和五年までに元石との間に五男二女を挙げたが、本病に冒されるところとなり、昭和二四、五年頃両足に疼痛を覚え、次いで疼痛は両股関節に拡がり、同二八年九月頃から次第に歩行が困難になり、翌二九年四月頃遂に歩行不能となつて寝込むようになつたが、その頃の同人は、「痛い、痛い」と訴え、どこにさわつても痛がつて、医師の診察も満足に受けられず、皮膚は特有の黒光りをしているが、しかし可視粘膜をみると貧血が著明で、身体を海老のように縮め、長く寝込んでいる割合に蓐瘡は認められず、そして身体には骨の折れてるのがわかるという状態であり、翌三〇年一〇月二一日前記富山県立中央病院に入院したけれども、同年一二月八日本病に基づく全身衰弱による心臓衰弱により遂に死亡し、遺体は金沢大学医学部で解剖され、本症の典型的な症例として報告されている。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右各事実に徴するときは、亡高木よしは本病に冒されたため、発病以来約五年の長きにわたり痛い痛いと悲鳴をあげてもつぱら耐え忍ぶほかない闘病生活を余儀なくされ、結局同病が原因で死亡するに至つたことを認めるに足り、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

(二) ところで、〈証拠〉によれば、亡高木よしには、その相続人として、いずれもその子の原告高木良信、訴外高木義信、同橋詰ススイのほかに、その子の亡高木良材の子訴外高木進、同村井洋子、同高木明美、同和泉千恵子のあることが認められるところ、原告高木良信は、右相続人ら七名全員は本訴提起前、もしくは遅くとも昭和四五年一〇月一三日に亡高木よしが被告に対して有した鉱業法一〇九条に基づく損害賠償請求権について遺産分割の協議をなしたうえ、原告高木良信をして右債権全額を取得させる旨の合意をなしたと主張するけれども、相続人が数人ある場合において、相続財産中に金銭その他の可分債権のあるときは、その債権は法律上当然分割され各共同相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解すべきであり、そして亡高木よしの被告に対する本件損害賠償請求権は可分債権にほかならないから、亡高木よしの相続人らがすでに相続分に応じて分割承継した右損害賠償請求権は重ねてこれを遺産分割の対象となしうる余地はないから、右分割の合意がなされたことを前提とする原告高木良信の右主張はそれ自体理由がないことは多言を要しないところである。

しかして、原告高木良信は、同原告は前同日訴外高木義信および橋詰ススイの両名から同人らが相続によつてそれぞれ取得した亡高木よしの被告に対する前記損害賠償請求権の各四分の一の譲渡をうけ、右両名は同年一一月一四日被告到達の書面で同会社に対し右債権譲渡の通知をしたと主張し、被告が訴外高木義信および橋詰ススイから右債権譲渡の通知を受けたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二二一号証の一によれば、その余の同原告主張の事実を認めることができ、そうすると、結局、原告高木良信は、亡高木よしの被告に対する本件慰藉料請求権の四分の三を右相続と債権譲受により取得したことになる。

12  亡赤池志な

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 亡赤池志は明治二三年七月三一日富山県婦負郡婦中町下条に出生し、同三九年一〇月六日亡赤池源一郎と結婚以来死亡するまで本病発生地域内である同所塚原八三番地に居住してきたもので、同所付近には神通川から取水している「神通川合口用水」が流れ、同人ら一家は右用水の水を生活用水等に利用していた。

同人の婚家は右「神通川合口用水」の水でかんがいする水田約三町歩を有する農家で、同人は結婚後農作業に従事し、この間、明治四〇年から大正一四年まで源一郎との間に三男三女を挙げたが、本病に冒されるところとなつて、昭和一六年頃足首を骨折し、爾来、身体の各所に疼痛を覚え、同二六年頃には用便等日常の起居動作も独りではできなくなつた。

同人は右のように疼痛を覚えて以来、前記中田医院、高岡市所在の高岡農協病院、前記萩野病院の治療を受けたが、はかばかしくなく、同二五、六年頃同人を診察した萩野医師は同人の足が骨折し、身体は痩せ衰え、身長が短縮し、皮膚は特有の黒光りをし、長期の病臥にもかかわらず蓐瘡が比較的軽微であつたことを認め、遂に同三一年三月九日気管支肺炎で死亡した。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実に徴するときは、亡赤池志なは、本病に冒されたため、発病以来約一五年の長きにわたり痛い痛いと悲鳴をあげてひたすら耐え忍ぶほかない闘病生活を余儀なくされ、前記9で述べたとおり本病に罹患しているため生じ易い合併症の一である肺炎を併発して遂に死亡したことが明らかであるから、結局、同人は本病が原因となつて死亡したことに帰着するが、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

(二) ところで、前記甲第一二号証の一ないし七によれば、亡赤池志なには、その相続人として、いずれもその子の原告赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝、同赤池慎および訴外大森婦美のあることが認められるが、右原告ら四名は、右相続人ら五名全員は昭和四三年二月上旬頃もしくは遅くとも同四五年一〇月一三日に亡赤池志なが被告に対して有した鉱業法一〇九条に基づく損害賠償請求権について遺産分割の協議をなしたうえ、大森婦美を除くその余の相続人である右四名の原告らにおいて均等に分割してこれを取得する旨の合意をしたと主張するけれども、亡赤池志なの相続人らがすでに相続分に応じて分割承継した右損害賠償請求権は重ねてこれを遺産分割の対象になしうる余地がなく、したがつて右分割の合意がなされたことを前提とする右原告ら四名の主張がそれ自体理由のないものであることは前記11で述べたところと同様である。

しかして、右原告ら四名は、同原告らは前同日訴外大森婦美から同人が相続によつて取得した亡赤池志なの被告に対する前記損害賠償請求権の五分の一につき、それぞれその各四分の一ずつを均等に譲り受け、大森婦美は同年一一月一四日被告到達の書面で同会社に対し右債権譲渡の通知をしたと主張し、被告が訴外大森婦美から右債権譲渡の通知を受けたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二二〇号証の一によれば、その余の右原告ら四名の主張事実を認めることができ、そうすると、結局、原告赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝、同赤池慎はそれぞれ本件慰藉料請求権の各四分の一を右相続と債権譲受により取取得したことになる。

13  亡箕田キクエ

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 亡箕田キクエは、明治四〇年一月二〇日富山県上新川郡熊野村江本(現富山市)に出生し、昭和二年原告箕田作治と結婚(正式届出は同三年八月三〇日)して以来、後記のとおり同四三年二月七日死亡するに至るまで本病発生地域内である富山市吉倉六四二番地に居住していたもので、同所付近には神通川から取水している「神通川合口用水」が流れ、同人ら一家は右用水を生活用水等に使用していた。

同人の婚家は右「神通川合口用水」の水でかんがいする水田約一町二、三反を吉倉部落内に有する農家で、同人は結婚後農作業に従事し、この間、昭和三年から同一〇年までに作治との間に一男二女を挙げたが、本病に冒されるところとなり、同二三年頃から腰部、大腿部、手等に疼痛を覚え始め、その後症状は次第に悪化し、そして同三五年一二末頃には、ただ痛い痛いといつて呼ぶので、家人が病床のキクエの許に行つてその身体に触れるとなおさら痛い痛いと悲鳴をあげ看病の仕様もない最悪の状態になつた。

同人は疼痛を覚えて以来、富山市各所在の山崎医院、富山市民病院、富山県立中央病院、萩野病院、富山県赤十字病院や金沢市所在の金沢大学医学部付属病院等の治療を受けたり、湯治、マッサージ、あんま等にも行つたりして、一時は歩行や食事の仕度の手伝い等もできるようになつたこともあるが、結局、その甲斐もなく、身長が六ないし九センチメートル短縮し、同四三年二月七日萩野病院において急性肺炎で死亡した。

なお、同人は、この間、昭和三九年一二月に富山県地方特殊病対策委員会により、またその後本病患者および疑似患者等に対する特別措置要綱に基づきそれぞれ本病患者の認定を受けた。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実に徴するときは、亡箕田キクエは、本病に冒されたたため、発病以来約二〇年の長きにわたり痛い痛いと悲鳴をあげてただ耐え忍ぶほかない闘病生活を余儀なくされ、前記9で述べたとおり本病に罹患しているため生じ易い合併症の一である肺炎を併発して死亡したことが明らかであるから、結局、同人はまた本病が原因となつて死亡したことに帰着するが、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

(二) ところで、〈証拠〉によれば、原告箕田作和は箕田キクエの夫、原告茗原照子、同小塚澄子、同茗田昭夫はいずれも亡箕田キクエの子であることが認められ、したがつて原告箕田作治は亡箕田キクエの被告に対する慰藉料請求権の三分の一、原告茗原照子、同小塚澄子、同箕田昭夫は同じく九分の二をそれぞれ相続によつて取得したことになる。

14  亡氷見つる

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 亡氷見つるは明治三四年一月五日本病発生地域内である富山県婦負郡婦中町上轡田に出生し、大正七年亡氷見市太郎と結婚して以来後記のとおり昭和四四年一〇月一七日死亡するに至るまで同地域内の同所広田一、七八六番地に居住していたもので、同所付近には神通川から取水している「広田用水」が流れており、同人ら一家は右用水の水を生活用水に利用していた。

同人は結婚後、雑貨兼豆腐販売業を営み、また昭和一五年頃右「広田用水」の水でかんがいする水田約四反を購入して以来農作業にも従事し、この間、大正八年から昭和三年までに市太郎との間に一男二女を挙げたが、本病に冒されるところとなり、昭和三六年夏頃胸部から側腹部にかけて疼痛を覚え、その後次第に歩行が困難になり、同四二年頃全く歩行不能の状態となり、そして同年一二月富山県地方特殊病対策委員会により、またその後本病患者および疑似患者等に対する特別措置要綱に基づきそれぞれ本病患者の認定を受けた。

同人は疼痛を覚えて以来前記宮川診療所、萩野病院、前記婦中町所在の野村医院等で治療を受け、一時症状の好転したことがあつたけれども、再び悪化し、同四三年一月萩野病院に入院したが、遂に同四四年一〇月一七日同病院において本病により死亡した。

以上のとおり、認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実に徴するときは、亡氷見つるは、本病に冒されたため、発病以来約八年の長きにわたり痛い痛いと悲鳴をあげて耐え忍ぶしかない闘病生活を余儀なくされた末、同病が原因で死亡したことが明らかであつて、これがため同人が被つたであろう肉体的、精神的苦痛のほどは察するに余り有るものといわねばならない。

(二) ところで、〈証拠〉によれば、原告大窪みつえ、同田村きみ子はいずれも亡氷見つるの子、原告氷見節子および同氷見忠一はいずれも亡氷見つるの子の亡氷見信忠の子であることが認められ、したがつて原告大窪みつえ、同田村きみ子は亡氷見つるの被告に対する慰藉料請求権の三分の一、原告氷見節子、同氷見忠一は同じく六分の一をそれぞれ相続によつて取得したことになる。

三河川は、古来、交通、かんがいはもちろん、飲料その他生活に欠くことのできない自然の恵みのひとつであつて、われわれはなんらの疑いもなくこの恵みにすがつて生きてきた。神通川ももとよりその例外でない。ところが、近時、この河川等が企業の経済活動によつて不可避的に生ずる廃棄物で汚染され、そのため河川等の自然環境の破壊されることがしばしばとなつたが、この河川等の自然環境の維持、保全が制度的に確立されない以上、右廃棄物による損害防止の技術的設備を整えることおよびこれを十分に尽さなかつたことから生ずる被害の救済は、経済活動を行なう企業にまず第一に求めるほかないものと考えられる。しかるに当裁判所が実施した検証の結果(第一回)によつても、被告は、今日既に、その神岡鉱業所のカドミウム工場(六郎工場)内の溶解槽付近に「マスク着用」の掲示をかかげ、作業員をしてマスクをかけさせていることが認められ、したがつてカドミウムを決して安全、かつ無害視しているわけではないのみならず、前記第二で認定したとおり、和佐保たい積場および増谷第二たい積場の開設後は高度な技術的設備をもつて神岡鉱業所の鉱さいのたい積と廃水の処理にあたつてきている。

しかるに、弁論の全趣旨によれば、被告は、そのカドミウムにより、また、被告会社等の神岡鉱業所の過去の行為によつて生じた本件被害については全く目を覆い、右被害者らの損害賠償請求にたやすく、かつ速かに応ずるような様子がなく、そのことはまた原告ら被害者に悲痛の念を起させていることを認めるのにやぶさかではない。

四以上一ないし三で認定した諸事実に本件証拠にあらわれたその他の諸事情を総合しんしやくするときは、本件被害者らの被つた前叙の肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料として、原告小松みよ、同宮口コト、同大上ヨシ、同清水あや、同数見かすえ、同泉きよ、同谷井ナホエ、同江添チヨ、亡宮田コト、同高木ミ、同高木よしおよび同赤池志なに対しては各金四〇〇万円、亡箕田キクエおよび同氷見つるに対しては少くとも各金五〇〇万円をもつて相当と認める。

そうすると、原告青山源吾は亡宮田コトの相続人として同人の被告に対する右金四〇〇万円の慰藉料請求権を相続により、原告高木常太郎は亡高木ミの相続人として同人の被告に対する右金四〇〇万円の慰藉料請求権の三分の一に相当する金一三三万三、三三三円三三銭、原告高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斉藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男および同松本みつえはいずれも同じく一二分の一に相当する各金三三万三、三三三円三三銭を相続により、原告高木良信は亡高木よしの相続人として同人の被告に対する右金四〇〇万円の慰藉料請求権の四分の三に相当する金三〇〇万円を相続および前記債権譲受により、原告赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝および同赤池慎はいずれも亡赤池志なの相続人として同人の被告に対する右金四〇〇万円の慰藉料請求権の四分の一に相当する各金一〇〇万円を相続および前記債権譲受により、原告箕田作治は亡箕田キクエの相続人として同人の被告に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権の三分の一に相当する金一六六万、六、六六六円六六銭、原告茗原照子、同小塚澄子および箕田昭夫はいずれも同じく九分の二に相当する各金一一一万一、一一一円一一銭をそれぞれ相続により、原告大窪みつえおよび同田村きみ子はいずれも亡氷見つるの相続人として同人の被告に対する右金五〇〇万円の慰藉料請求権の三分の一に相当する各金一六六万六、六六六円六六銭、原告永見節子および同永見忠一は同じく六分の一に相当する各金八三万三、三三三円三三銭をそれぞれ相続により取得したことになる。

第六  結論

以上の理由により被告は、原告小松みよ、同宮口コト、同大上ヨシ、同清水あや、同数見かすえ、同泉きよ、同谷井ナホエ、同江添チヨおよび同青山源吾に対し右各金四〇〇万円、同高木常太郎に対し右金一三三万三、三三三円三三銭、同高木長信、高木信治、同高木三治、同高木永見、同斉藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男および同松本みつえに対し右各金三三万三、三三三円三三銭、同高木良信に対し右金三〇〇万円、同赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝および同赤池慎に対し右各金一〇〇万円、同箕田作治に対し右金一六六万六、六六六円六六銭、同茗原照子、同小塚澄子および同箕田昭夫に対し右各金一一一万一、一一一円一一銭、同大窪みつえおよび同田村きみ子に対し右各金一六六万六、六六六円六六銭、同永見節子および同永見忠一に対し右各金八三万三、三三三円三三銭と、原告大窪みつえ、同田村きみ子、同氷見節子および同氷見忠一を除くその余の原告らに対する右各金員については本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四三年三月一四日から、原告大窪みつえ、同田村きみ子、同氷見節子および同氷見忠一に対する右各金員については亡氷見つるの死亡の日の翌日である昭和四四年一〇月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務のあることが明白であるので、原告らの本訴各請求は、右の限度において理由があるからこれを認容(ただし、原告箕田作治、同茗原照子、同小塚澄子、同箕田昭夫、同大窪みつえ、同田村きみ子、同氷見節子および同氷見忠一らについてはその各申立ての範囲内で認容)し、原告青山源吾、同高木常太郎、同高木長信、同高木信治、同高木三治、同高木永良、同斉藤あや、同岡崎ゆきえ、同青山俊男、同松本みつえ、同高木良信、同赤池源三、同赤池かずえ、同大坪接枝、同赤池慎、同大窪みつえ、同田村きみ子、同氷見節子および同氷見忠一らのその余の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき、同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。(岡村利男 大橋英夫 佐野正幸)

当事者目録

原告 小松みよ

外三〇名

右原告ら訴訟代理人弁護士

正力喜之助

外三〇九名

被告 三井金属鉱業株式会社

右代表者 尾本信平

代理人 橋本武人

外九名

鉱業権目録〈略〉

第一図

第二図~第七図〈略〉

別表

(一)~(六)〈略〉

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